報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十一章 仏子ぶっし反撃はんげき

地涌オリジナル風ロゴ

第726号

発行日:1994年1月10日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

総監・藤本が「C作戦」を隠そうと大嘘の弁明をなしたが
語る言葉の端から矛盾が浮き出て逆に“存在”を証明した

一月六日、末寺住職と寺族の初登山会がおこなわれ、朝九時五十分から日顕が「目通り」をおこなった。その「目通り」において、日顕が「C作戦」について、頼りない弁明をおこない、それがウソに塗り固められたものであることは、先号『地涌』に報じた。

さて、この同じ日、午後十二時半から大講堂で末寺住職・寺族指導会がおこなわれた。指導会では、総監・藤本日潤、渉外部長・秋元広学が三十分ほど話をし、その後、新年祝賀会に移り日顕が話をした。今号では、末寺住職・寺族指導会について報じる。

この指導会で、最初に話をしたのが総監の藤本日潤。藤本は、「C作戦」について謀議したことはなかったと、“虚構の弁明”をおこなった。藤本の話は、日顕ら宗門中枢が検討に検討を重ね発表したものだろうが、“虚構の弁明”は、やはり、“虚構の弁明”であり、随所に矛盾を含んだものであった。

藤本は、

「さて、創価学会では一月一日付『創価新報』及び一月四日付『聖教新聞』で、河辺慈篤師のメモとか称するものを掲載いたしまして、『〈C作戦〉はやっぱり実在した』とか、『〈C作戦〉の首謀者日顕は即刻退座せよ』とか言って、大騒ぎをしておりますが、これについて一言、御報告申し上げておきます」

と前置きし、次のように語った。

「平成二年七月十六日及び七月十八日の御法主上人御臨席の会議は、七月十七日の学会との連絡会議をはさんで、その事前協議及び事後の御報告を主旨においた会議であり、加えて当時、学会に関するいろいろな問題が噴出しており、それらに関連して、猊下の御指南を仰ぎながら、意見を交換したのであります」

この後、藤本は当時の創価学会に関わる問題として、

 (1) 財務を御供養と称しておこなっていること

 (2) 創価学会内で池田名誉会長の礼讃がおこなわれていること

 (3) 池田名誉会長のスピーチの中に「猊下」「宗門」への批判発言があった

と自分たちを正当化する論を述べ、さらには、七月十七日の宗門と学会との連絡会議で、創価学会側が宗門の堕落を問題にした件に言及。

その結果、日顕が、

「今日までの宗門と学会との在り方に対して非常に御憂慮あそばされ、宗門と学会、末寺と信徒との関係について根本から見直して、大聖人の仏法の本義に立ち還って正常な僧俗関係、寺檀関係に戻るべきではないか」

という考えにあったことを言明した。

ここで、当時の日顕が考えていたという、「正常な僧俗関係、寺檀関係に戻るべきではないか」という言葉に注目すべきである。

これはとりもなおさず、創価学会員を檀徒化しようとする計画であり、「C作戦」が目的とするところと同一である。「創価学会分離作戦」、別名「C作戦」の冒頭に示された〈目的〉には、

「この計画作戦の目的とするところは、池田名誉会長を総講頭職から解任し、日蓮正宗は創価学会とは無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図り、もって純粋なる信仰に基づく金甌無欠の組織の再編成を目的とする」(「C作戦」の作戦書より一部抜粋)

と明示されている。この、「純粋なる信仰に基づく金甌無欠の組織の再編成を目的とする」と日顕が当時、考えていたという、「正常な僧俗関係、寺檀関係に戻るべきではないか」という考えの間に隔たりはなく、実体的には同じである。

「寺檀関係に戻る」という、「戻る」に、昭和二十七年の創価学会の宗教法人設立以前に、「戻る」という意味があったことを見逃してはならない。

さらに、一重立ち入れば、この「戻る」という言葉には、宗門が平成三年に添書登山を実施し、江戸時代の寺檀制度を復活し信徒を檀徒として隷属させようとしたが、堕落し威張る坊主にとってよき時代に“復古”するといった意味が含まれている。

ともあれ、総監・藤本が言明した当時の日顕の考えと「C作戦」は、決して相反するものではなく、むしろ日顕のその考えがあれば充分に「C作戦」を受けいれたであろうことがわかるのである。

