報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十九章 菩薩ぼさつ涌出ゆじゅつ

地涌オリジナル風ロゴ

第688号

発行日:1993年8月20日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

“元冦”以来の他国侵逼難である第二次世界大戦は
日蓮大聖人の血脈を継ぐ“法華経の行者”の存在を暗示する
〈仏勅シリーズ・第2回〉

創価学会の牧口常三郎初代会長が法華経を信ずるが故に難に逢い、獄死したのは昭和十九年十一月十八日、戸田城聖第二代会長が九死に一生を得て出獄したのは、昭和二十年七月三日のことであった。

一方、大石寺第六十二世の日恭が仏罰を蒙り、無惨な焼死をしたのは、昭和二十年六月十七日のことであった。

いずれも、第二次世界大戦のときである。天皇を万世一系の“現人神”と敬い、国を挙げて国家神道に染まり、好戦的思想をもってアジア諸国への侵略を日本はおこなった。

その結果、日本は昭和二十年八月十五日の敗戦を迎えるのであるが、戦争が始まる前も、最中も、後も、日本の時代相は地獄絵をそのまま写したかのような悲惨さであった。

徴兵された者は戦地にあって、好むと好まざるとにかかわらず人を殺し、自身も日々、死の恐怖にさらされた。将兵を襲ったものは戦禍だけではなく、飢え、疫病も生命を奪った。その苦しみは、一般国民も同様であった。

この第二次世界大戦による苦しみは、日本国民だけではない。日本の侵略による兵火はアジアの諸国におよび、ヨーロッパもナチスドイツの侵略により人々は塗炭の苦しみを受けていた。世界全体が地獄の様相を呈していたのである。

この世界大戦、それにともなう民の苦しみの本源的原因はどこにあるのだろうか。

日蓮大聖人、立正安国論に曰く。

「倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」(立正安国論)

【通解】いま、おそれおおくも、わずかに眼を開いて、少しばかり経文を開いてみるのに、世の中は上下万民あげて正法に背き、人びとは皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰って来ない。ために善神、聖人にかわって、魔神、鬼神が来、災いが起り、難が起るのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。

あらゆる災いは、“世皆正に背き人悉く悪に帰す”故に起こると、御本仏は仰せになっている。

日蓮大聖人は、この文の後、金光明経、大集経、薬師経、仁王経などの経を挙げて、世に災厄が起こる真因を示されている。

日蓮大聖人が立正安国論で示された経の一つ、大集経には次のように説かれている。

「若し国王有つて無量世に於て施戒慧を修すとも我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失して其の国当に三の不祥の事有るべし、一には穀貴・二には兵革・三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば其の王教令すとも人随従せず常に隣国の侵にょう*する所と為らん、暴火横に起り悪風雨多く暴水増長して人民を吹ただよわ*し内外の親戚其れ共に謀叛せん、其の王久しからずして当に重病に遇い寿終の後・大地獄の中に生ずべし、乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復た是くの如くならん」(同)

【通解】もし国王があって無量世にわたって布施を行じ、戒律をたもち、智慧を習得しても、正法の滅するをみて、捨てて擁護しないならば、このようにして修行して植えてきた計り知れないほどの善根も、皆ことごとく滅し去って、その国に三つの不祥事が起るであろう。その三大不祥事とは、一には穀貴で民衆が苦しみ、二には兵革、すなわち戦争であり、三には疫病である。

このようなときには、いっさいの善神がことごとくその国土を捨てて離れてしまうので、その国の王がいかに教令しても、いっこうに国民がそれに随従しないばかりか、つねに隣国の侵略を受けるであろう。そのうえ、よこしまに猛烈な大火災が起こり、悪風雨があって河川が氾濫し大洪水となり、多くの人民を吹き飛ばし押し流す。そして、王の内親も、外戚も、ともに謀叛を起こすであろう。その王はまもなく重病にかかり、死んでのち大地獄のなかに生ずるであろう。王と同じく夫人、太子、大臣、城主、柱師、郡守、宰官たちも、みな王のように地獄へ堕ちるであろう。

