報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十章 霊山りょうぜん未散みさん

地涌オリジナル風ロゴ

第699号

発行日:1993年10月1日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

“模刻問題”は先師の失念により起きたが学会はそれを庇った
この真相を裏づける総監・藤本自筆の極秘メモを公開する

創価学会が、日達上人の許可なく紙幅の御本尊を板御本尊に謹刻したとする、いわゆる“御本尊模刻事件”について、創価学会が長年の沈黙を破り、真相を明らかにしはじめた。

それによれば、巷間伝えられていたことと事実はまったく逆。創価学会は、日達上人の許可を受けて御本尊を謹刻していたのであり、その後、おもに正信会に行った坊主らが“模刻”だと騒ぎ出したとき、七体の板御本尊を大石寺に納めたのは、許可したことを“失念”した日達上人を庇い、僧俗和合を願ってのことであった。

本紙『地涌』編集部は、日達上人が創価学会の御本尊謹刻を許可した経緯を記録した宗門側の極秘資料を入手した。その極秘資料とは、日顕宗の現総監である藤本日潤が、みずから綴った「備忘録」である。本稿では、以下これを「藤本メモ」と称する。

この「藤本メモ」は、今回、創価学会側が明らかにした御本尊謹刻に関する事実を、ことごとく裏づけるものである。窮地に追い詰められた日顕宗は、創価学会を誹謗するために“模刻問題”を口にしているが、「藤本メモ」はこの日顕宗の主張を根底より崩す一級資料といえる。

それでは、「藤本メモ」を公開する前に、創価学会が最近になって明らかにした御本尊謹刻に関する事実を紹介しておきたい。

御本尊謹刻についての真実は、『聖教新聞』に連載されている「人類の夜明け『創価の世紀』の開幕」と題する座談会記事の中で次々と明らかにされている。

辻武寿参議会議長は、その座談会の中で、「あの御本尊の謹刻は、当時、間違いなく日達上人の了解も得たうえで謹刻したものなのです」(九月十五日付『聖教新聞』より引用)と述べている。

秋谷栄之助会長も、この辻参議会議長の発言を受けて、

「その通り。当時の経過について言いますと、昭和四十九年に、学会は創価学会常住の御本尊はじめ数体の御本尊を、将来にわたり大切にお守りするために板御本尊に謹刻させていただきたいと、時の日達上人に願い出たのです」(同)

と明言し、その願い出に対し、日達上人から了解を得ていたことを明らかにしている。

謹刻した御本尊のうち、七体を大石寺に納めたことについても、同記事中、原田稔副会長が事情説明している。

「その理由はただ一つです。実は、日達上人の娘婿で学会との折衝役になった大宣寺の菅野慈雲から『猊下は活動家僧侶との板挟みで、学会を守るために苦しんでいる。猊下の立場を考えて、板御本尊については、本山に納めてくれないか。そうしてくれれば、問題はすべて収まるから』という趣旨の話があったのです。

学会としては、経過からしてこれに応じなければならない理由は何一つありません。しかし、とにかく宗内が反学会の活動家僧侶の決起で揺れに揺れ混乱している。したがって、こうした宗内の異常事態を収拾することが最優先課題でした。ゆえに日達上人を守るために、学会常住以外の七体の板御本尊を本山に納めたわけです」(同)

“模刻問題”について、池田名誉会長並びに創価学会が故なき批難を浴びながらもそれに耐え、日達上人や宗門を守ってきた経過を宗門中枢は熟知していながら、創価学会が沈黙していることをよいことに、今日までその犠牲の上に平然と胡座をかいてきたのである。

それだけではない。そのうえ、さらに日顕らは、創価学会が先師日達上人の“失念”を庇い沈黙していることを知りながら、“模刻問題”を創価学会攻撃の材料としてきた。

恩を恩とも思わぬ、実に高慢にして悪辣なやり口である。

九月三十日付『聖教新聞』は、連載している同座談会記事の中で、当時、日蓮正宗御用達の仏師であり、八体の御本尊を謹刻した赤沢猛・赤沢朝陽社長の、「御本尊謹刻は、宗門では昔から普通にやっていることです。それを謗法呼ばわりするとは、日顕は全く事実をねじ曲げています」(九月三十日付『聖教新聞』より引用)との発言をまず紹介し、つづけて以下のような会話を掲載している。

