報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十二章 魔軍まぐん覆滅ふくめつ

地涌オリジナル風ロゴ

第734号

発行日:1994年2月7日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

贅沢好きの日顕夫婦は豪邸住まいをあきらめていなかった
政子が下見をし購入決定した不動産を寺院名義で登記する

仏に仕える身でありながら、仏を食い物にし贅の限りを尽くそうとするエセ出家がいる。そのエセ出家には、これまた贅沢好きの女房がいる。

その女房、かねて超高級クチュールで一着二百万円超のスーツなどを、「ここからここまで」「これも。これも。これもいいわね」「ホホホ、ホホホ」と、衝動的に買い漁ることで有名となった。

このエセ出家夫婦は、人を欺くことになんの良心の呵責も感じていない。もっとも、仏を欺くことを常行とする者が、どうして凡夫を欺くことに逡巡しようか。

仏に供養された浄財を湯水のごとく使う日顕夫婦は、隠居所を東京・世田谷区に定めた。

思い起こせば、日顕夫婦が、東京・目黒区八雲に寺院名目で超豪邸を建てようとしていたのは、平成三年初めのことであった。このとき入手した設計図によれば、総額二十億円の豪邸には地下にプールやトレーニングルームが設けられることになっていた。

しかも、一階にある仏間は十畳しかないのに、炉を切った茶室は十二畳、お手伝いさんの部屋は六畳、客間は和室が十二畳と洋間が八畳、食堂が十五畳もあり、二階は寝室が十畳、和室が八畳と六畳、書斎が七・五畳、洋間八畳という間取りであった。

一宗を統率する“法主”たる者が終の住処とする「寺院」にしては、あまりに趣の違うものであった。邪宗の座主、貫首、門首、門跡、教祖にしても、このような堕落な生活を実現しようとした者はいないだろう。

このことだけをみても、日顕が仏に仕える者ではなく、仏を食い物にするエセ出家であると宗内の者は見破るべきであった。

まして、日顕はこの二十億円の豪邸暮らしを、創価学会を破門し、創価学会員を切り崩して直属檀徒にするという謀略「C作戦」の帰結として描いていたのである。

仏法を破壊し、信徒をどう呻吟させようとも、冷酷な日顕にとっては他人事なのである。ただ民を睥睨し、ヌクヌクと贅を貪れば満足なのだ。要するに、日顕は食法餓鬼なのである。

この日顕――奇襲攻撃として練っていた「C作戦」が、その緒戦において手筈どおりに進まず、挙げ句は宗内に動揺が広がり、平成三年一月の段階では少なからず自信を喪失していた。

その日顕が、立ち往生して流した涙に宗内の多くの者が騙された。平成三年一月六日の全国教師指導会においてのことであった。このとき、日顕はみずから謀略「C作戦」を仕掛けておきながら、涙を流し、心にもないことを口走った。

「これからいろいろと非常に厳しいこと、大変なこと、そういうようなことが起こってくると思います。私はもう覚悟している。大聖人様のですね、こういうお言葉がありましたね。『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき身にて候』。私はもうこの御文を拝した時に涙がですね……(嗚咽)……しかし、私もまた、その覚悟をもっております……(嗚咽)……のでよろしく……(嗚咽)……私一人になっても、守ってまいります」

この綺語と嗚咽と涙の裏で、日顕は地下プール付き二十億円の豪邸建設を計画していたのである。

この仏を欺く無法な日顕の計画を断念させたのは、ほかならぬ本紙『地涌』であった。本紙『地涌』は、その第71号(平成三年三月十二日発行)において、地下プール付き二十億円の豪邸建設計画の存在を報じた。

この報道に対し、宗務院は翌十三日付で、「東京都目黒区八雲大石寺出張所建設計画並びに取り止めについてのお知らせ」という通達を全国教師宛に出した。

同通達には、中止の経過が、次のように書かれている。

「昨年十二月下旬、御法主上人猊下より目黒出張所はまだ未契約のことでもあり、その他種々の事情により建設計画を取り止める様指示がありました。しかるにたまたま年末年始に当たり不動産会社が休みであったため、正月休み明けの十一日に計画中止を連絡し即刻白紙撤回となったものであります」

ここで、日顕が建設計画の中止を命じた月日を、平成二年十二月下旬としたのは、一月六日におこなわれた全国教師指導会において日顕が、「日本国を流浪すべき身にて候」と涙を流して述べたことを意識してのことであった。

「流浪」云々と述べながら、その裏で豪邸建設計画を進めていたのでは、いくらなんでも不都合と日顕宗中枢が判断してのことであった。

だが事実は、そのようなものではなかった。本紙『地涌』のスクープに驚き、日顕夫婦は豪邸の建設を一時的に中止しただけのことであった。地下プール付き二十億円の豪邸の間取りは、日顕と政子とで決めたということだから、さぞかし残念なことであったろう。

その日顕夫婦が、今度は世田谷区に不動産を購入し豪邸住まいを実現しようとしている。日顕夫婦は、やはり贅の限りを尽くした隠居所住まいをあきらめてはいなかったのだ。

ただ世を欺くために、そのタイミングを計っていただけのことだった。その結果、住まう場所が目黒区から世田谷区になっただけのこと。

今回の不動産購入にあたり政子は、昨年十月、蓮成坊住職・石井信量、その女房・石井ナツ子、そして本山職員・谷平某を伴い、現地を訪れた。政子はこのとき、「景色がすばらしいわね」と、いたく御満悦であったという。

不動産購入の決定は、この直後におこなわれた。結局、政子が気に入ったことで購入が決定されたのである。ということは、これは日顕夫婦の私邸で、決して寺院などではない。寺院であれば、しかるべき役僧の下見があり、会議で購入が決定されるべきだ。

なお、この日顕夫婦の豪邸問題については、追跡調査をおこなう。

護法より景色を尊ぶ政子かな

家族友人葬のパイオニア報恩社