報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十五章 物怪もっけ自縛じばく

地涌オリジナル風ロゴ

第884号

発行日:1995年10月11日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

買春した日顕を取り調べた警察官が二名とも生存していた
クロウ夫人は再会したそうだから日顕も会ったらどうだ

十月九日午後一時三十分より三時二十分まで、東京地方裁判所民事十二部五〇六号法廷において、日顕シアトル買春事件についてのクロウ夫人の証言がおこなわれた。クロウ夫人は黒地に金の模様の入ったシックなスーツに黒い靴、黒いハンドバックの装いで証言席に座った。

クロウ夫人は、創価学会側の宮原守男弁護士の尋問に答え、きわめて落ち着いた調子で証言をおこなった。

まずクロウ夫人は、一九六三年三月二十日の朝の模様について証言した。日顕は、十九日から二十日にかけての深夜、売春婦と性交をおこない、二人の売春婦と金銭的トラブルを起こし警察沙汰となった。

それでは、その事件の衝撃醒めやらぬ二十日の朝から昼まで、日顕はどのような様子だったのだろうか。以下、クロウ夫人の証言に基づき、記述していく。

私(クロウ夫人)は、ホテルの日顕の部屋に和食の朝食を届けた。そのとき私は、同日未明、シアトル警察署において書類に署名し一件落着したことを日顕に報告した。すると、日顕は無言で深々と頭を下げた。そのときは、他の婦人も同行していたので、それ以上の話はしなかった。

その後、つぎの出張御授戒先であるシカゴに行くため、ホテルからシアトル空港に向かった。空港で、シアトルのメンバーからのお土産を渡した。日顕は、その紙袋を開け、中身をすぐ確認した。中身は、シアトルの観光名所などを撮った絵ハガキなどであった。

それを見たあと、日顕は私に、

「ああいう写真は、空港では売っていないんですね」

と尋ねた。私は、日顕の言う「ああいう写真」の意味するものが、いかがわしい写真であることがすぐわかった。

私は、

「空港では売っていません」

と答え、心の内で、

「なんという人だ。頭がおかしいのではないのか」

と思った。

シカゴ行きの飛行機は、通路をへだてて左右に三列ずつの座席が並んでいた。座席は、当初、日顕が窓側、一つ座席を空けて、通路側に私が座るよう指定されていた。

ところが日顕は、私に座席をかわるように要請した。二人は座席を交替して、日顕が通路側に座った。

しかし、希望の座席に座ったのに、日顕はなかなかシートベルトをつけなかった。金髪のスチュワーデスが、日顕のシートベルトをつけるために、前かがみになって日顕のシートベルトに手を伸ばした。

そのとき、日顕が右手でスチュワーデスの胸をつかんだ。スチュワーデスは小さな声を上げて後ずさりした。スチュワーデスは気を取り直して、再びシートベルトをかけようとした。今度は、日顕はスチュワーデスの腹部に頭をこすりつけた。

昼食時となり、同じスチュワーデスがランチを座席まで持ってきた。スチュワーデスは、ランチを運ぶワゴンを日顕の座席脇にピタリとつけ、日顕の動きを封じていた。日顕は、このシカゴに向かう機内を、カメラを持ってフラフラし、乗客に断りもしないで写真を撮って回った。

この飛行機の中で、私は日顕に事件のことを聞いた。日顕は、

「喉が渇いたので、ホテルの外に酒を飲みに出た。このとき、夜景がきれいなのでカメラを持って出た。右に右に歩いていっているうちに、道に迷った。金髪の女の人と一緒にコーヒーを飲んだ」

などと、私に話した。その後のことを聞いても、日顕はトボけるだけだった。日顕は、私が現場で事件当夜、日顕から直接聞いた話とも違うことを言った。この日顕の話の内容や、話し方、表情を見ていて、私は、

「本当のことを言っていない」

と思った。

同じ年の五月三日、日大講堂において第二十五回本部総会が開かれた。私は、この本部総会に出席し支部旗を拝受した。その総会終了後、日達上人の控室に貞永アメリカ総支部長(当時)と共に呼ばれた。控室には日顕もいた。その日顕をそばに置き、日達上人は私に対し、

「本当に、シアトルではお世話になりましたね。私は、コレのことはよく知っています」

と御礼を言った。それを聞いた日顕は、あわてて立ち上がり、テーブル・クロスに顔がつくほど深々と頭を下げた。

一九八〇年十二月、日顕が“法主”となってアメリカを訪れた。このとき、ロサンゼルス妙法寺住職・坂田正法を通して日顕が会いたいと言っている話が私にあったため、NSAの許可を受けてロサンゼルス空港に出迎えた。