「赤沢 ええ。学会の御本尊謹刻のことは、日達上人は、最初からもうご存じでした。これは日達上人からも、また池田先生からも、私は直接お話を伺っているんです。先生からお話を聞いたのは、昭和四十九年の一月でした。

細谷 それは、御本尊の謹刻を開始する前ですね。

赤沢 そうです。前年の四十八年の暮れに、学会本部から、『学会の御本尊を何体か板御本尊にしたいので、そのときはよろしくお願いしたい』という話がありまして、私は、『猊下に一言いっていただければ、私どもは安心してできますが』と答えました。

それで年が明けた一月に、池田先生にお会いした折、先生のほうから『御本尊のことは、私から猊下に申し上げておいた。猊下は、“大事にするためなんだからいいんだよ”とおっしゃっていた。安心してよろしく頼みます』と言われたんです。

高橋 明快ですね。池田先生と日達上人の間で、よく話し合われていたのですね。

秋谷 そうです。昭和四十九年の初頭に、日達上人と池田先生との間で、御本尊謹刻の件で話があったのは、事実なんです。日顕宗は猊下に無許可でやったなどと嘘を言っているが、学会には、猊下に黙ってやらなければならない理由など何一つないわけです。それに、“大事にするためなんだからいいんだよ”との日達上人の指南は、まさしく信心が大切であることを示されたものです。ですから、学会の御謹刻というのは、本来、全く間違いはなかったのです。

赤沢 もう一つ、日達上人が最初から了解されていたことも、私は直接、確認しています。それは同じく四十九年の秋ごろでした。仕事のことで、大奥の対面所で日達上人とのお目通りがありました。本来の用件が終わって、猊下はいったんお帰りになろうとしたんですが、思い出したように戻ってこられ、『そういえば、学会本部の御本尊は赤沢で彫ってるんだよね』と聞かれたのです。

私が『そうです』と答えますと、猊下は『他のもやってるのかい』と言われました。私が『はい。やりました。たしか、池田先生が猊下様に申し上げたと言われておりましたが』と申し上げると、『うん。池田会長から聞いてるよ。あと五、六体やらせてもらいたいと言っていたな』と言われて、部屋を出ていかれたんです。

斉藤 日達上人が、学会本部をはじめ、他の御本尊の謹刻のことも、明確に承知されていたことは明らかですね。

赤沢 そうです。本部師弟会館の御本尊の御謹刻の依頼を受けて、取り掛かったころですから、私もよく覚えています」(同)

赤沢朝陽は、明治四十年から日蓮正宗の仏師を勤めてきた老舗である。その赤沢社長が、御本尊謹刻について創価学会に一点の非もないことを証言した意義は大きい。

同座談会の記事中、秋谷会長が、

「御謹刻は日達上人の了解を得たうえで始まりましたが、本部師弟会館の学会常住の御本尊のとき、再度、連絡会議にもかけている。四十九年の九月二日です。

そのときは、総監代務者の日顕自身が宗門側の責任者として出ていて、日達上人に取り次いだのです。そのときも、はっきりと了解をいただいている。それを、ごまかしているんです、日顕は」(同)

