報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(5)」おわりに

マスメディアは確固たる視座に立たず
批判のための批判に終始している

マスコミの創価学会に対する攻撃ぶりは、異常なものがある。創価学会に関するほとんどの記事は、創価学会を客観的にルポルタージュしようという書き手の気持ちがうかがえない。ただ一方的に創価学会の破壊を意図した、批判のための批判である。

マスコミはいつも、創価学会は崩壊の危機に直面している、あるいは池田大作創価学会名誉会長は窮地に立っている、などといった視点で創価学会批判をする。これまたいつものことながら、創価学会員は騙されている、「池田専制」の犠牲者だといった論調で記事を書く。

しかし、その記事の基礎データとなっている情報は、まともに信仰をしている者なら、一見してニセ情報、操作情報とわかるものだったりする。逆に、基礎データは正しくても、その基礎データに逆らって牽強付会に結論を導き出し、非常識な論理展開をする記者もいる。

このような記事を読むたびに、創価学会員はマスコミの無認識ぶりに嘆息するのだが、一方で仏の予言の正しさを思い起こすのである。

末法の今時、御本仏日蓮大聖人の仏法を弘める地涌の菩薩が、仏法史上、未曾有の難を受けることは法華経に予言されるとおりである。「猶多怨嫉況滅度後」の八文字は、まぎれもなく創価学会を取り巻く今日的状況を示している。

いま日蓮正宗と創価学会の相剋のさ中にあって、なぜかマスコミのなかに日蓮正宗を擁護し創価学会を攻撃する者がいる。いな、ほとんどがそうである。これが解せない。日蓮正宗中枢は、大衆の信仰心を利用して、中世キリスト教のような絶対的な宗教的権威をカサに着ながら、物心ともに大衆を支配しようとしている。

これが人間の歴史的進歩に逆行することは、記事を書く者も充分、識るところである。であるのに信徒大衆を圧殺しようとする日蓮正宗中枢に味方し、創価学会にダメージを与えようとするのだ。

しかもマスコミはほぼ例外なく、創価学会の活動のなかで日蓮大聖人の仏法を知り、勇気づけられ懸命に生きている一千万人の人々の真摯な姿に対しても無視を決め込んでいる。

社会的に権威があるとされるマスコミと宗門が連合して、創価学会を破壊しようとしているのだ。それも常軌を逸した攻撃ぶりである。

これほどの狂気が一信徒団体に向けられたことに、百年後、二百年後の歴史学者はどのような評価を下すのだろうか。

ただ、この地涌の菩薩たちに向けられた憎悪の大合唱が日蓮大聖人の御金言どおりであることは、いまの時代にあって凡愚の私にもよくわかる。三類の敵人が仏子らの結束を破るために出現したのだ。そのなかでも、このたびの日顕上人らのような僣聖増上慢の登場は、日蓮大聖人の滅後においてなかったことである。いよいよ時代が広宣流布の正念場にかかってきたことがわかる。

日蓮大聖人も明言されている。

「真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり・予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや」(如説修行抄)

日蓮大聖人の難に比べれば、遠離於塔寺の難などしれたことである。だが、追いつめられた日顕上人は、いずれは「破門」の衝動を抑えきれなくなるだろう。どんな強硬措置をとってもビクともしない創価学会の姿を見て、日顕上人らが肝をつぶす日は近い。

1991年7月

家族友人葬のパイオニア報恩社