第371号
発行日:1992年1月30日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
一年前、日顕は自分についてきてくれと皆に泣いて頼んだ
ところが今はわずかばかりの援助金で自分に従えと言う
一月二十八日、大石寺の大書院でおこなわれた法華講支部教師指導会において、日顕は話の途中、録音テープをとることを禁じた。これまで何度も、本紙『地涌』などで発言を暴露され、批判されてきたことが、日顕には相当こたえているようだ。
テープをとるなということを一言、命ずればいいのに、一人であわてふためいているのである。その詳細は次のとおり。
「それから、あのー、これがちょっと実は問題なんだが、このー、あっ、おい、テープやめてくれ。テープ切って。テープ切れよ。切ったか? 向こうか、どこだ、おい、テープは? おい、切れ! 誰かいないのか、わかんないのか、切ったかー! はい。あのー、実はですね……、あのー、えっ?(個人のテープは?)個人のテープも切りなさい。いったん切りゃいいよ。うん。あのー、まっ、こりゃどうも、テープで後で残してもらうとまずいからね」
日顕はテープレコーダーに対し、実に過敏な反応をしている。ところが、日顕はちょうど一年前の平成三年一月七日に大石寺でおこなわれた衆和会初勤行会において、次のように語っている。
「この宗門において、私やそのほかの者が総本山や各寺院において、説法や講演、あるいはいろいろな折の言葉とか、挨拶等をいたしますが、どのような意味の話をしても、そのようなことのなかにおいて、いかなるときでも『テープはとるな』などということはありません。今日だってそうです。あなた方はテープレコーダーを持っているか、持っていないかを入り口で検査されて、ここに入ってきたわけではないと思います。テープレコーダーを取り上げたりはしません。そのような意味では、我々は正々堂々と、あらゆるときに大聖人の法を根本としてやっていくつもりであり、そのとおりにやってきております」(『大日蓮』平成三年二月号)
この発言から一年、井の中の蛙そのままに大言壮語をしていた日顕も、少しは世の中の厳しさを知ったようだ。それも、かなりのショックを受けたようで、精神的にも後遺症が残っているようだ。「テープ」「テープ」と言いながら、みずから度を失って周章狼狽する日顕の姿は、哀れでさえある。
さて、テープレコーダーのスイッチを切らせた日顕はなにを話したか。法華講支部ごとの総登山に、謗法払いのできていない昔からの檀家を登山させないように指示したのである。日顕本人の弁によれば、法華講には、
「ほかに実際問題としてですね、あまり新しいお寺にはない意味があるんだが、古い寺でですね、あのー、東京の寺でもあんですよ、大きい昔からのお寺でも、まー、あちこちの古い寺にあるのが、そのー、いわゆる昔からの檀家でですね、その謗法の人達がいるんだ。
御本尊様もない、それから家に行きゃー、いろんなお稲荷さんを祀ったりしてるのがいるからね、天照大神とかね。そういうような、要するに謗法払いのできてない家が相当あると思うんです。なにか上田君とこ、かなりあるようなことをちょっと聞いたがな、ちょいと。
まぁ、あんまり人のこと言わないほうがいいかもしれんが。とにかく、あちこちにあるんだよ。なかなか、これ昔からのですね、徳川時代からのもので、なかなか指導や始末ができないのがある」
ということである。創価学会員を脱会させようと泥棒根性丸出しの策動ばかりしていないで、「七百年の伝統」により積もり積もった垢を少し浄めてはどうだろうか。
宗門が「七百年の伝統」を自慢しても、その実態は日顕の口にしたとおりのお粗末さなのだ。宗門の恥部を語るのに、日顕がテープを止めさせたのは無理からぬことである。
しかし、現実にもっとも謗法の者が多いのは、総本山の大石寺や塔中寺院に所属する法華講員たちである。それこそ「七百年の伝統」のなせるわざである。長年、大石寺の僧侶の生活を支えてきた謗法の者たちを、大石寺住職の日顕は、登山停止にすることなどできないだろう。
なにを隠そう、この謗法の人たちこそ、大石寺を今日まで存続させてきた功労者たちなのだ。謗施こそ大石寺の基底部そのものなのである。日顕はテープを止めさせて、大石寺の実状に目をつむり、謗法払いをしなければならないときれいごとを述べたのだ。
それに続いて日顕は、もう一点、経済問題を語った。宗門に出された末寺住職たちの要望書に触れ、日顕は次のように話したのである。
「最後のほうに、そのー、この点がどうも徹底してないのかなと思ったのはですね、うーん、経済問題が、なんてったって生活問題が大変だと、だから非常にいまこういう状態になって苦しい寺院があるから、これについてなんらかの援助を考えてもらいたいとゆうようなことが書いてある。