と述べていることも注目される。

それでは、当時、庶務部長であった現総監の藤本日潤が日々の出来事を記録した「藤本メモ」には、御本尊謹刻についてどのように書かれているであろうか。

まず、昭和四十九年九月二日付の「藤本メモ」を紹介する。

創価学会と宗門との連絡会議を記した昭和49年9月2日の藤本自筆メモ

「9・2

  △后6:50~8:40 雪山坊 連絡会議

   阿部、吉田、藤本、理事    横山

   会長、北条、森田(康)、星生、八尋、平野

1. 正本堂建立2周年記念行事の件、  ―10月11. 12の2日間

2. 正本堂会計の収束について、  ―9月末日で収束

3. 正本堂会計の土地を学会に譲渡する件、  ―扶桑文化センター等

4. 宗門擁護基金について、  ―とりやめる

5. 記念資料館について、  ―運営主体、富士美術カンに

6. 旧妙國寺建物、土地譲渡の件 ―お願いしたい

7. 本部三階の御本尊の件 ―板御本尊にしたい」

この「藤本メモ」は、昭和四十九年九月二日午後六時五十分から八時四十分まで、雪山坊においておこなわれた創価学会と宗門の「連絡会議」の内容を記録したものである。

その議題の「7」に注目すべきである。そこには、「7. 本部三階の御本尊の件 ―板御本尊にしたい」と記されている。この記録の示すところは、創価学会本部三階に安置されている創価学会本部常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を、板御本尊として御謹刻申し上げたいと、創価学会側より宗門に願い出たことを記録したものである。

では、この「連絡会議」の翌日である昭和四十九年九月三日のことを記録した「藤本メモ」を見てみよう。

日達上人の御本尊謹刻許可を記した昭和49年9月3日の藤本自筆メモ

日達上人の御本尊謹刻許可を記した昭和49年9月3日の藤本自筆メモ

「9・3

  [奥]*ゼ8:35~9:40(阿、吉、藤、理)

  昨夜の連絡会議の件 御報告

1. 正本堂2周年法要の名称 正本堂建立第三年記念大法要

       第1日 世界平和祈願会

       第2日 正本堂建立第三年記念法要

 2の件 ―OK

 3の件 ―OK

 4の件 ―OK

 5の件 ―OK

 6の件 ―OK

 7の件 ―OK」

以上の「藤本メモ」の意味するところは、九月三日午前八時三十五分から九時四十分にかけて、「奥」すなわち大奥に上がり、日達上人に前日の「連絡会議」について報告した、というものである。このとき、日達上人に直々に報告したのは、連絡会議に出席した阿部日顕、吉田日勇、藤本日潤、早瀬義孔の四名であった。

この「お目通り」において日達上人は裁可を下している。「藤本メモ」には、「7の件 ―OK」と明記されている。創価学会本部常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を板本尊として謹刻してよろしい(OK)と、日達上人が許可したのである。

それなのに、なぜ、日達上人の許可を得て御謹刻申し上げた御本尊について、創価学会が勝手に“模刻”したなどという事実に反した悪い噂が立ちはじめたのであろうか。

その解答は、創価学会が日達上人より御謹刻の許可をもらった翌年の「藤本メモ」に出ている。すなわち昭和五十年一月十日付の「藤本メモ」である。

日達上人の御本尊謹刻許可”失念”を裏づける昭和50年1月1日の藤本自筆メモ

日達上人の御本尊謹刻許可”失念”を裏づける昭和50年1月1日の藤本自筆メモ

「                   1. 10

[奥]*ゼ9:10(吉田、藤本)

1. 昨日の会議の結果 御報告

 (藤本より)

1. 妙教寺 駐車場用地購入承認書1/10付―印頂戴

2. 仏心寺 土地贈与(学会へ、会館用地として)承認証―OK

3. 本証寺 総代・補欠(K)選定届―OK

4. 妙経寺 総代改選届      ―〃

5. 興道寺 法ケ講役員改選届   ―〃

6. 伊藤康二(品川区小山4―14―10)より藤本宛書簡(学会本部で紙幅御本尊を板御本尊に彫刻、入仏式をやったことが聖教新聞に出ている件について質問)
御披露―G)日昇上人御本尊の彫刻については. 前に話しがあったかどうか記憶ない.許可した覚えはない。正月登山の時に。会長から『板御本尊にしました』という報告はあった。個人が受けた御本尊だから、その人又は会の宝物だから。どのように格護しようと他がとやかく云えない。紙幅を板御本尊にするということは。前からも行なわれている。御開眼とか。入仏式とかは。信仰上からは。僧侶にお願いするのが本当だが。しかし。これも個人の自由で、僧侶を呼ばなければいけない。という事でもない」

