報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第411号

発行日:1992年4月25日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

全国の住職や法華講が懸命に登山者を募ってみたところで
日顕は「チョボチョボ」の人数が不満で御開扉が面倒臭そう

またまた日顕の無慈悲な発言が飛び出した。

四月二十一日午後一時半から大石寺において、全国宗務支院長会議が開かれた。会議冒頭の日顕の話は、先号で紹介した。今号は会議後半の質疑応答における、日顕の御開扉についての発言を問題にしたい。

御開扉についての質問をしたのは、広島県・興福寺住職の青山聽瑩。

「支部登山で一泊の場合、土曜日に着山して一時半の御開扉に間に合わないのです。翌日の日曜日の御開扉となると帰りつくのが深夜になる人もいます。土曜日に三時半の御開扉をしていただけないでしょうか」

これについての日顕の答えは、にべもないものであった。

「御開扉できませんね。はっきり断っとく。もう少しね、いろいろ信徒数が増えたら二回にする場合もあるが、今の段階では、なにしろ、毎日、ほとんどほんのチョボチョボっていう、百人か二百人ぐらいの御開扉、毎日してんだからね。それをまた二回やれったってね」

日顕は御開扉の現状が「チョボチョボ」なのだから、一日に二回の御開扉はできないと断言した。広宣流布の主体者である創価学会を「破門」したのだから、御開扉が「チョボチョボ」となっても当たり前だが、「法主」ともあろうものが露骨に「チョボチョボ」では身もフタもない。

なぜ、御開扉が「チョボチョボ」になったのか。それは、ひとえに日顕の狂乱の故である。大衆に奉仕し、大衆の幸福に貢献しない「法主」が、大衆に支持されるはずがない。

御開扉に人が集まらない根本の原因は、日顕にある。日顕一人によって、日蓮正宗僧俗のことごとくが困っているのだ。

人々に災いをもたらす、この年寄りが“現代における大聖人様”であろうはずがない。気ままで短気で贅沢好きの思い上がった単なる慢心者でしかない。眼からウロコをとって見れば、日顕は放逐すべき悪人なのである。

人々の幸福を願い、世界平和に寄与する人が尊いのだ。金屏風を背に金縁メガネの奥から人を見据え、小鼻をふくらませている険悪な顔つきをした老人の、どこが尊いというのだ。

奥湯河原などの最高級旅館で一族を引き連れて並はずれた散財ができる、庶民感覚を忘れた年寄りの、どこが尊いというのか。土下座し合掌する人々を睥睨しながら、供の坊主を引き連れ、“今日蓮とは自分のことよ”と平然と歩ける年寄りの、どこが尊いのか。

もし、それが尊いというのなら、その宗教は前時代的な遺物である。“民主の時代”に淘汰されるべき邪な宗教なのだ。

仏の生命は、あらゆる衆生の生命に実在する。その仏の生命を、自身の生きざまの中で発現できうる者こそが尊いのだ。正絹の袈裟・衣をまとっているからといって、決して尊いわけではない。衆生済度の心もない、日顕をはじめとする日顕宗の悪僧は、袈裟・衣をまとった“狐狸”に等しい存在なのである。

また、同会議では“日蓮正宗の歌”も問題になった。

青森県・専妙寺住職の沼田凡道が、「“日蓮正宗の歌”のテープで正しいものが欲しい」と要請した。「仏の弟子に名は薫る」という歌詞の「仏」が、創価学会のつくったテープでは、「ホットケ」に聞こえるというのだ。

これに対して、庶務部長の早瀬義寛が「内事部にあるのを送ります」と答えた。

これで“日蓮正宗の歌”についての話は終わったかと思われたが、しばらくして、北海道・仏見寺住職の藤原広行が、「“日蓮正宗の歌”は、できてから三十年も経っている。当時は素晴らしい歌でしたが、作詩、作曲も学会であり、演奏も学会です。この際、考え直せないでしょうか」と発言。いきおい“日蓮正宗の歌”の扱いが物議をかもすことになった。

日顕が全員のほうに向き直って、“日蓮正宗の歌”の扱いをどうするかについて多数決をとった。ほとんどの者が、“日蓮正宗の歌”を変えることに賛成。これを受けて日顕も、「私も変えたほうが良いと思っている」と発言。

それを引きとって総監の藤本日潤も「法要には歌は必要ない。歌わせないでよい」と徹底。その後しばらく、会議は他の話題に展じたが、青山聽瑩(前出)が、「“日蓮正宗の歌”について、法華講大会ではどうするのか」と質問。

ここで日顕が、先の総監発言をなかば否定するような、「次の歌ができるまでは今の歌でよい」という発言をした。この日顕の発言で、しばらくは創価学会からの借り物の歌で間に合わすことになったというのだから、バカバカしいというか、なんとも無様な話である。

“日蓮正宗の歌”の中に、次のような歌詞がある。

「青雲たかく陽に映ゆる 富士のふもとに七百年 つねに立正安国の 聖い使命をたくましく かかげたまえる大仏法」

これも、いまとなっては、おこがましいかぎりだ。早晩、変えたほうがいいだろう。それにつけても、全国宗務支院長会議の最後に話した総監の藤本の話が傑作だった。

「おかげさまをもちまして、実り多い宗務支院長会議とすることができましたことを宗務院といたしまして謹んで申し上げる次第でございます。特に御法主上人猊下よりは甚深の御指南を賜りまして、今後の宗門の基本的な僧俗の在り方等について重要な御教示を賜りましたことを一同とともに有り難く、厚く御礼申し上げるものであります」

この会議で、どれだけ有意義な話があったというのか。この低レベルさで、世の中にどれほどの影響を与えることができるというのだ。

“日蓮正宗の歌”をめぐって、堂堂巡りの話が出たり引っ込んだりしただけではないか。そんな虚ろな内容の会議だったのに、日顕や藤本などは、自分たちの会議が低レベルであることを自覚するほどの能力もないのだろうか。

これが日蓮正宗の最高幹部の会議というのだから、お粗末の限りである。

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