報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(23)」おわりに

狂った法主の身に悪鬼が入る
創価学会は仏意仏勅であることが明らかになる

“法主”の座にありながら、悪鬼入其身の姿を現じた日顕は、その狂刃を仏意仏勅の和合僧団たる創価学会の上に振り降ろしてきた。“法主”の意に随わなければ仏弟子ではないと、宗団を司る最高の権威権力者として、最大の圧力を創価学会員にかけ、あらゆる策謀をもって団結を崩そうとした。

日顕という僣聖増上慢の狂刃を跳ねかえすことができたのは、創価学会員一人ひとりが日蓮大聖人に直結した仏弟子であることを自覚し得たからである。その原動力は、創価学会三代にわたる師弟の系譜が、凡知の及ばない不可思議な絆に裏づけられたものであることを、創価学会員が認識し始めたことに発する。

この、生死を超越した師弟の不可思議な系譜を識ることは、すなわち創価学会が仏教史上稀有の和合僧団であることを悟ることでもあった。御本仏・日蓮大聖人に仏弟子として直結し、池田名誉会長を師と慕い団結し、属するところの創価学会が仏意仏勅の団体であることを創価学会員がこぞって自覚したのである。ここで、戸田城聖第二代会長が魂魄をとどめて著された「創価学会の歴史と確信」の一節が想起される。

「しかるに、こんどは学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。

『教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。しこうして、日蓮大聖人のお教えを身をもってうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読みたてまつり、いっさいの邪宗を破って、かならずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります』

この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫しつつある。これこそ発迹顕本であるまいか」(『戸田城聖全集』第三巻所収)

この戸田会長の一文に接するとき、いまの創価学会が置かれた位置を新たに自覚するものである。自宗団内に僣聖増上慢が登場するといういまだかつてない事態に直面し、創価学会の仏弟子としての自覚はいやがうえにも高まり、創価学会総体はさらなる“発迹顕本”をなしたといえる。

創価学会員は日蓮大聖人の御遺命を拝し、東洋広布のみならず世界広布実現に懸命の戦いをなすべきである。その時は、いまをおいてない。池田名誉会長の世界を駆ける弘法の戦いに、数多の仏弟子が陸続と決起するとき、末法の御本仏日蓮大聖人の仏語は実語となるのである。

「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(種種御振舞御書)

日蓮大聖人に直結する仏弟子の自覚に立ち、無二の師に随い、揺るぎない団結によって、世界民衆を救うときがやってきた。

1993年4月

家族友人葬のパイオニア報恩社