報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十一章 仏子ぶっし反撃はんげき

地涌オリジナル風ロゴ

第712号

発行日:1993年11月29日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕はいまだに末寺の経済的困窮に親身になれないようで
住職に「肥料」をやれば布教をしなくなると考えている

十一月二十六日、大石寺大講堂で日顕宗全国教師指導会がおこなわれた。この指導会での総監・藤本日潤、庶務部長・早瀬義寛、教学部長・大村寿顕の話は先号(第711号)で紹介した。

今号は、同指導会における日顕の話を紹介する。なお、日顕の話し方はモゴモゴハフハフしており、一部聞き取れなかったことをあらかじめお断りしておく。日顕の発言中、○と表記してあるのは聞きとれない箇所である。

日顕は、この指導会で冷酷なまでに計算づくの話をした。結論から先に言えば、経済的に苦しい末寺でも、援助はなるべく控えるというものである。

末寺住職とその家族の生活が、現在どれほどの窮状にあるかということについて、日顕は人間味ある認識をいまだに持っていない。日顕にとって末寺の困窮は、あくまで他人事なのである。

以下に紹介する教師指導会での日顕の話は、次のような考え方に基づいている。

「末寺住職が金銭的に困れば、信者を増やそうとする。だから、末寺住職は金銭的に困っているほうがいい」

要するに、日顕の考えの底に横たわっているのは、信者を金を収奪する対象としてしか見ていないという冷酷さである。それでは、教師指導会での日顕の話を紹介しよう。日顕は、まず若い末寺住職に対する不信の思いを語る。

「えー、まー、ずいぶん、この忙しくて、大変忙しくて、このー、目の回るような寺院も現在、実際あります。

しかしまた、おそらくこのような状態では、ほとんど忙しくないんではないかと思われるような、推測できる寺も若い人たちのいる寺の中にはあるわけでありますが、その人たちはいったい朝から何をしているのだろう、こう思ったときに、本当に真剣に御書を拝し、前進の気持ちを持って考えるならば、何らかの具体的な実践報告がそこに現れてこなければならないわけである。

それが現れてくれば、いろいろな面で、やはりこの一つの変化が出てくるようにも思うのであります。

なんとなくそういうことが、まだその過去の在り方にかまけておって、えー、そこにふっきれないというような人がもしいるならば、今日は一つこの宗務院の指導、また先ほどの三人の人たちの、この尊い実践、体験を深く心に入れて、明日とは言わず今日からでも、この実践の態度、覚悟を決めてもらいたいと思うのであります。

やはりこのー、時間をボケーッとして無駄にしておるということぐらい、僧侶として恥ずかしいことはない。

もう、本当に忙しい人はそれなりの住職としての、あるいは僧侶としての、おー、さまざまなことで、あるいは面接があり、指導があり、その他法要等もあり、勉強あり、いろいろな面での、このー、先ほどの三人の人が話したような面からの、えー、いろいろな、あー、信徒教化、あるいは創価学会に対する謗法破折というような面でのさまざまな仕事があって、もう目も回るほど忙しい人は確かに多いと思いますが、そうじゃない人こそ、一つ本当に忙しくなってもらいたい」

法華講の多い高級寺院は血族などで固め、富を一部の者に集中していながら、日顕は勝手なことを言っている。末寺住職の無力感は、日顕の打つ手のまずさと高級寺院に陣取る役僧たちの無慈悲な言動に由来していることがわかっていない。

日顕は、このように若い住職に対する不信を露骨に示したあと、

「これは仏法上のことではありませんが、十月、私が、えー、あの、富士学林大学科で講義をしに行った日に、午前と午後の講義があるので、ちょうどお昼の食事のときにテレビを見ておったんです」

と、テレビを見て思いついた話をする。念を押しておくが、今回の日顕の話の骨子は、いつものように思いつきだけである。

「あの、今年は大変な凶作であります、ご存じのとおり。で、青森県は寒いところですから、とくに凶作がひどい。ほとんどの田圃に、あのー、まー、もう、もうあれですけれど、ともかくこの、秋になっても米粒がほとんど実っていない。

