報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

八章 仏子ぶっし哄笑こうしょう

地涌オリジナル風ロゴ

第308号

発行日:1991年11月8日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

総本山六十世日開上人の行躰はすこぶる乱れたものがあり
日蓮正宗ナンバー2の総務職にある時に隠し子を作っていた
〈法難シリーズ・第27回〉

日顕の父・総本山第六十世日開上人は、大正から昭和初期にかけての日蓮正宗における、猊座をめぐる内部抗争の元凶であった。法難シリーズ(本紙第240号など)で記したように、総本山第五十八世日柱上人を引きずり降ろしたクーデターの黒幕は、日開上人である。

大正十四年、阿部法運(のちの日開上人)は宗門ナンバー2の「総務」の地位にあったが、日柱上人によって辞職させられ、僧階も「能化」より降ろされてしまった。「能化」から降格させられると、法主になる資格がなくなる。阿部法運の失望は、大変なものがあったろう。また、日柱上人に対する恨みも、余人の想像を超えるものがあったのではないだろうか。

阿部法運が総務職を降ろされた表だっての理由は、宗教専門紙『中外日報』(大正十四年六月二十一日付)に掲載された、駒澤大学教授・清水梁山の談話に反論したことによる。清水梁山は当時、「日蓮宗界の学匠」とされていた人物で、身延派の僧籍にもあったようだ。

この清水は、戒壇の大御本尊様を否定する目的で、「祖師の日蓮聖人には、特にこれが本尊だと言って拝む可きものは何も無かったのである」と、日興門流としては決して認めがたい邪説を述べている。

阿部法運が、その清水の弁に反論することは至極当然のことだったが、その反論の内容が、かえって清水らの好餌にされてしまったのである。

阿部法運は、日蓮正宗機関誌『大日蓮』(大正十四年七月号)に、「清水梁山氏を誡む」と題する文を六ページにわたり掲載した。これが日蓮正宗内で問題にされることとなったのだ。

問題にされた箇所の一部を紹介する。

「故に宗祖の玉はく佐渡已前の法門は但だ佛の爾前経と思召せ云云との玉はれて佐渡已前に於ては。専ら只だ禪念佛等を破し玉ひ。眞言(天台眞言を含む)等には及び給はぬ」

「宗祖大聖人佐渡御流罪中は尚身業讀誦中にあらせらるゝを以て。破顯の法門未だ充分に顯はされ給はぬ。従って未だ三大秘法の名目すら御示しなされてない」

日蓮大聖人が佐渡以前において、禅念仏ほどでないにしても真言宗への破折をされていることは日蓮門下の常識である。また、竜ノ口の発迹顕本後の佐渡期を「尚身業讀誦中」であるとして、重要法門を明かさなかったという論拠にすることは、はなはだしい妖説といえる。

阿部法運の書いた「清水梁山氏を誡む」という文は、そのほかにも随所に珍論、奇論が述べられている。この阿部法運の論は教義に違背しているばかりか、他の宗派から物笑いの種とされたのだった。日柱上人が、阿部法運を「能化」から降格されたのも無理からぬことであった。

だが、阿部法運を「総務」の職からはずした理由は、法運がこの清水梁山の邪説に反論するにあたり、珍奇な教義違背の論を立てたということだけではなかった。

阿部法運は、日蓮正宗ナンバー2の高僧でありながら、行躰はすこぶる悪かった。阿部法運が総務職から降ろされた理由は、表だっては清水との教義論争に異説をもって臨んだことになっているが、裏には行躰の乱れがあったのである。表の理由は単に口実で、行躰の乱れこそ、職を解かれ、僧階を降ろされた真実の理由と思われる。

それを象徴するのが、阿部法運にまつわる隠し子の問題だ。阿部法運は、総務職にあるとき、隠し子を作っている。大正十一年、法運四十九歳、相手の女性が二十六歳のときである。僧でありながら女犯をした阿部法運は、実に破戒僧だったのだ。

阿部法運は女犯をし、二十三歳も年下の女性に子供を産ませたが、女犯の罪が発覚することを恐れ、生まれた子供を認知もしなかった。この阿部法運が、隠し子を作った六年後、権謀術数の末、日蓮正宗総本山第六十世として登座、日開上人となるのである。

日興上人御遺誡置文に曰く。

「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の犯有りと雖も衆徒に差置く可き事」

阿部法運の行状は、開山上人の御遺誡をも踏みにじるものであった。宗開両祖以来の「正統嫡々の血脈相承」を受けた法主が、女犯をし、隠し子をもうけている破戒僧であったとは、御本仏をあざむくものである。

まさに、時は末法、法主は「法滅の妖怪」とは、このことである。

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