報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

九章 破門はもん空言くうげん

地涌オリジナル風ロゴ

第314号

発行日:1991年11月10日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

権威権力の亡者と化した者が居座りつづけるのを恐れてか
日亨上人は法主・管長の任期を七カ年と決められていた
〈法難シリーズ・第31回〉

日顕一派が創価学会に対して、自慰的行動ともいえる「解散勧告書」を送りつけたことによって、その論評のため〈法難シリーズ〉を中断したことをお詫びいたします。

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昭和二年、総本山第五十九世日亨上人は、宗内に退座の決意を示して、「告白」と題する一文を記された。その「告白」のうち、「第一、管長となりし因縁」については、「法難(第三十回)」(本紙第311号)で述べた。今号は、「第二、管長の任期」と章題がつけられた箇所について学びたい。

日亨上人は法主の任期の標準として、「七ケ年」程度が妥当と見られていたことについて述べられている。

「法主は、上世には無期限とも云うべき長期であった。中世には不文ながらも短期限であった。此等は何の故と云う事はない。時の事情が然らしめたのである。明治三十三年、分離独立の新宗制には無期限としたが、事実は然かく行われてない。そこで予が代に暫定して七ケ年とした。無論法主の任期も此に伴なうのである。

七ケ年の推定期は徳川時代より明治、大正までを統計して得た平均治世年であって、将来本宗の僧数が倍加せざる限りは、先ず此を標準期として差し支えなかろう」(「告白」)

日亨上人は、管長の任期は七カ年程度が妥当とお考えになっていたのだ。管長の任期が七カ年ということは、法主の任期も七カ年ということだ。現在の日蓮正宗の実態を見ると、任期が定められていた当時の宗制宗規のほうが近代的だったと思える。

どうやら現在の日蓮正宗は、法主の座を変に神秘化しすぎたために、みずからの腐敗と堕落と硬直化をもたらしてしまったようである。

日亨上人は、前出の文に引きつづき、自分の任期について筆を進められている。

「敢て自分の代に制定したから自分が七ケ年を不退に勤むると云う意味は毛頭加わってないのである。

候補者になり得る某老僧が、堀が七年も勤むれば自分等は到底管長になる時が来ぬから、三年又は四年位が至当であろうと云われたとの噂があった。此は噂だけでも抱腹絶倒の至りである。又其れほど予を知らぬ人ばかりでもないが、セメて御遠忌までは勤むるであろう。今一、二年御遠忌計画の成るまでは勤むるであろうと思われたとの事である。

御尤の至りであるが、第一に云える予の根本思想を知らぬ人の御考えであって、随時随所に出現せし予の発作的の幻影にのみ囚われたのであろうが、其にしても一同を惑わした事になるならば謹んで御詫びを申し上ぐる」(同)

日亨上人が登座一年八カ月余という短期間にして、この「告白」という文書をもって最終的に辞意を表明されたことについて、宗内は意外な思いで聞いたであろうことは、容易に想像がつく記述である。

それにつけても、日亨上人が退座されることを、首を長くして待っていた老僧たちがたくさんいたようだ。老僧は、自分の齢と日亨上人が管長である期間とを指折り数え、日亨上人の退座と自分の寿命の切れるのと、どちらが早いかを心配しながら、一日千秋の思いで自分の登座の日を待っていたのだ。

猊座への欲望をギラつかせた老僧たちが、現法主の退座と自分たちの齢とを比べ数えているのを想像すると、なぜか何歳になっても断ち切れぬ妄執を見るような思いにかられる。度しがたい老僧たちである。

現在の日蓮正宗においても、純真な創価学会員とは似ても似つかぬ思いで、日顕の退座を願っている老僧たちがいる。猊座への欲望が深ければ深いほど日顕にすり寄り、オベッカを使っているのだろう。

その者たちは夜、自坊に帰ると日一日と疲労の色が濃くなる日顕の姿を思い起こしては、退座の日の近いことを予感し、ほくそ笑んでいるのではあるまいか。

日顕は、日ごとに蓄積する疲労と忍び寄る死とともに、宗内でますます孤立していくだろう。今後、そばにいる者たちは、口とは裏腹に日顕の退座だけを考え、死に行く昆虫を観察するような目で、実に冷静に日顕の弱りゆく様を見ていくことだろう。

日顕を取り巻くすべての者が、もはや面従腹背の心境となっている。日顕も、そのことを痛切に感じているようだ。

去る十一月六日の日開上人満山供養のとき、日顕はある僧侶らに向かって、「おまえたちは、どうせ面従腹背だろう」と言ったと伝えられる。日顕の疑心暗鬼と孤独感は、今後いっそう強まっていくにちがいない。

創価学会の破壊を策謀した日顕一派が「還著於本人」の姿を現じ、四分五裂となっていく日は近い。師僧日顕と弟子らのあいだも、離間される。

家族友人葬のパイオニア報恩社