なにを言ってるんだ。これは、最近ですよ。宗務院に出てきた文書で、これ読んで私はなんだろうと思ったのは、前、たしかあれは、あの例の『かます』なんていう私の発言で、あのー、問題になって、さんざんマスコミに学会の悪宣伝で悪口を言われたが、あのときの指導会だと思ったが、あのときにたしか財務部長からその話はしたはずなんです。
だから、だいたいわかってると思っていたが、だが、私も聞いててだね、どうもあれ、財務部長もあまりはっきりしゃべってないんですよ。実態を。だからね、そのー、わかってるのかわかってないのか、結局、だから、その、こないだの要望書に、そういうものがまだおこなわれてないような雰囲気に、みな思ってるんじゃないですかね。これは、はっきりしておきたいのはおこなわれていますよ、はっきり。実際が。
ただ、そのやり方がね、あたしここでは、前、テープは止めちゃったから、いいっていえばいいようなもんだけど、やっぱりまぁ、漏れてもなんだから、具体的なお金の金額だけは、あえて言いません。が、ですね、実際、いま、その、こういうふうになってんですね。財務部でやかましく言って、まだ、それでも出してこないっていうのが十カ寺か二十カ寺あるって聞いてるけど。しかし、毎月毎月の収支会計を宗務院へ、財務部へ出すように言うように言ってるんですよ。ねっ。ほとんどのところは最近、出してくださるようになってる」
こう言ったあと、日顕は現実に経済的援助をしている末寺の数を明かした。
「それで、あのー、そのぶんだけは、自動的にどんどん、そのお寺へ、ある額に至るまでは援助をすることになります。で、現在、最近、十何カ寺まで済んだけど、現在は二十何カ寺までなってるそうです。まだ今後、増えてきますよ」
日顕には、末寺の窮状がさっぱりわかっていない。いやわかっていても、自分以外の者が苦労することには、いささかの痛痒も感じていないのだ。「現代における大聖人様」を気取る日顕は、自分に従い飢え死ねば、僧として本望であろうとすら思っているのではないだろうか。
ギリギリの生活費を算段して、必要とみれば渡しているのだから、それを押し戴き黙って従えと日顕は言っているのだ。
全国には、ひと月の収入が十万円以下の末寺が無数にあるのに、宗門が援助しているのは、わずかに二十余カ寺だけだという。日顕は、ヘタに援助をすると末寺住職が檀徒づくりをしなくなるので、経済的に逼迫させることにより、檀徒づくりを促進しようとしているのではないかと勘繰りたくもなる。
末寺住職は、檀徒を獲得しなければ食べていけない。したがって、檀徒づくりに励まざるを得ない。つまり、末寺住職は日顕の栄耀栄華を支える身分保証のない完全歩合制の営業マンなのである。
全国の末寺の中には日顕の思惑を超え、極限的な困窮に達しているところも多い。しかし、日顕はそうした末寺を思いやることはない。
日顕は、「C作戦」の端緒にあたる平成三年初頭、創価学会の予想外の反撃にあわてふためき、一月六日におこなわれた全国教師指導会において、
「これからいろいろと非常に厳しいこと、大変なこと、そういうようなことが起こってくると思います。わたしはもう覚悟している。大聖人様のですね、こういうお言葉がありましたね。
『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき身にて候』。私はもう、この御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)……しかし、私もまた、その覚悟を持っております……(嗚咽)……のでよろしく……(嗚咽)……私ひとりになっても、守ってまいります」(本紙第71号)
と嗚咽を漏らし、涙を流しながら話した。
だが、一年たったいま、日顕は従ってきた僧侶たちに感謝もしていない。寺院収入を一方的に査定し、必要な寺には資金援助をして、最低限の生活を保証している、なにが不満なのだと、思い上がった日顕はいぶかっているのだ。
日顕ら宗門中枢から見れば、現在、援助に値する末寺は二十余カ寺しかないということだ。
この法華講支部教師指導会終了後、全国正副支院長会議が開かれたが、ここで議題にのぼったのは寺院の等級である。日顕ら宗門中枢は、寺院の等級を見直し、上納金を効率よく集めようとしているのである。
このとき、関東のある寺院に十億円の預貯金があることが話題になったという。だが、その十億円を経済的に困った寺への援助に使おうというのではない。「十億円あれば、一年間に六千万円の利子がつく。月五百万円だ」ということが、ただ単に話題になっただけだ。
いずれにしても、今後とも一部の血族による宗内支配が続くことだけは間違いない。哀れなのは、血族に属していない地方の末寺住職や在勤者である。
日顕は「平等で二十一世紀に開かれた民主主義の宗門、そんなものは大聖人様の仏法の本質じゃない!」と言い放ってはばからない。日顕の専制が今後も延々と続くことだろう。破仏法者である日顕に従った者の地獄は、これから始まるのである。