正しき仏の法に随従しなければ、あらゆる災難が起きる。その災難を仏法では三災と七難に分類している。

立正安国論に示された“世皆正に背き人悉く悪に帰す”という世情となれば、三災七難が起こるということは、仏法において動かし難い理である。

だがこの理も、正法を弘める“法華経の行者”との相関において捉えられなければならない。

立正安国論に貫かれている理も、末法の御本仏日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼を折伏された、まさにその“諫暁の書”に記されているからこそ、いっそう重要な意味をなすのである。仏法における理は、“法華経の行者”の弘法を目的とした行動によって揺動し威力を持つといえる。

仏法においては、理あるいは法が、行者(信じ行ずる人)を無視して一人歩きすることはなく、法と人とは常に密接不可分なものとなっており、その法と人との関係が、天地を動かし世相を左右させる。

すなわち、正法正師が国を安穏にし民の幸せを与え、悪法悪師が国を滅ぼし災厄を招く。悪法悪師が世に災いをもたらすことについて、日蓮大聖人は、次のように仰せになっている。

「彼の悪僧等・正法の人を流罪・死罪に行いて王の后・乃至万民の女を犯して謗法者の種子の国に充満せば国中に種種の大難をこり後には他国にせめらるべしと・とかれて候」(瑞相御書)

【通解】「『彼等悪僧たちが、この正法の僧を流罪・死罪におこなった上、王の后をはじめ、一般庶民の女性までも犯して謗法者の種子が国中に充満するであろう。そしてそのために国中に種々の大難が起こり、やがて他国から攻められる』」と説かれている。

「今日本国も又かくのごとし、彼の六人が僻見に依つて今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり・後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入るべし」(浄蓮房御書)

【通解】今日本国もまた同じようである。彼の六人の僻見によって、今生には守護の善神に捨てられて三災七難の国となり、後生には悪業の果てによって皆で阿鼻大城の炎に焼かれるであろう。

「今の日本国の諸僧等は提婆達多・瞿伽梨尊者にも過ぎたる大悪人なり、又在家の人人は此等を貴み供養し給う故に此の国眼前に無間地獄と変じて諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる上他国より責めらるべし、此れは偏に梵天・帝釈・日月等の御はからひなり」(弥三郎殿御返事)

【通解】今の日本国の諸僧等は、提婆達多・瞿伽梨尊者にも過ぎる大悪人である。また在家の人々はこれらの僧を尊び供養している故にこの国は、眼前に無間地獄と化し、人々は現身に大飢渇、大疫病など先代にない大苦を受け、そのうえ他国より攻められるであろう。これはひとえに梵天、帝釈、日月等の御はからいなのである。

さらには、真実の“法華経の行者”が存在し、師子吼することにより、悪は際立ってくる。悪は勢いを盛んにし、“法華経の行者”を迫害する。その結果、三災七難が恐ろしいほどに競い起こるのである。

「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬 巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」(立正安国論)

【通解】旅客が来て嘆いていうには、近年から近日にいたるまで、天変、地夭、飢饉や疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。牛馬はいたるところに死んでおり、その死骸や骸骨が道路にいっぱいに満ちている。すでに大半の者が死に絶え、これを悲しまない者は一人もなく、万人の嘆きは、日に日につのるばかりである。

この立正安国論冒頭の描写は、国が悪師を用いたが故に起きた災難である。だがこの場合、真実の“法華経の行者”たる日蓮大聖人出現との関係を無視すべきではない。この極限的な悪世は、悪師を用いたのみならず、正師たる日蓮大聖人を用いなかったことによって起きていたのである。