以上の「藤本メモ」は、次のように解される。

昭和五十年一月十日午前九時十分、吉田日勇と藤本日潤の両名は大奥に上がり日達上人に「お目通り」した。この時、品川区在住の「伊藤康二」という人物が「藤本宛」に出した書簡を、藤本が日達上人に見せた。

書簡は、「学会本部で紙幅御本尊を板御本尊に彫刻、入仏式をやったことが聖教新聞に出ている件について質問」したものであった。この書簡を見た日達上人(「藤本メモ」ではGとなっている)は、まず創価学会本部常任の本尊の御謹刻について、

「日昇上人御本尊の彫刻については. 前に話しがあったかどうか記憶ない. 許可した覚えはない. 正月登山の時に. 会長から『板御本尊にしました』という報告はあった」

と述べたことが、「藤本メモ」に記録されている。この「藤本メモ」からうかがえることは、日達上人は前年(昭和四十九年)の九月三日に出した許可を“失念”してしまっていたということである。

日達上人は“失念”の挙句、「記憶ない、許可した覚えはない」と発言したのである。その事実に反した発言は、以降もつづいたようである。

ここで考えられるのは、庶務部長であった藤本がメモまでしていながら、日達上人の“失念”を正さなかったという職務上の怠慢の罪の重さである。このため、それ以降、宗内で無用の混乱がつづいたのだ。

さて、この一月十日の「藤本メモ」によれば、日達上人はこのとき、藤本日潤に対して、前もって創価学会が日達上人の許可を受けていなかったにしても、紙幅の御本尊を板に御謹刻することは何ら悪いことではないと指南している。

これは、きわめて重要なことである。しかも、板御本尊の開眼についても、「僧侶を呼ばなければいけない. という事でもない」と指南している。

すなわち、紙幅の御本尊を板御本尊にすることは、御本尊を受持していく者の信心の表れであり、御本尊を一層大事にすることであるから、僧がそこに介在する余地はないとの判断を、日達上人は示されたのである。

この昭和五十年になされた日達上人の指南からすれば、昭和五十三年に山崎正友らに操られた正信会の坊主らが、御本尊を“模刻”したとして創価学会を「謗法」であると批判したことは、まったくもって不当な中傷であったということになる。

しかも、それは事実関係のみならず、教義においても、はなはだしく不当なものであったと言える。

「藤本メモ」によれば、日顕は、「本部三階の御本尊の件―板御本尊にしたい」との創価学会側からの願い出がおこなわれた昭和四十九年九月二日の連絡会議にも出席しておれば、そのことについて日達上人の許可を得た昭和四十九年九月三日の「お目通り」にも列席している。

それでいて日顕は、事実に頬かむりして創価学会なかんずく池田名誉会長を誹謗しているのである。日顕は、「C作戦」を断行した直後の平成三年一月六日の全国教師指導会において、

「あの御本尊の件というのはね、私から言っとくよ。御本尊の件、御本尊模刻の件についてはね、これはね、こちらから基本的に、やはり今後も言わないようにしたほうがいいと思う。ただしなにかの話の中で『名誉会長は、池田先生は絶対間違いないんだ』というようなことを向こうが、いや信徒が話をした時、その時の対応の中では『御本尊模刻ということもありましたよ』ということは言っていいと思います。

それから『名誉会長がどこまでも正しいんだと、誤りがないんだ』と言っている人が、信じている人がいるとしたら、その御本尊模刻の件も色々の指摘すること、間違いの中の一つとして『御本尊の模刻もありました』と言っていい」

と述べている。日顕は事実を知りながら、ウソをついて信徒を誑かす大変な悪比丘であることが、この一事をもってもわかる。しかも、先師日達上人の指南に平気で叛き、「模刻」の問題に言及するように、平成三年一月の段階で全国の教師に早くも教唆したのである。

日顕は、平成四年八月二十八日におこなわれた全国教師指導会においても、つぎのように話している。

「本尊について仏智をないがしろにし、『日蓮が魂を墨に染め流して……』ともかく日蓮大聖人の御心をないがしろにしている。池田大作が御本尊に関して明らかに大聖人の御心に背いている。

