報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十五章 物怪もっけ自縛じばく

地涌オリジナル風ロゴ

第826号

発行日:1995年1月29日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕を買春容疑で取調べたシアトルの警察官が生きていた
警察官の記憶はクロウ夫人の証言を裏づけるものだった

創価学会の第一回青年部幹部会が、一月二十八日午後七時より創価国際友好会館においておこなわれた。

同幹部会において秋谷栄之助創価学会会長は、一九六三(昭和三十八)年に日顕が「第一回海外出張御授戒」で訪れたアメリカ合衆国シアトル市において買春をなし警察沙汰となった、いわゆる「日顕シアトル買春事件」に触れ、重大な発言をおこなった。

秋谷会長は「シアトル事件の動かぬ証拠の第2弾を紹介したい」として、同事件で日顕を取り調べたシアトル警察の元警察官の証言について報じたアメリカSGIの機関紙『ワールド・トリビューン』の「ニューズレター」(最新号)について語った。

同紙には、クロウ夫人の代理人であるラングバーグ弁護士のインタビュー記事が掲載されている。同紙前号(一月九日付)には、アメリカ合衆国連邦政府のなかに、日顕が一九六三年三月にシアトル市において売春勧誘の嫌疑で取り調べを受けたという記録が存在する(証拠第一弾)ことを、ラングバーグ弁護士がインタビューに答え明かしている。

このインタビューの内容は、一月七日におこなわれた第八十四回本部幹部会において秋谷会長から紹介され、一月八日付『聖教新聞』が報道した。

この報は、“シアトルにおいて買春したことはない”とする日顕の舌先三寸に踊らされていた日顕宗に大変な衝撃を与えた。

日顕宗宗務院は宗内の動揺を防ぐため、一月八日付「お知らせ」(発信は一月九日午前一時ごろ)を全国末寺にファックスで伝えた。

その「お知らせ」には、

「実際、宗門側がクロウ記事発表の直後、シアトル市警を通して正式に行った調査で、(イ)1963年3月に、クロウが主張したような事件が起きたことを示す記録は全く存在しないこと、(ロ)もしクロウが主張するような事件が起きたら、警察官の仲間で必ず噂になり、誰か記憶している筈であるが、誰も憶えていないこと、(ハ)当時のシアトルの警察は、クロウが主張しているような取調べの仕方はしていなかったこと、等の事実が確認されている」

と書かれていた。

しかるに、クロウ夫人の代理人であるラングバーグ弁護士は、当時、日顕を取り調べた警察官の存在を今回明らかにし、かつ、そのことを報じた『ワールド・トリビューン』の「ニューズレター」を、創価学会会長の役職にある秋谷氏が、全国に同時中継放映されている公的な場において紹介したのである。

宗務院によって出された「お知らせ」が主張した買春事実を隠そうとする虚言は、事件を担当した警察官の登場により、その根底からくつがえされたといえる。

秋谷会長が、第一回青年部幹部会において紹介した『ワールド・トリビューン』の記事は、以下のようなものであった。

「〈本紙〉今、アメリカ政府機関にクロウ夫人の主張を裏づける記録が残っているという大変なお話しを聞かせていただきました。それ自体ビックリしているわけですが、そのほかにもまだ証拠があるということですか。

〈ラングバーグ〉あります。事件を目撃した証人がいるのです。三十年も前に起きた事件の証人が見つかるなどということは、明らかに誰も予想しなかったことです。しかし、驚くべきことに、私たちは、当時事件にかかわった警察官の一人を実際に見つけ出したのです。

この人は、すでに引退しているシアトル警察の元警察官で、この事件のことを覚えており、この事件の実体審理がおこなわれることになれば、それにつき証言をすることになると思います。

〈本紙〉それは重大な発見ですね。日顕はこれまで、自分は一切そのようなことはやっていない、ホテルを一歩も出たことはない、と言ってきたわけですが、連邦政府の記録につづいて、直接現場でその事件に立ち会った警察官まで出てきてしまっては、もはや日顕は、当時あった事実をごまかしてクロウ夫人を悪人扱いすることはできなくなりましたね。

ところで、その方は事件について具体的にどのようなことを覚えているのでしょうか。

〈ラングバーグ〉彼の記憶は非常にはっきりしており、その記憶しているところは、クロウ夫人が説明している事件についての事実関係と符合するものです。

まず、最初に注目すべき重要なことは、一九六三年当時の現場付近の状況についての私たちの調査の結果が、クロウ夫人の説明と一致したことです。私たちの調査員による詳細な調査の結果、当時の現場付近がいかがわしい場所であったこと、その地域では売春が横行していたこと、そして、その地域にあった建物の細部にわたる形状までも確認することができました。

このような完全で緻密な調査の結果、私たちは、一九六三年三月に、クロウ夫人が事件の現場として特定した、まさにその地域のパトロールの任についていた、シアトル警察の元警察官を見つけ出すことができたのです。

彼は、こちらの調査員が事件の現場について質問する前に、自分のほうから現場がどこであるかを語っており、それはまさにクロウ夫人が記憶していたのと同じ現場であったわけです。当然のことですが、彼が『ノブオ・アベ』という名前まで覚えているということはありません。しかし、彼は相当程度、事件のことを記憶しております。

たとえば、日顕の特徴にあてはまる、東洋人の男性と複数の売春婦とのあいだに争いごと、あるいは、いざこざがあったことを覚えています。その東洋人がまったく英語を話せなかったこと、そのため、その警察官が、その東洋人男性の知り合いの女性に電話をし、深夜その女性にいかがわしい場所である現場まで来てもらわなければならなかったことも覚えております。

また彼は、その事件のほかの細かいことも覚えています。このような事件は、当時のこの警察官にとってはめったにないことだったので、彼は今に至るまでこの事件を記憶していたのでしょう」

一九六三年三月、日顕は買春容疑でシアトル警察の警察官の取り調べを受けた。このことを証言したクロウ夫人の発言は、日顕を取り調べた警察官の存在と彼の記憶により、その真実性を保証された。

これらの事実を踏んまえれば、このとき、日顕が逮捕拘留をまぬかれたのは、クロウ夫人の尽力によるものであることがわかる。

日顕にとって、この事件は、みずからの浮沈を決する大事件であり、おそらく、このシアトルでの顛末を日顕本人は片時も忘れたことはあるまい。

ところが日顕は、今日において買春の事実を否定するのみならず、真実を明かしたクロウ夫人をウソつき呼ばわりし、恩人であるクロウ夫人を社会的に葬ろうとしたのである。

真実を証言するクロウ夫人に対し、日顕の虚言に乗せられて、日顕宗「僧」俗は卑劣な攻撃をなした。日顕の害毒は一宗を狂わせ、日蓮正宗は“法主”たる日顕の買春と虚言のゆえに滅びようとしている。

「御法主上人猊下に信伏随従するのが本宗の宗旨」

と主張する日蓮正宗に巣くう日顕宗の輩は、買春男を御本仏日蓮大聖人と一体であるとし仏と崇めるはなはだしい異流義である。日蓮正宗の再興を願い寸心を有する僧俗は、一致してこの大ウソつきの買春男を宗外に追放すべきである。

家族友人葬のパイオニア報恩社