報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(20)」おわりに

日顕は極楽寺良観と酷似している
その本性はウソつきの遊び好きだ

日蓮大聖人御在世の折、鎌倉・極楽寺に良観という邪僧がいた。良観は大聖人に敵対し度重なる悪逆非道をなした。建治元(一二七五)年三月、その良観の極楽寺から出火し、鎌倉御所にも延焼、ついには極楽寺、鎌倉御所ともに焼失してしまった。大聖人は、この事件を揶揄して、良観坊(良観)をもじり両火房とあだ名をつけて呼ばれた。その両火房の本質を、御本仏はつぎのように喝破されている。

「一には名を持戒ときこゆれども実には放逸なるか・二には慳貪なるか・三には嫉妬なるか・四には邪見なるか・五には婬乱なるか・此の五にはすぐべからず」(下山御消息)

まったく、現代の誰かさんと一緒である。誰かさんとは、言わずと知れた日顕。日顕と極楽寺良観は、本質的にまったくといっていいほど酷似している。

日顕の“聖僧”面は、まったくの仮面、ウソつきの遊び好きである。貪りの心の強さも人一倍、供養を懐にして施すことがない。施すのは女房のイメルダ政子に施すぐらいのことである。どの地方へ“親教”に行っても、御供養だけはしっかり持って帰っている。

日顕が貪るのは金だけではない。美食を極め、贅を尽くした衣服をまとい、地下プール付きの二十億円の豪邸に住もうとさえする。

日顕が嫉妬深いことは、いまでは常識になっている。先師・日達上人に対してまで嫉妬し、大化城を潰し、六壷を潰し、流れの庭を潰した。“広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり”と、日達上人が教示された“後代の誠証”も覆す。先師・日達上人の代に三大秘法に意義づけされた正本堂が建立されたことが、日顕にはどうにも面白くないのである。創価学会池田大作名誉会長に対する日顕の嫉妬ぶりは、いまさら言うまでもないだろう。

日顕は邪見の者でもある。邪見であるがゆえに、物事が転倒して見える。仏意仏勅の団体も魔軍に見え、日蓮大聖人のお教えどおり折伏行に勤しむ仏子らを魔の手勢と罵る。みずから禅寺墓地で先祖供養をするという明らかな謗法行為を犯しながら、謗法を寄せつけず如蓮華在水の強盛な信心を貫く仏子らを謗法と誹る。それでいて、大石寺の根檀家の大謗法には目をつぶったまま。まさに日顕は邪見の人。

その日顕、とどのつまり婬乱でもある。芸者に囲まれ鼻の下を伸ばすこともあれば、遠くアメリカ・シアトルまで足をのばして買春もする。日顕の婬乱の事実に異を唱えるのは、“信伏随従”の邪義に魂を抜かれた日顕宗の悪比丘くらいのものである。

放逸、慳貪、嫉妬、邪見、婬乱――日顕は“現代の両火房”たるべき資格を他に勝れて持っている。その“現代の両火房”が正師たる池田名誉会長を憎み、仏意仏勅の団体である創価学会を破壊しようとするのは、むしろ当然といえる。

御本仏・日蓮大聖人曰く。

「今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば釈尊は大妄語の仏・多宝・十方諸仏は不実の証明なり」(下山御消息)

“現代の両火房”が僣聖増上慢として登場した今日こそ、日蓮大聖人御在世に匹敵する稀有の時の只中にあるといえる。この稀有の時に、師とともに生まれ僣聖増上慢と真っ向から戦う。これに過ぎたる誉れはない。仏子らはこぞって励むべきである。

1992年12月

家族友人葬のパイオニア報恩社