報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十三章 権威けんい瓦解がかい

地涌オリジナル風ロゴ

第775号

発行日:1994年6月20日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

酒にやられてにわかに断酒した日顕が宗内に禁酒を説く
ご都合主義でクルクル代わる本性は「訓諭」にも顕れている
「出家」考①

日蓮正宗にあるのは、慈悲ではなく恨みである。恨みが、宗門の基底部に横たわっている。その恨みを、もっともよく体現しているのが、日顕とその一族である。

それでは、宗門の基底部に横たわっている恨みとはなんであろうか。恨みとは、世間に対する恨みである。かつては、みずからを、はたまた父母を痛めつけ虐げてきた世俗の社会を恨んでいるのである。恨みは、在家を差別する根源の力となっている。

出家とは出世間であり、家を出るとは世俗の大きな価値である家を捨て去ることである。封建時代にあっては、家を守ること、すなわち存続させるためには、みずからの命を捨てることも厭わなかった。

したがって、家は世俗における最高価値の一つであり、家を捨て去ることは、世俗の価値観を超克することでもあった。

さらに家を出ることは、血に基づく執着に発する悩み苦しみを絶つことであり、換言すれば父母、妻あるいは夫、子という血縁に由来する愛別離苦と決別することであった。

このことは、みずからの業を断ち切る意味をも持った。同時に家を出、妻子眷属と離別することは、身軽法重を心得る僧分として、避けて通ることのできない最初の試練であった。

言うまでもないが、その試練は大乗仏教にあっては、衆生済度に向けてのものであった。結局のところ、業を断ち己が仏果を求め、衆生済度に立ち上がることが出家、得道の本義なのである。

日蓮大聖人曰く。

「夫れ出家して道に入る者は法に依つて仏を期するなり」(立正安国論)

【通解】出家して僧となる目的は、仏法を修行して仏の境界を悟ることである。

重ねて日蓮大聖人曰く。

「世間法とは全く貪欲等に染せられず、譬えば蓮華の水の中より生ずれども淤泥にそまざるが如し、此の蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり、地とは法性の大地なり所詮法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり」(御講聞書)

【通解】「世間の法に染まらず」とは、まったく貪欲等に染められないことで、たとえば蓮華は泥水の中から生じているけれども、汚い泥に染まらないようなものである。この「蓮華」というのは、地涌の菩薩にたとえられている。「地」とは法性の大地である。結局、法華経の行者は蓮華が泥水に染まらないようなものである。ただ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通することを根本とするのである。

だが、現実の出家は道念に依らず、その動機は種々様々、なかんずく世間(社会)に対する“恨”“厭”によるものが多かった。なかには、厭世的な動機にあるようなものでも、つきつめれば世間(社会)に対する恨みが真因であるものも決して少なくはない。

『平家物語』には、平清盛の愛でた二人の白拍子(祇王と仏御前)の話が収められている。なお、白拍子とは男装で歌い舞う遊女のこと。

平清盛の寵愛を一身に受けていた祇王が、同じ白拍子の仏御前の出現により清盛に疎んじられ、祇王は館の外に出される。おまけに、耐えがたい恥辱を受け、祇王は死すら思いつめる。しかし、母の説得で思い止どまり、祇王とその母、妹は出家し尼となる。

その数年後、祇王に変わって清盛に可愛がられていた仏御前も、自分も先々にあっては祇王と同じ運命にあると考え、無常を感じて仏門を志し、祇王ら母子の庵を訪ねる。

このときの仏御前の心情は、『平家物語』に次のように綴られている。

「つくづく*物を案ずるに、娑婆の榮花は夢の夢、樂しみ榮えて何かせん。人身は受け難く、佛教には會ひ難し。この度泥梨に沈みなば、多生曠劫をば隔つとも、浮び上らん事難かるべし。老少不定の境なれば、年の若きを頼むべきにあらず。出づる息の入るをも待つべからず。かげろふ稲妻よりもなほはかなし。一旦の榮花に誇つて、後世を知らざらん事の悲しさに、今朝まぎれ出でてかくなりてこそ参りたれ」(角川書店発行『平家物語』より)
【現代語訳】つくづく考えてみますと、俗世間の栄華は夢のまた夢のようなはかないもので、富み栄えても何になりましょうか。人間としてこの世に生まれてくることは難しく、また、たとえ人間として生まれてきても、仏教に巡り会って成仏することは難しいと聞いています。ひとたび地獄に堕ちてしまえば、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天という六道を輪廻しながら長い年月を隔てようとも、その地獄から浮かびあがることは難しいことです。歳が若いからといってあてにしてはいられません。この世は、老いた者が早く死に、若い者が遅く死ぬとは決まっていない世界です。吐き出す息を吸い込むほどの間をも死は待っていてはくれません。陽炎や稲妻よりも、もっとはかないのが人生です。一時の富貴を誇って、来世のことを知らないことの悲しさにやりきれなくなり、今朝、平清盛邸を紛れ出て、このような姿になってまいりました。

