報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十五章 物怪もっけ自縛じばく

地涌オリジナル風ロゴ

第853号

発行日:1995年5月6日x
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

1995年5月6日日顕の狂乱と堕落そして大石寺教学の変質に愛想をつかせ
日蓮正宗能化の一人が住職をする大本山妙本寺が離脱した

日蓮正宗には、総本山大石寺のもとに、大本山格として保田妙本寺(千葉県安房郡)、日向定善寺(宮崎県日向市)、讃岐本門寺(香川県三豊郡)、富士妙蓮寺(静岡県富士宮市)がある。

今回、このなかの大本山保田妙本寺(以下、妙本寺と記述)が日蓮正宗から離脱し、同寺系列の遠本寺(千葉県鴨川市)および顕徳寺(同富津市)も妙本寺にしたがって離脱した。

妙本寺は、離脱の旨を日蓮正宗に文書で通知したが、通知を受けた宗務院は五月四日、あわてて、

「もとより宗門からの離脱は、本宗信仰の根本にもとる背信行為であり大謗法であります。また、富士日照師の遺徳をも汚す不知恩の所行であると言わざるを得ません」

と、妙本寺の離脱行為を批判し、宗内に対し、「紛動」されることのないよう徹底する「お知らせ」(文末に全文掲載)を出した。

なお、離脱した妙本寺の住職・鎌倉日櫻(八十七歳)は、日蓮正宗において“法主”(大僧正)に次ぐ地位である能化七名の一番目に位置し、僧階は権僧正である。

妙本寺は、第三祖日目上人の弟子である日郷が開山した。日郷は日目上人が最後の天奏をされる折、その供をしていたが、日目上人が現在の愛知県・垂井で亡くなられたあと、大石寺に帰山。

ところが、第四世日道と跡目をめぐって大石寺を二分する争いとなり、結局、日郷は現在の妙本寺のある千葉県の吉浜に法華堂を創り、大石寺を離れた。

このとき、日郷は万年救護本尊(大石寺大講堂安置の本尊は、この万年救護本尊を模刻したもの)や日蓮大聖人の御影など重宝を妙本寺に運んだ。そして、その後も大石寺との訴訟争いを七十数年もつづけたのである。

妙本寺は富士大石寺などとともに、本門宗八本山の一つに数えられる名刹であったが、戦時中は軍部に屈し、日蓮宗身延派に合同している。

この妙本寺が、身延派から日蓮正宗に帰一したのは昭和三十二年のことであった。当時の富士日照妙本寺住職が、創価学会の活躍に広宣流布の兆しを感じ、創価学会の勧めにより日蓮正宗への帰一を決意したものである。

この妙本寺離脱の背景としては、さまざまな要因が分析できる。以下、それを列記する。

*日蓮正宗への帰一が、創価学会の仲立ちによるものであるだけに、日蓮正宗から創価学会を破門した日顕のもとに、このまま従属している因縁はない。

*妙本寺は、かねてより一閻浮提総与の大御本尊を唯一最高の本尊とはみなさず、同寺に格護されている万年救護本尊の由緒は、それに勝るとの立場をとってきた。このほか、富士大石寺教学とさまざまな対立点がある。

*一九六三(昭和三十八)年、シアトルにおいて日顕が買春したことは、証拠と証人をクロウ夫人ならびに創価学会側が提示したことにより、誰の目にも明らかになった。

この腐敗堕落した“法主”のもとに隷属することは、日郷以来守られてきたとされる同寺の正当性を損なうと判断した。

*妙本寺から見れば同格の大本山の一つである大石寺の住持が、「唯授一人血脈相承」の“法主”として日蓮大聖人と同格とされる、いまの大石寺狂学についていけなかった。

*妙本寺格護の万年救護本尊を、平成三年八月二十九日に大石寺でおこなわれた全国教師講習会において、日顕が、

「万年救護本尊も、日蓮大聖人に一切の法界を具え給う本仏の体相を直ちに顕示されるに至っていないのです。故に相対妙の法門においては未究竟に配せられるのであります」(『大日蓮』平成三年十月号)

と断じたことに反発した。

このほかにも、妙本寺の内部的要因として、つぎのようなことを挙げることができる。

*近年、妙本寺に新たに所属してきた他寺法華講の脱講者の所持する大石寺御本尊については大石寺に返納させ、口唱の題目を表にしてきた。

だが、それも長期の説得材料としては乏しく、急いで万年救護の形木の本尊を出さなければ、脱講者などが同寺にとどまらないとの内部事情があった。

*住職・鎌倉日櫻の次男・修郷が、ここ数年、離脱をしばしば口にしてきた。この言葉を信じてついてきた者のなかに、離脱が実行に移されないことを見て離反する動きが見えはじめた。

こうした、さまざまな要因が重なりあって妙本寺は離脱したのだが、その根本原因はといえば、ひとえに日顕の狂乱につきる。

妙本寺が離脱したことにより、現在、大石寺末寺に所属しながらも、多くの不満と疑問を持っている法華講幹部らが、妙本寺に大量に流れることは充分に予測されることである。

また、妙本寺離脱は早々に日蓮宗各派に知られることになり、日顕の失政として話題となろう。今後とも、この日顕の狂乱のゆえに日蓮正宗が四分五裂していくことは必至である。

〈参考資料〉

「院第2519号

  平成7年5月4日

            日 蓮 正 宗 宗 務 院

宗内一般

お 知 ら せ

本日、千葉県鋸南町の妙本寺、同鴨川市の遠本寺及び同富津市の顕徳寺(いずれも代表役員は、鎌倉日櫻)の3箇寺が日蓮正宗から離脱する旨を通知してきました。

上記3箇寺は、昭和32年、当時妙本寺住職であった富士日照師(光明院)の篤き信心と英邁な決断によって、本宗に帰一した寺院です。

もとより宗門からの離脱は、本宗信仰の根本にもとる背信行為であり大謗法であります。また、富士日照師の遺徳をも汚す不知恩の所行であると言わざるを得ません。

宗内各位におかれましては、このようなことに紛動されることなく、御法主上人猊下の御指南のもと、更に正法広布に精進を重ねられるよう願います。

上記、お知らせいたします。
以 上」

家族友人葬のパイオニア報恩社