第3号
発行日:1991年1月3日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
日顕上人猊下が直々に、フリーライターの段勲に
マスコミによる創価学会攻撃を依頼された
昨年の宗会(十二月二十六日・二十七日)の直前の二十五日、日顕上人猊下は、創価学会の批判記事を書き続けてきたフリーライターの段勲に直接、本山内で会われた。
この会談には、段の兄であり日蓮正宗本応寺(群馬県)の住職である高橋公純ほか二名が同席した。
猊下の側近にきわめて近い情報筋によれば、会談は、二時間になんなんとする長時間にわたり、かなり突っ込んだ話し合いが持たれたということだ。
伝えられる会談の内容は次のとおり。
◇猊下は段の長年にわたる創価学会批判の労をねぎらい、今後、創価学会および池田大作創価学会名誉会長への批判を、いっそう強めてくれることを依頼、段もこれを快諾した。
◇猊下はさらに、段一人だけではなく、あらゆる反学会ライター及び出版社、各勢力、各政党の学会批判への動員を希望。段は明年(平成三年)が統一地方選であることからして、与野党および大手出版社こぞって創価学会、公明党批判に流れ込む可能性を示唆。みずからが年明け早々、あらゆるマスコミ媒体において先鞭をつけることを約した。
◇猊下は、池田名誉会長を破門し創価学会を解体する具体的な戦術について細かく述べた上で、段に助言を求めた。
◇猊下は出席した一同に反池田・反学会勢力の結集と共闘を求め、一同はその盟を約した。
◇猊下は同席した高橋公純にも、宗内の親猊下の若手僧侶のリーダーとしての活躍を期待していると表明。兄弟そろって搦め手より池田名誉会長及び学会を攻撃することを督励された。また高橋の海外布教に対する意識の高さを誉められ、将来いっそうの活躍の舞台が待っているだろうと激励された。
会談は終始なごやかな中にも、実に真剣かつ具体的におこなわれた模様である。
同席したほかの二名について、情報筋は、いま公表すればあまりに影響が大きいとして、その名前を明かさなかった。しかしその点について「反学会勢力の結集と共闘を求められ、一同がその盟を約した」点に注目すべきだとのみ重ねて述べ、人物の特定を避けた。
ともあれ一宗の法主が、マスコミ人に直々に信徒団体の攻撃を依頼したということは、異常な出来事と言わなければなるまい。かつそれが、創価学会を解体するという一大戦略に基づいておこなわれたとなれば、事の是非をめぐって宗内に論議が沸騰することは間違いない。
しかしその場合、自由な宗内論議を期待しようにも、昨年十二月の宗規変更により「管長」に対する「批判」が処分の対象になるということが、大きな足かせとなってくる。
この宗規変更が池田名誉会長の破門、創価学会の解体という戦略上の布石としておこなわれたのであれば、これは最も憂慮される事態といわなければならない。戦略の始めにまず言論統制のレールが敷かれたことになるからだ。
これらの戦略が、日蓮正宗内部の猊下側近によってのみおこなわれてきたとは考えられないことを指摘する向きもある。となれば、宗門外の創価学会に恨みを持つ策士が、なんらかの形で参画していることも考えられる。
ともあれ猊下が直接マスコミ人に自宗の信徒団体の攻撃を依頼したことは、日蓮正宗史に一大汚点を残したことは間違いない。