この仏御前が出家しようとする動機は、無常観による厭世的なものである。先に出家した祇王ら母子の出家の動機は、世間に対する恨みであり、両者の動機には隔たりがある。

『平家物語』の作者は、仏御前のほうが出家の動機としては上等であると見ているようで、そのことを祇王に、次のように語らせている。

「わらはが尼になりしをだに、世にあり難き事のやうに、人もいひ、我が身も思ひ候ひしぞや。それは世を恨み、身を歎いたれば、樣をかふるも理なり。わごぜは恨みもなく歎きもなし。今年はわづかに十七にこそなりし人の、それ程まで、穢土を厭ひ淨土を願はんと、深く思ひ入り給ふこそ、まことの大道心とは覺え候ひしか。嬉しかりける善知識かな。いざ諸共に願はん」(同)
【現代語訳】私たち(祇王とその母親、妹)が尼になりましたことを、世間に例がないことのように人も言い、また自分もそう思っていました。しかし私たちが尼になったのは、世を恨み、我が身を恨んでのことでしたので、剃髪して出家し姿を変えるのも道理です。今、あなた(仏御前)の出家に比べますと、ものの数ではありません。あなたの場合は、ほかの何に対しての恨みもなく、我が身の嘆きもありません。今年ようやく十七歳になる人が、このように穢土(現世)をいとい、浄土を願おうと、深く思い入れなさることは、本当に立派な、仏に帰依する信仰心であると思われます。あなたは私にとってうれしい善知識です。さあ、一緒に浄土を願いましょう。

平清盛という、時の最高権力者の気まぐれに人生を翻弄された二人の白拍子は、ここで、ともに仏門を目指すのだが、世間(社会)との関わりは極めて消極的で、念仏という大乗仏教に縁しながら、求めるところは己の仏果にとどまり、小乗教的ですらある。

ともあれ、この『平家物語』の話により、出家の動機に、“恨”と“厭”があることが理解される。だが、このいずれも世間(社会)を仏道修行の対極に位置づけ世間を厭離しており、仏教本来の使命である衆生済度の視点に欠けている。

日蓮大聖人曰く。

「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諫暁八幡抄)

【通解】いま日蓮は、去る建長五年四月二十八日から今年の弘安三年十二月に至るまで、二十八年の間、他事は一切なく、ただ、妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする慈悲と同じである。

祇王と仏御前に衆生済度の願いがなかったのは、出家の動機が世間に対する“恨”と“厭”であり、慈悲ではなかったからである。

日蓮大聖人曰く。

「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝)

【通解】一切衆生の種々さまざまな一切の苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。

民衆と同苦する慈悲心あればこそ、民衆救済の願業が心に涌き起こる。日蓮大聖人の仏法に縁し出家せんとする者は、日蓮大聖人と志を同じくし、民衆への大慈悲心をもって出家の動機とするべきである。

出家の動機が慈悲であれば、日興遺誡置文にある、「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し」は、現代にあっても生きた規範となり、決して死文化することはない。

聖僧について、日蓮大聖人は非聖僧と対比して、明確に仰せになっている。

「世末になりて候へば妻子を帯して候・比丘も人の帰依をうけ魚鳥を服する僧もさてこそ候か、日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず」(四恩抄)

【通解】世が末になったので、妻子を持っている比丘も人の帰依を受け、魚や鳥を食べる僧でも人の帰依を受けるのであろう。だが、日蓮はそうした妻子を持たず、魚や鳥をも食べない。

この御金言を拝せば、日蓮大聖人の弟子を任ずる僧分にあって、完成すべき人間像としての聖僧が、より具体的に理解されるのである。

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