藤本は語る。

「このような議論の進む中で、あるいは『C』だとか『C作戦』だとかいうような言葉が出たかもしれません」

この藤本の弁も注目される。これは日顕がその日午前の「目通り」で述べた、

「だから、そういう中に、まー、なんですね、『C』ってな言葉があるいは出たかもしれない」

と、同じ言葉である。これは偶然の一致ではない。今回、藤本が発表している宗務院見解は、「C作戦」の首謀者である「西片会議」「御前会議」の出席者たちである日顕や藤本により、事前に練られ発表されたもの。

だから、肝心な一部肯定の、このあいまいな表現の箇所が妙に一致するのである。すなわち「河辺メモ」に明記されている、

「河辺=それでは. この作戦はG作戦だ.

猊下=それは違う. Cだよ」

という記述は否定できないと判断し、あいまいながらも「河辺メモ」を一部、認めようと、当事者たちが政治的判断をしたのである。

それでは「御前会議」で河辺が「G作戦」と呼び、日顕が「C」と訂正した作戦とはなんだったのか。現在、「C作戦」と伝えられている謀略以外の「作戦」があるというなら、それを示してもらいたいものだ。

この藤本や「目通り」での日顕の発言で、「C作戦」を謀議したことを当事者たちが半ば認めたことになるのに、それでもまだ藤本は見苦しいごまかしをする。

藤本が詭弁を弄して曰く、創価学会を「教導」すれば、

「宗門の側から切らなくても、結果として、切れて別れてしまうかもしれない。そういう意味から『C』という言葉が出たということであり、宗門側から積極的に切るとか別れるという意味では決してありません」

とは、実に笑止。「西片会議」「御前会議」において「C作戦」が話されたことを匂わせながら、宗門側から「切る」意志はなかったと実に苦しい弁明。

藤本は、「創価学会分離作戦」の異名、というよりは暗号名として「C作戦」と定められたことを忘れたもようである。創価学会を宗門より「分離」すなわち「切る」(カット)作戦が、まさに「C作戦」であり、その「C作戦」は、藤本が言明した平成二年夏当時の日顕の考え、「正常な僧俗関係、寺檀関係に戻るべきではないか」を実現するものであったのだ。

藤本は「C作戦」の存在を充分にうかがわせる発言をしながらも、その一方で犯意はなかったと言葉を強めているのである。重ねて藤本は言う。

「いわんや、後日報じられているような何箇条かの荒唐無稽ともいうべき話など、まったく出ていないのであります。ですから何箇条かの内容をもつ、いわゆる『C作戦』といわれるようなものは、宗門方針として、宗門方針としては、あとにも先にもまったく存在しないということを、ここに改めてはっきりと申し上げておく次第であります」

これは、まったくのウソ。肝心なところは言葉を強めてウソをつくのである。

つづけて藤本は、

「しかして今後、学会に対して言うべきことを言っていくためにも、宗門僧侶の姿勢を糾し、反省すべきは反省して、綱紀自粛を徹底すべきであるということが併せて決定せられ、その後、この件で何回か会議を重ねたうえ徹底いたしたことは、八月二十九日、教師講習会の時に指導会がおこなわれて綱紀自粛の件とて発表、実施せられているのであります」

と、これもウソを重ねる。河辺慈篤は、七月十八日の「御前会議」の欄に、

「C作戦というが. いずれはやらなくてはならない問題としても. 今この問題をやる亊は両刃の剣を持つ亊になる. やるとしても. もつと分析が必要. それよりも大亊な亊は. 僧侶の綱紀自粛が必要. この作戦を実行しても。返す刀で. この綱紀問題で学会にやられる」

と明記している。綱紀自粛は、「C作戦」を実行した際、創価学会側から逆襲されないためにおこなったことは明白。厳密にいうならば「C作戦」は、この八月二十九日の綱紀自粛をもって潜行して開始されていたと分析できるのである。

「河辺メモ」に基づく、この分析からすれば、次のような藤本の弁明も空しい。

「学会では、『平成二年十二月二十七日。急遽、改正して総講頭を罷免したのは、〈C作戦〉の決行だ』とこじつけていますが、十二月二十七日の宗規改正は十一・一六の猊下批判の池田スピーチに端を発した『お尋ね』文書に対する学会の不遜な攻撃、反撃に対し、反省を促す意味を含んでの宗規改正の措置であります。いわゆる『C作戦』とは何の関係もないことであります」

