報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十章 霊山りょうぜん未散みさん

地涌オリジナル風ロゴ

第700号

発行日:1993年10月2日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

御本尊を書写する権能は広宣流布する和合僧団に本来ある
狂った“法主”が破和合僧を策し書写しないなら追放すべき

日顕宗の者らは、創価学会が御本尊の授与を始めたことに相当あわてふためいている。それにケチをつけるために、いろいろと“狂学”を振り回しているようだが、創価学会の授与する日寛上人の御本尊をニセ一万円札に譬える論が結構、日顕宗内で人気を呼んでいるようだ。

この論を最初に言い始めたのは、総監の藤本日潤である。

「日蓮正宗ではこの血脈相承を受けたご法主のみに、戒壇のご本尊を書き写す権能があり、信徒に下付することができることになっています。

したがって、それ以外のところから出るご本尊というのは、もはや本尊とはいえません。

分かりやすくいえばニセ一万円札のようなものでしょうか。いくら精巧な複写機を使ってコピーしても、一円の価値もないというのと同じことなんですね」(『週刊朝日』九月二十四日号より一部抜粋)

この論をオウム返しのように喧伝しているのが法華講の幹部たちで、法華講連合会の柳沢喜惣次は、「どんな精巧な複写器、またカメラ等を使って、被写体の一万円札が本物であったとしても、その写した物は本物ではありません」と、『大白法』(平成五年十月一日付)の「論苑」に書いている。

この論には、日顕宗の者らの、とてつもない傲慢と論理的不整合が隠されている。

まず認識すべきは、日顕は御本尊を「図顕」しているのではなく、「書写」しているということである。言うまでもないが、「書写」している対象は戒壇の大御本尊である。書き写したもの、すなわち複写、コピーしたものがニセ物であるというなら、日顕の御本尊もニセ本尊ということになる。

それとも日顕宗の者らは、生き仏の日顕が御本尊を「図顕」しているとでも思っているのだろうか。日顕もコピーしているにすぎないことを知るべきである。

日顕宗の者らは、御本尊のことを一万円札に譬えなければ理解できないようであるから、あえてその論に沿い文を進めよう。

真券とされる一万円札も、紙幣の原版のコピーである。原版から見れば、一万円札もニセ物ということになるのだろうが、社会的にはニセ物と言わず、それを真券という。このことは複写、印刷されたものでも、国家が認めたルールにのっとり作られたものであれば、本物として扱われ経済的価値を有するということである。

ことのついでに言っておけば、日銀総裁が国家破壊の目的で一万円札などの日銀券を公平に流通させず、果ては野心もあらわに、「日銀券を刷る資格は、自分にだけある。自分に従わなければ日銀券は一切、渡さない」と国民をおどせば、日銀総裁は全国民から狂ったと認定され放逐されるだろう。

日銀総裁は、国家目的に沿って国民の生活に寄与するために日銀券を刷り流通させるべきであり、“法主”は仏意に沿い広宣流布の目的のために余念なく御本尊を「書写」し御本尊流布に大いに貢献すべきである。

そもそも、「御本尊書写係になりたくない」などと不遜なことを言い、みずから生き仏になろうとしたことが、日顕に現在の狂いを生じさせたのである。

日銀総裁が日銀券の印刷に直接、関わっているからといって、日銀総裁が日銀券印刷についての全権を本来的に有しているわけではない。紙幣を発行する権能は本来、国家が有しているのである。

御本尊書写の権能は、本質的には広宣流布を進める和合僧団が現時において有しているものであり、本源的には日蓮大聖人の仏意に発するものである。

そうであるならば、「書写」する者には、それ相応の信心がなければならないということになる。日銀総裁に人格識見が求められる以上に、御本尊を「書写」する者には信心が求められ、その発露としての人格識見、なによりもまして慈悲が求められるべきである。

日銀総裁が刷った日銀券を懐に夜の街を徘徊してはならない以上に、御本尊を「書写」する者も御供養を掠めて布教先で買春したり丑寅勤行をサボって温泉で遊興してはならないのである。

突きつめれば「書写」する者に問われるのは、なによりも信心である。

「書写」する者が狂乱し、大御本尊ならびに「書写」した御本尊を破和合僧の目的に利用するならば、和合僧団は「書写」する者の権限乱用を戒め、同時に仏意に沿った御本尊「書写」のルールに基づき、御本尊を「書写」し御本尊流布をすべきである。

このとき、和合僧団の定めたルールに反し、もし仮に本尊を雑乱する者があれば、それは破和合僧である。創価学会による「御本尊授与に関する制定」は、その趣旨によると理解される。

日顕の狂乱により、仏意仏勅の和合僧団・創価学会が本来有するべき御本尊授与の権能を回復したことは喜ばしい。これにより、世界広布は飛躍的に進展する。

時のしからしむるところ。

家族友人葬のパイオニア報恩社