報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十一章 仏子ぶっし反撃はんげき

地涌オリジナル風ロゴ

第715号

発行日:1993年12月8日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

出発前はハシャぎ、スペインでは居眠り帰国してグッタリ
海外布教を前に日顕夫婦は偽名で一泊40万円のハニーな夜

日顕は、去る十二月四日午後一時五十分発のイベリア航空で、スペインに出発。スペインでは、現地時間五日午前十時三十分から妙昌寺(マドリード市)で落慶入仏式をおこなった。

このため、参加者数十名を朝九時から午後二時まで、いつものように缶詰状態にした。日顕は、このスペイン“親修”を終え、七日午前十時三十七分にエール・フランス機で成田空港に到着。

日顕は、往復三十時間かけてスペインに行き、三十八時間スペインにいただけで帰国した。日顕は出発前はご機嫌であったが、スペインではあまりにお粗末な檀徒の結集状況に相当気落ちした模様で、居眠りばかりしていた。そして、成田についた時点ではグッタリ。

このスペイン“親修”のため、十一月二十七日に予定されていた愛媛・妙源寺“親教”、同二十八日に予定していた広島・興福寺“親教”を延期したのだが、その結果は実に惨めなものであったといえる。

この敗因は、現地スペイン側の組織実態が、これまで過大に日顕宗宗務院に伝えられてきたことにもあるが、“親修”をする側の日顕にも大いに問題があった。日顕は、このスペイン“親修”を息抜きの大名旅行程度にしか考えていなかったようだ。

日本を出発する前日の三日夜、日顕らは東京ディズニーランドそばの第一ホテル東京ベイ(千葉県・浦安市)に泊まった。日顕は、女房の政子と一泊四十万円のロイヤル・スイート・ルームに泊まり、随行した坊主らもそれぞれ女房同伴で、いずれも高級な部屋に泊まった。

宗内公知のように、東京・文京区西片には大石寺東京出張所がある。成田まで車で約二時間余をみれば充分、到着できる距離である。

日顕らの成田出発時刻は、午後一時五十分。朝十一時にでも同出張所を出れば間に合う。前日に、わざわざ千葉県浦安市にホテルを取り、総勢で数百万円もの散財をする必要などないのである。

この大名旅行気分のために、日顕のスペイン“親修”は、まったくの秘密主義のもとにおこなわれたのである。それを端的に示した事実がある。日顕は、第一ホテル東京ベイに政子とともに偽名で泊まったのだ。

それも、一泊四十万円のロイヤル・スイート・ルームにである。“親修”出発前の“法主”夫婦によるこの異常行動は、宗史に残る汚点となろう。

さらに、日顕のこの大名旅行に随行した者、出迎えた者の顔ぶれを見れば、日顕の一族主義が垣間見える。血族か一部の気を許した者だけしか、日顕は自分に近づけようとしない。

随行の者の中には、大石寺理事・石井信量、「C作戦」首謀者の一人・関快道などの名が見える。

七日、帰国した日顕を成田空港に出迎えたのは、日顕の女房・政子、藤本日潤の女房・禮子、庶務部長・早瀬義寛、教学部長・大村寿顕、渉外部長・秋元広学、財務部長・長倉教明、庶務部副部長・阿部信彰、渉外部主任・梅屋誠岳、妙國寺住職・早瀬義純、法華講連合会委員長・柳沢喜惣次、同副委員長・石毛寅松、同総務部長・島崎満などである。

日顕は、成田で「一族」の者たちの出迎えを受け、政子と総監・藤本日潤の女房と一緒に車に乗り帰路についた。

この日顕のスペイン“親修”が失敗することは、妙昌寺住職として十月にスペインに赴任していた山田容済が予想していた。十一月下旬、山田は宗務院に対して、以下のような報告をしている。

「野口が宗務院にいろいろ吹き込み、いい報告をしていたが、着いてみたら現地は思ったほどよくない」

なお、「野口」とはスペイン檀徒の中心者。山田容済が把握したように、スペインの檀徒組織は脆弱そのもの。とはいえ“親修”失敗の原因は、日本とスペイン両国にまたがる。

つまり、日顕が御本尊の安置されている大石寺東京出張所に泊まらず、東京ディズニーランドのそばにあるホテルのロイヤル・スイート・ルーム(一泊四十万円)に偽名で泊まり、隠密裡に大名旅行気分で一族を引き連れてスペインに行ってみたら、スペイン現地も遊び半分であったまでのこと。

口先だけでスペインまで日顕を呼び出した野口某がうまいのか、虚妄の檀徒組織に踊らされ、スペイン“親修”にハシャいでいた日顕が能天気なのか。このスペイン“親修”でわかったことは、日顕宗は前線と司令部とが別々の思惑で動いているということである。

これだけで敗軍としての条件は充分だが、もう一つ、それに格好の条件が加わった。敗軍にふさわしい大本営発表である。

七日、日顕宗宗務院は以下のような「宗務広報」を出した。

「宗務広報No.605

             H5. 12. 7  宗務院

 スペイン・マドリード市に信行山妙昌寺が落慶

今般、スペイン・マドリード市に、ヨーロッパ初の寺院である信行山妙昌寺が建立され、その落慶入仏式が、平成5年12月5日(日)、現地時間午前10時30分より、御法主日顕上人猊下大導師のもと盛大に奉修されました。

これは、本宗の世界広布史上燦然と輝く歴史的な壮挙であります。

信行山妙昌寺の建立により、今後一層、スペインをはじめヨーロッパ全土における真の正法広布が進展するものと確信いたします。

なお、御法主上人猊下におかれましては、本日午前10時37分、ご機嫌麗しく、無事に成田空港へ御到着になられました。

上記のとおりお知らせいたします。

                     以上」

「世界広布史上燦然と輝く歴史的な壮挙」に臨むにあたり、その前日に女房と偽名で一泊四十万円のロイヤル・スイート・ルームに泊まった“法主”がいたことを、永久に歴史にとどめたい。

かつてカトリックの宣教師は命がけで東洋に来て布教をおこない、多くの殉教者を出した。そのカトリックが圧倒的な力を持つスペインに向かうにあたり、“法主”がこの程度の覚悟でなにができるというのだろうか。

出発でハシャぎ、現地で居眠り、帰国してグッタリ――この三日間の“法主”の姿は、漫画的ですらある。

家族友人葬のパイオニア報恩社