日蓮大聖人がくに*を救済する目的で、立正安国論をもって鎌倉幕府を諫暁したが、それに怒り、幕府権力は日蓮大聖人を迫害する。これによって、いまだ起こっていなかった自界叛逆難、他国侵逼難が現実のものとなった。

日蓮大聖人は、末法の御本仏たる御自身と三災七難、とりわけ自界叛逆難、他国侵逼難の関係について、次のように仰せになっている。

「夫れ以れば一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理・諸天善神の威食なり之を信受するに於ては何ぞ七難来り三災興らんや、剰え此の事を申す日蓮をば流罪せらる争でか日月星宿罰を加えざらんや」(平左衛門尉頼綱への御状)

【通解】思うに、一乗妙法蓮華経は諸仏の正覚の極理であり、諸天善神の威力を増す好みの食である。故に、これを信受する人の所に、どうして七難が来たり、三災が起こるであろうか。ところが、このことを訴えた日蓮を流罪にされた。どうして日月星宿(諸天)が罰を加えないことがあるだろうか。

「或はくびをきり或はながさればととかれて此の法門を涅槃経守護経等の法華経の流通の御経にときをかせ給いて候は此の国をば梵王帝釈に仏をほせつけてよりせめさせ給うべしととかれて候されば此の国は法華経の大怨敵なれば現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給うか教主釈尊の日蓮がかたうどをしてつみしらせ給うにやよもさるならば天照太神正八幡等は此の国のかたうどにはなり給はじ日蓮房のかたきなりすずにてなをわかし候はんとぞはやり候らむいのらばいよいよあしかりなんあしかりなん」(現世無間御書)

【通解】「……あるいは首を切られ、あるいは流罪にされる」と説かれて、この法門を法華経の流通分である涅槃経・守護経等の御経に説き置かれていることは、この国(日本国)を大梵天王・帝釈天王に仏が命じて(他国から)攻めさせる、とある。したがって、この国は法華経の大怨敵であるから、現在世に(未来世に堕ちるべき)無間地獄の大苦悩を少し試されたのであろうか。

また、教主釈尊が法華経の行者である日蓮の味方をして厳しく知らされたものであろうか。もしそうであるならば、天照大神・八幡大菩薩等はこの日本国に味方にはなられないであろう。日蓮房の敵だ、と錫で湯を沸かすように勇み立っていることであろう。したがって、(邪法で)祈るならば、ますます悪いことになるであろう、悪いことになるであろう。

「日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天、帝釈、日月、四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし」(種種御振舞御書)

【通解】日蓮が幕府のご勘気を蒙るならば仏のお使いを用いないことになるだろう。その結果、梵天・帝釈・日天・月天・四大天王のお咎めがあって、日蓮を遠流か死罪にしたのち、百日・一年・三年・七年の内に、自界叛逆難といって北条一門に同士打ちがはじまるであろう。そののちは他国侵逼難といって四方から、ことに西方から攻められるであろう。

これらの日蓮大聖人の御聖訓を拝すれば、末法の御本仏日蓮大聖人を迫害したからこそ御在世当時に、自界叛逆難、他国侵逼難が起きたことは明白となる。真実の“法華経の行者”を迫害すれば、飢饉、戦争、疫病が世を覆い、七難が競うことは疑いない。

ひるがえって昭和の時代を見るとき、日蓮大聖人御在世を凌ぐ三災七難が起きている。とりわけ他国侵逼難は、御在世を超える規模であった。日本の歴史を振り返って見るに、本格的な他国侵逼難は、御在世当時の文永の役、弘安の役と、昭和の時代の第二次世界大戦のみである。

日蓮大聖人御在世同様の他国侵逼難があったということは、第二次世界大戦下の日本に“法華経の行者”がおり、折伏に専心し迫害を受けていたということを強く示唆している。

では“法華経の行者”は何処にいたのであろうか。日蓮大聖人の弟子を自認する者であれば、誰しもが求めて師と仰ぎ、教えを乞いたい思いにかられるであろう。

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