報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(6)」おわりに

法難にあっては魔は師弟の関係を断ち切ろうとする
だが創価学会員は師を中心に結束する

いつの法難にあっても魔は師弟の絆を断ち切ろうとする。それを断ち切れば、いかに強固な団結を誇る和合僧団も破壊される。

日蓮大聖人の御在世にあっては、魔は権力者、悪比丘らの身に入り、日蓮大聖人と弟子・檀那とのあいだを裂こうと、脅し騙しへつらい誑かした。伊豆伊東への流罪のときもしかり、佐渡への配流のときも間断なくそれはおこなわれた。

和合僧団は師を中心に結集している。師という要をはずしてしまえば、これまでの結束がウソのように霧散してしまう。それを知りつくしている魔どもは、師を傷つけ弟子よりの信望を失わせ、師と弟子とを切り離そうとする。

日蓮大聖人御在世という羨望すべきときに生まれ、御本仏とあいまみえながら、御本仏を裏切り堕ちていった弟子はあまたの数にのぼる。

時は下って昭和の時代、創価教育学会という未曾有の和合僧団の胎動期にあって、大聖人御在世を偲べる難に遭いながら、師たる牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長を裏切り創価教育学会を後にした者がいた。

大難の渦中にあるとき、弟子の多くは直面する難が仏法史上いかなる意義を持つものであるかもわからず、はたまた仏意の深く大なることも忘れてしまう。のみならず、状況に呑まれ、みずからが戦わなければならないことからも目をそらし、時の経過とともに生命力を後退させる。ほどほどに弱った仏子を見るや、魔はいよいよもって盛んに不信の思いを焚きつける。あるときは貴き姿をした者の口を借り、またあるときはマスメディアの無責任な報道に乗り、師を誹謗し和合僧団を中傷し、仏子が退転の道を選ぶように仕向けるのだ。

いまこそ仏子たる創価学会員は、三世にわたる師弟の絆を、片時も忘れることがあってはならない。その光輝ある生命の結合を自覚するとき、魔の蠢動は草露と化す。しかも屹立する絶壁が幾重にも重なって見えた前途も一転、遊楽の道と化し、難すらもほどよい追い風となる。

仏教史上未曾有の大折伏をなし、仏語を実語となす戦いを展開する創価学会。久遠即末法の今時、その創価学会にあって師である池田大作創価学会名誉会長と大難をともにする喜びを感ずる者は、日本のみならず世界に遍在する。

この諸相は、広宣流布が眼前にあることを示してあまりある。

「過去無量劫より已来師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ・忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に 翫ぶ事・是れ偏に過去の宿習なるか。

予日本の体を見るに第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす、経に『悪鬼入其身』とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり、然るに今時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり」(最蓮房御返事)

日蓮大聖人の仏語を実語とするのが仏子の戦いであるならば、いずれが「正善の師」であるかは歴然としている。折伏の大闘将とともに三世を戦う。それが日蓮大聖人の御聖訓に従うことである。

1991年8月

家族友人葬のパイオニア報恩社