私は、出迎えの人たちのもっとも後ろにいたが、日顕はツカツカと私の前まで来て挨拶をした(ここで、クロウ夫人と日顕が映っている写真が証拠提出された)。

一九八三年におこなわれた、私の娘であるジュディーの結婚式に際しては、文京区西片にある日顕の自宅(大石寺東京出張所)から、私の自宅へ日顕からの御祝が届けられた。

娘のジュディーには星月菩提樹の念珠、私にはインド翡翠の念珠が、それぞれ贈られ、娘への念珠の入った箱には、

「御祝 阿部」

という熨斗紙がかけられていた。

この御祝の品が“法主”日顕から私のもとに届けられていることは、私が話してもいないのに結婚式をおこなった妙法寺住職・坂田が知っていた。

結婚式のリハーサルをやったとき、坂田がその日顕からの御祝の件を話し出し、結婚式で贈呈式をやることになった(その結婚式のビデオには、坂田の挨拶が記録されている。クロウ夫人はその英語の挨拶を文章化し、日本語の翻訳をつけて陳述書として証拠提出した。その陳述書によれば、坂田は挨拶の中で明確に「この念珠は日顕からの贈り物である」ことを述べている)。

その後、日本に私が来たとき、いつものように日顕から届けものがあった。私は返礼品を日顕に届ける時間がなかったので、知人に託し日顕の自宅(大石寺東京出張所)に送ってもらった。このとき、知人宛に日顕の女房・阿部政子から、

「クロウさんからの預かり品を送ってもらってありがとう」

といった趣旨の手紙が送達された(クロウ夫人から、この手紙も法廷に証拠として出された)。

私のところには、「歳暮」も届けられたことがある。

その「歳暮」は「阿部政子」名で私の自宅に届けられた。私は、このときの「税関告知書」を現在も所持しており、その書面には、送られた品が「ドライド・レイヴァ」であったことが記されている。「ドライド・レイヴァ」とは「海苔」のことである(この「税関告知書」も、クロウ夫人より証拠として法廷に提出された)。

私は、日顕から個人的に御礼を何回も受けてきた。

私が、日顕がシアトルで起こした事件について二十九年間誰にも話さず黙ってきた理由は、そのことを話せば創価学会や宗門に傷をつけることになる、あるいは栄えある「第一回海外出張御授戒」に拭い難い汚点を残すことになると考えたから。

私は、一九六三年五月三日に支部旗を授与されるために出席した本部総会で、この事件について絶対に他言しないことを心に誓った。

その私が、この事件の真実を公表するに至ったのは、平成二年十二月、日顕が池田名誉会長を日蓮正宗総講頭職より突如、実質的に罷免したことにはじまる。

海外にいた私は突然の総講頭罷免に驚き、直接に事情を問いただすため日顕宛に書状を書いた。しかし日顕は、まったく無視。その後も、日顕が添書登山を実施し創価学会組織の切り崩しをはかり、ついには、創価学会を“破門”する狂乱の様を見て、

「私が黙ってきたことにより、こんな“法主”にふさわしくない人を、その地位に座らせてしまっている……」

と、私は悩みに悩み、このことを公表すべきだと考えるようになった。そのような折に、聖教新聞社の横田政夫記者が、アメリカ広布の草創期の戦いについて電話で取材してきた。

横田記者は、一九六〇年の池田名誉会長の初訪米などについて聞いた後、

「一九六三年の第一回海外出張御授戒のとき、道に迷った日顕を助けたことがあるそうですね」

と、私に聞いてきた。私は、その横田記者の問いに対し、即座に、

「いや違うんです、そうじゃないんです」

と否定し、シアトルの事件について、かいつまんで話をした。驚いた横田記者は、改めて翌日、私から直接、詳しく取材した(横田記者の取材は、平成四年五月。のち六月十七日付『創価新報』に、同事件についての記事が掲載された)。

私は、事件当夜、日顕を取り調べた二人の警察官と、本年に入って再会した。

一人は、ミスター・スプリンクルで、三月に会った。互いに顔を見て、すぐわかった。ミスター・スプリンクルは事件の真実について、どこにでも出て証言すると語っている。

もう一人は、一カ月前に会った。この人物は、私が事件当夜、激しく抗議した相手であった。その人物も、私のことをよく覚えていた。

クロウ夫人は、以上のような証言をおこなった。この証言により、日顕の異常なまでの性欲のみならず、事件後に日顕がクロウ夫人にひとかたならぬ気遣いをしてきた経過が明確となった。

さらにはクロウ夫人の口から、日顕シアトル買春事件において日顕を取り調べたシアトル市警察の警察官二名と、本年に入って再会していた事実が証言されたことは、買春の事実をあくまで否定し通そうとする日顕にとって致命的であった。

一九六三年三月二十日未明、シアトルの売春街で顔を合わせた四名は、三十二年後の今日にあっても全員が生存していたのだ。そのうち、日顕を除いた三名が、日顕シアトル買春事件の夜のことを覚えている。

これでもまだ日顕はシラを切り通し、日顕宗あげてクロウ夫人をウソつき呼ばわりするのだろうか。

二十五章 物怪自縛 終

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