暴露された「河辺メモ」の新事実からすれば、八月二十九日の綱紀自粛をもって「C作戦」は潜行して実施され、十二月二十七日の総講頭罷免により顕在化したといえる。

池田名誉会長の「十一・一六発言」を問題にしたのは、「C作戦」を顕在化して実行するための口実として恰好の材料であると日顕らが判断したからにほかならない。先ほど紹介した「C作戦」の〈目的〉の文に明らかなように、「池田名誉会長を総講頭職から解任」は、「C作戦」の大前提であったのだ。

したがって、「C作戦」という言葉が「御前会議」で出たと判明した現在となっては、総講頭罷免を「C作戦」から分離して考えろというほうが不自然なことなのである。

それでは、藤本の拙い虚言に耳に傾けよう。

「また、河辺師の文書と称されるものの中に、『池田追放』という言葉が出てきますが、当日の会議では、池田の猊下への誹謗発言が情報として入ってきており、これについて、池田を追及し糾すべきという意見はあったかと思いますが、池田を追放するというような飛躍した議論にはなっておりません。もしあのメモが河辺師の筆跡に間違いないとすれば、それは河辺師の思い違い、または主観によるものとしか考えられません」

「C作戦」を検討したからこそ「池田追放」という途方もない言葉を、河辺は備忘録に極秘にメモしたのである。「池田追放」が河辺の空耳であったとしたら、河辺は耳だけでなく、その心も病んでいることになる。

それも、藤本の言うように河辺が他の出席者が考えもしないようなことを「主観」で認識し記述したというのであるなら、なおさらである。

「C作戦」には、作戦の一つとして「創価学会最高幹部への通告」を「秋谷栄之助会長および森田一哉理事長宛」に出すことが盛り込まれている。そして「通告書に盛り込むべき内容(案)」として十一項目の「できるだけ学会側が受け入れ難い内容とすることが望ましい」とされる要求が列記されている。

そのうち(2)(3)(4)(7)(8)を紹介する。
(2) 「そして、池田名誉会長には、法華講総講頭職を勇退していただきました」
(3) 「今後、創価学会においては、日蓮正宗の外護団体として宗教法人創価学会の規則に忠実に従い、会長および理事長を中心として、宗門と一体になって貴会の運営をしていただきたいと存じます」
(4) 「今後、池田大作氏は、名誉会長の称号のみの立場の人となっていただき、宗門から教導を求めないかぎり、自宅にて待機願います」
(7) 「創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占めることを命じます」
(8) 「聖教新聞等の学会発行の新聞・雑誌には、今後一切、池田名誉会長に関する記事を掲載することを禁止します」

これが「池田追放」でなくてなんであろうか。「C作戦」の骨子は、「池田追放」が要なのである。「河辺メモ」は、決して河辺の「主観」で間違って書かれたものではない。

藤本は新年早々、末寺住職・寺族を誑かそうと虚言を弄している。こういう不誠実な坊主を悪比丘というのである。藤本は、大ウソをついた舌の根もかわかぬうちに、次々とウソをつく。その舌が、

「以上申し上げたとおりが、実態であり真相でありますので、創価学会の“為”にする意図的な混同とスリカエの宣伝に、いささかも紛動されることなく、いよいよ猊下の御指南のもと、僧俗和合の絆を深め、まずは本年の六万大結集を立派に飾り、さらにさらなる広布に向かって大前進の歩みを進めてまいりたいことを心より念願して私の御報告とさせていただきます」

と述べ、話を終えた。藤本の舌は、僧の舌ではなく、詐欺師の舌である。詐欺師にとっては「広布」という御本仏日蓮大聖人の大願も、みずからのウソを隠す“衣”となる。

このような悪比丘が、仏法を内より壊乱するのである。この日顕や藤本などという極悪こそ、和合僧団より追放されるべきである。

なお、藤本につづいて渉外部長の秋元広学が話をしたが、内容はまさに「大本営発表」。「日顕シアトル買春事件」をめぐる裁判などで追い詰められており、かつ納骨についての「告発」では、検察より“お目こぼし”をもらって起訴猶予になっているのに、「連勝無敗の成果をあげております」と虚勢を張った。

違法行為を反省することもなく、すべて創価学会の「謀略体質」が「告発」の原因であると渉外部長が公言するのだから、日顕宗の違法体質はとどまるところがない。身内の話として、気を許して適当なことばかり言っていると、将来の手カセ足カセとなるであろうことを警告しておく。

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