第237号
発行日:1991年8月25日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
日蓮正宗の機関誌『白蓮華』に邪宗の本が宣伝されていた
祈禱や呪術を書いた本が衆生を救う大秘典とはバカげてる
〈法難シリーズ・第15回〉
日蓮正宗の機関誌であった『白蓮華』の謗法広告は、これまで紹介したもののほかにも数多くある。
「北天」の広告も、日蓮正宗の機関誌に載せるようなシロモノではない。
『白蓮華』第9巻第3号掲載の「祈禱呪術本」(上段)の広告
まず同社は、『祈禱秘記要』という本を宣伝している。宣伝文には次のようにある。
「本書は祈禱界無二の寶典にして、祈禱修法、呪術一切、御符一切、すべて祈禱の要訣をせるものにして實に衆生救護の大秘典也本書あれば如何なる祈禱法も爲し得らるべし從來秘して傳へずと云へる非文明の沙汰を破りて本書出でたり」
「本光院編」ということだから、どこかの邪宗の寺で作られたのだろう。「祈禱修法」「呪術一切」「御符一切」が書いてあるようで、この本が「衆生救護の大秘典」を自称しているのには、顔をしかめざるをえない。
日蓮正宗の僧侶は、邪法邪師の本を自宗の機関誌で宣伝させ、お金をもらっていたのだ。貧すれば貪するというが、あまりに浅ましい姿である。
『説百座要集』という本の広告も出ている。宣伝コピーを読めば、どうやら説法のタネ本のようである。このタネ本を買った日蓮正宗の僧が、浄土宗、禅宗などの坊主とまったく同じエピソードを引きながら、日蓮大聖人の仏法を宣揚している情景を想像すると、なんともおぞましいものを感ずる。
創価学会が出現する以前の日蓮正宗の僧は、この程度であったのだ。
これらの広告は、大正三年三月発行の『白蓮華』などに、先号でご紹介した織物の「御本尊」の広告と一緒に掲載されている。このときの発行人は、日顕上人の実父である阿部法運(のちの第六十世日開上人)である。
このような歴史的事実を見ていけば、創価学会出現前の日蓮正宗が、いかに濁りきったものであったかが充分に理解される。この濁りきった法脈を正し、日蓮大聖人の仏法を蘇らせたのは、言うまでもないが創価学会であった。
かつて貧しかった時代には謗法を排除することもできなかった僧侶たちが、いま創価学会の寄進により裕福になると、ベートーベンの歌すら謗法であるとして創価学会員に歌うなと「指南」する。
日蓮正宗の僧は、信徒をいじめるときだけ謗法厳戒を口にするのである。その証拠に、塔中坊の根檀家に対しては、どんなに謗法まみれであってもなにも言わない。日蓮正宗の僧侶たちは、黙って供養する者には実に甘いのだ。
ここに日蓮正宗僧侶の本質があらわれていることを見逃してはならない。彼らは、日蓮大聖人の仏法を信徒支配の道具に使っているだけなのである。信徒に向かって声高に「正法正義」を述べるとき、その裏には信徒支配の欲望のあることを見抜くべきだ。
もう一つ謗法広告を紹介しておこう。
「丸岡衛生堂」より発売されている「六神丸」という薬の宣伝である。大正二年五月発行の『白蓮華』に掲載されている。
『白蓮華』第8巻第5号掲載の邪宗推薦の「薬」の広告
「丸岡衛生堂」はこの「六神丸」を宣伝するにあたり、「大谷派議制局ヨリ賞讃書賜」と記したり、「本派本願寺事務所」「本山本法寺貫主伊藤日修猊下」より賞讃されたことを宣伝文句にしている。ここで紹介したカギカッコ内の文字は、広告の中でずば抜けて大きく書かれている。
日蓮正宗の機関誌が、東本願寺や日蓮宗他派に賞讃されていることをわざわざひきあいに出した広告を掲載するとは、日蓮正宗もナメられたものだ。
『白蓮華』にはこのたぐいの宣伝が、これでもかこれでもかと掲載されている。
ちなみに、『白蓮華』を発行していた「白蓮華社」は総本山大石寺内にあった。