ところが、ある農家だけが、かなり広いその人がつくった田圃だけが、ほとんど平年作に近いように実っておる。根は、根を、こー、その田圃の根をとってみると、こんなに長い。

ところが、ほかの田圃の根は、抜くとこれっぽっちなんですね。横に広がっている。縦に深く入ってない。ここが、その面白いところなんですね。

それで結局、じゃ、どうしてこのように変わってくるのか。根の深い田圃は、それがその、そのかなり広い、その人がつくった田圃は全部、稲が実っているわけです。

これはその、やっぱり一つは根がしっかり根づいておるというところに、どんな寒い気候や悪条件にあっても、このきちんとして、やっぱり稲が実ってくれるということが実証してあります。

なぜ、そのように根が長くなったかということが、またもう一つあるわけであります」

日顕はこのように話したあと、稲への「肥料」のやり方を述べる。

「四月頃、五月頃の田植えをしたあと、肥料をやらない。そして、だんだんとあれしていって、えー、まっ、その間、多少の技術面があるのかも知れません、そこんところには。

だけど大きな○○○は、そこにあるらしいんです。それで、あのー、八月頃になって、ちゃんと穂が、もうかなり成長してから、初めて肥料をやるんだそうであります。

そうすると、いわゆるこれは、まー、人間で言うと本当の、このー、しっかりとした、アハッ、力を持つようになったら、自分で自分の一切のことがわかり、いろんな、あのー、このー、援助があっても、それを正しく使っていくことができる。

功徳を、またそのさらに、えー、回向するって言うんですかね、転じていくことができるような、まー、そこになって初めて肥料を与えると、ひじょうにそれが効果があるということであります」

日顕は、この田植えのあと、すぐ稲に「肥料」をやらないほうが好結果を生んだという話に、いたく共感したらしい。そこで法話。

「ですから、これは一つ、いまの宗門の譬えの中では、やはりみんな、かなりいろいろな面で苦しいときと思いますが、この苦しいときに、やはりこのー、我々はさらにさらに、あのー、安易な、えー、肥料を求めないで、どこまでも信心を根本に本当の大聖人様のお教え、僧俗一体の気持ちを持って、この信者とともに苦労するところにですね、我々がこのー、本当に根づいていく、日蓮正宗の教え、そしてこの僧俗の関係、また法華講の組織が未来の大きなさらに大きな広布への発展に、やはり方向へ向かっての、このー、しっかりとした根づきがそこに出ていくということを感じておるものでございます」

この発言の中で、「我々はさらにさらに、あのー、安易な、えー、肥料を求めないで……」と日顕が話しているところが、もっともペテン的なところである。

日顕の考えは、早期に金銭的援助(肥料)をすると末寺が布教をしなくなるということに基づいている。そして、日顕は布教のためという大義名分をかざして、末寺住職に「肥料」をやらないことの正当性を主張したのである。

日顕は「肥料」を出す側であって受ける側ではない。この日顕、日頃は“平僧”を徹底的に差別していながら、都合のいいときだけは、同じ側に立って物を言うのである。

日顕の言いたいことは、末寺住職は安易に「肥料」を求めるなということにすぎない。日顕は、末寺住職に「肥料」をやると、法華講の組織の根つきが悪いと考えているのだ。

太陽にも照らされず、冷たい風に枯穂をサラサラと揺らす――冷害下の稲に擬される末寺住職こそ哀れである。

「まー、あのー、もう、別にまとまったお話も、おー、できませんが、先ほどの多くの人のお話で、みなさんは今日、充分なお土産を持たれたと思いますので、どうぞ一つ、これからもこの僧道に○○をいよいよ正しく御精進なされて、広布の道に向かって○○○○○に進んでいきたいということを申し上げて、本日の最後の挨拶とさせていただきます」

この日顕のシラジラしい話を聞いて、末寺住職や無任所教師らは、どのような「お土産」を手にできたというのだろうか。

指導会に参加したある教師は、「なんの目的で集めたのだろう」と首をかしげながらも、「実りのない大凶作の教師指導会だった」と妙に得心していた。

根をおろす田もなき苗の悲しさよ

家族友人葬のパイオニア報恩社