一章 謀計発覚
第15号~第49号
(1991年1月15日~同年2月18日)
- 第1号 1991年1月1日
日蓮正宗自由通信同盟
『地涌』創刊の御挨拶 - 第2号 1991年1月2日
日蓮正宗自由通信同盟
令法久住を願う日興上人の御心に叛くのか
昨年12月の宗規の変更は御遺誡に違背している - 第3号 1991年1月3日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人猊下が直々に、フリーライターの段勲氏に
マスコミによる創価学会攻撃を依頼された - 第5号 1991年1月5日
日蓮正宗自由通信同盟
アメリカの信徒組織(NSA)を取り込もうとした
猊下の御言葉は果たしてあったのか、なかったのか - 第6号 1991年1月6日
日蓮正宗自由通信同盟
まんまと操作情報に乗せられた宗門中枢
いまだに創価学会最高幹部の“大量造反”なし - 第7号 1991年1月7日
日蓮正宗自由通信同盟
猊下が創価学会の切り崩しを直接指示された
本当に大丈夫なのか、宗門中枢の危機管理能力が問われる - 第9号 1991年1月9日
日蓮正宗自由通信同盟
段勲記者が『週刊文春』で苦しい言いわけ
なぜ猊下との極秘会見の真実の内容をひた隠すのか - 第10号 1991年1月10日
日蓮正宗自由通信同盟
『週刊文春』の段記者の記事は締切直前に書き直された
そこまでして日顕上人猊下との話をなぜ隠す - 第14号 1991年1月14日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人猊下は教師指導会で自分の体面を保つために
守ってくれた『週刊文春』と段記者をコケにした - 第15号 1991年1月15日
日蓮正宗自由通信同盟
「C作戦」は創価学会の組織を切り崩すために練られた
大法弘通を忘れた宗門中枢にあるのは支配欲だけだ - 第16号 1991年1月16日
日蓮正宗自由通信同盟
機密の「C作戦」を洩らした宗門海外部書記の福田毅道は
とうとう免職され自宅謹慎を命じられてしまった - 第17号 1991年1月17日
日蓮正宗自由通信同盟
宗会直前の12月25日、猊下、高橋、段記者と共に
創価学会攻撃の話し合いをした者の名を明かす - 第18号 1991年1月18日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人猊下が創価学会の切り崩しを期待した
藤原行正の私兵・押木は「勤行をしていない」と大橋敏雄 - 第19号 1991年1月19日
日蓮正宗自由通信同盟
大橋敏雄が国会に提出した「質問主意書」は山崎正友の代作
藤原行正、押木二郎、段勲記者がそれをバックアップ - 第20号 1991年1月20日
日蓮正宗自由通信同盟
藤原行正は息子を創価学会会長にしたいばかりに
暴力団幹部に池田名誉会長の殺しを依頼した - 第21号 1991年1月21日
日蓮正宗自由通信同盟
12月25日の創価学会攻撃の御指南は間違っている
それを認め謝罪しなければ人心は離れるばかりだ - 第23号 1991年1月23日
日蓮正宗自由通信同盟
宗門の軍師を自認する高橋の書いたとされる「所感」
その煽動的な現状分析の真実の作者はいったい誰か - 第25号 1991年1月25日
日蓮正宗自由通信同盟
1月24日、本山で行われた緊急の代表者会議の内容は
今更ながらの内部結束の呼びかけであった - 第26号 1991年1月26日
日蓮正宗自由通信同盟
日蓮正宗の僧俗ともに誇るべき法難史について
藤本日潤総監は「真実かどうかわかりません」と答えた - 第27号 1991年1月27日
日蓮正宗自由通信同盟
藤本日潤総監は戦中の「神札問題」を避けている
「創価学会の歴史と確信」すら無視しようというのだ - 第31号 1991年1月31日
日蓮正宗自由通信同盟
新しく移ったとされる池田問題対策事務所の電話は
殺人依頼をした藤原行正に関係のある会社の中にあった - 第32号 1991年2月1日
日蓮正宗自由通信同盟
日蓮正宗宗務院は昭和17年10月10日に
伊勢神宮を遥拝するように「院達」を出していた - 第33号 1991年2月2日
日蓮正宗自由通信同盟
創価教育学会幹部が神札を拒否して獄に繋がれている時
日蓮正宗は学会を見捨てた上に神社参拝を通達した - 第34号 1991年2月3日
日蓮正宗自由通信同盟
日蓮正宗報国団は檀信徒を挙げての戦争協力だった
そこでは天皇の伊勢神宮参拝も「恐懼感激」された - 第36号 1991年2月5日
日蓮正宗自由通信同盟
宗門は困窮のあまり総本山の観光地化計画を進めた
それを阻み登山会を始めたのは戸田創価学会会長だった - 第37号 1991年2月6日
日蓮正宗自由通信同盟
裁く資格もない者が僧というだけで傲然と信徒を処分する
僧侶の罪は見逃され、厳しく裁かれるのは信徒ばかりだ - 第41号 1991年2月10日
日蓮正宗自由通信同盟
創価学会は小笠原慈聞の僧籍への復帰を
気配として感じ宗門の将来を案じて追及を始めた
〈逢難シリーズ・第1回〉 - 第42号 1991年2月11日
日蓮正宗自由通信同盟
僧籍にないことを確認されていた小笠原が
事件の「直前」になぜ急に僧籍に復帰したのか
〈逢難シリーズ・第2回〉 - 第43号 1991年2月12日
日蓮正宗自由通信同盟
信徒を罰するためにはどんな捏造もする
こんな堕落した僧侶は糾さなければならない
〈逢難シリーズ・第3回〉 - 第44号 1991年2月13日
日蓮正宗自由通信同盟
猊下の怒りを背景に僧侶は創価学会を圧迫した
師子身中虫は勢いづきマスコミは記事を捏造した
〈逢難シリーズ・第4回〉 - 第45号 1991年2月14日
日蓮正宗自由通信同盟
宗会は証人の尋問も本人の弁疏もさせず
秘密会をもつて一方的に重大処分を決定した
〈逢難シリーズ・第5回〉 - 第46号 1991年2月15日
日蓮正宗自由通信同盟
仏恩広大にして逆縁の輩、日蓮正宗の僧と顕われ
唯一人の大信者をそねみ恨む、習性恐るべし
〈逢難シリーズ・第6回〉 - 第47号 1991年2月16日
日蓮正宗自由通信同盟
人々のために働く創価学会員こそ真の僧
この創価学会の結合を破る者には必ず罰がある
〈逢難シリーズ・第7回〉 - 第48号 1991年2月17日
日蓮正宗自由通信同盟
小笠原は人生の終章で戸田会長に敬服した
その小笠原を目覚めさせたのは狸祭事件の強折だった
〈逢難シリーズ・第8回〉 - 第49号 1991年2月18日
日蓮正宗自由通信同盟
僧侶たちは布教をしないので権威だけが頼り
その為に猊下の名でウソをつき信徒を処罰する
〈逢難シリーズ・第9回〉