したがって、本尊の模刻があった。本尊の模刻については私は関与していないけれどもだ。日達上人が、いろんな面で最終的には触れるなとおっしゃったけれども、今日ここに至れば、やはりその在り方のもとは、本尊蔑視の池田の本尊観からこうゆう本尊模刻というのが出てくるのだ」

ここで日顕は、「本尊の模刻については私は関与していない」と言明している。だが、先の「藤本メモ」に記されているように、日顕は創価学会側が宗門に御謹刻を願い出た連絡会議にも日達上人が許可を与えた「お目通り」にも出席していたのである。

断るまでもないが、総監・藤本日潤の記したこの「藤本メモ」により、御本尊を板に御謹刻した創価学会の行為が、事実経過においても教義においても、なんら問題にされるようなことでないことが証明された。

他方で、「藤本メモ」は、日顕や藤本が御本尊のことについても、シャアシャアとウソをつく稀代の悪比丘であることを立証した。

平成三年十一月二十八日、日蓮正宗管長阿部日顕、日蓮正宗総監藤本日潤は、「日蓮正宗は、宗教法人創価学会を破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします」(『創価学会破門通告書』より引用)という内容を骨子とする「破門通告書」を創価学会側に送りつけた。

この「破門通告書」により全世界の一千万人の仏子が「破門」にされたのだが、その「破門通告書」にも、“模刻問題”が、「池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております」(『破門通告書』より引用)と記述されている。

日顕、藤本ともに事情を知悉していながら、創価学会破壊を目的として池田名誉会長に故無き罪を着せたのである。その悪辣な行為は、今日においてもつづけられている。

本年九月十三日、日蓮正宗宗務院は「創価学会の『ニセ本尊』について」という院達を「宗内一般宛」に出したが、この院達の中でも御本尊謹刻の事実経過を無視し、以下のようなウソを公然と述べている。

「かつて、池田大作は、自らの慢心をもって宗門支配を企て、時の御法主日達上人に無断で御本尊を模刻し、各地の会館に安置するという非法行為を犯し、日達上人より厳しい御叱責を蒙って、総本山にその模刻本尊を納めたという経緯があります」

この院達を出した宗務院の総監は、「藤本メモ」を書いた当の藤本日潤である。事実を知りながらこれだけのウソをつき、人を誹謗中傷することは犯罪である。日顕宗中枢の坊主らは、このような大それた犯罪行為を平気でおこなうのである。

この院達は、創価学会が日寛上人の御本尊を会員に授与することを九月七日に発表したことにうろたえ出されたもの。だが、ありもしない“模刻問題”にこと寄せて創価学会の御本尊授与の不当性を述べている日顕宗の姿は、創価学会による御本尊授与がいかに正当であるかを逆説的に証明している。院達は先に引用した“模刻”に論及した文につづき、つぎのように述べている。

「しかるに、創価学会は、再びこの過ちを犯したのです。先には宗祖大聖人以来の唯授一人血脈相承を否定し、今また宗祖大聖人の御当体たる大御本尊の深義までを否定し、汚し奉ったのであります。

宗内僧俗各位には、近年における創価学会の一連の言動が、ことごとく宗祖大聖人の御真意に反逆する大謗法行為であり、創価学会作成の本尊が『ニセ本尊』であることを、宗の内外に広く知らせるとともに、創価学会の邪義を徹底的に破折し、御法主上人の御指南のもとに寺檀和合・正法興隆のため、ますます精進せられるよう望みます」

院達は、“模刻問題”と今回の“御本尊授与”を、同等の謗法行為としている。ということは、“模刻問題”が事実無根であり、まったく謗法でないことが確認された今、創価学会による“御本尊授与”も仏法上、なんらの咎もないことが証されたことになる。

換言すれば、創価学会の“御本尊授与”に対する日顕宗による批判は、“模刻問題”同様の仏法に違背した難クセということになる。

創価学会による“御本尊授与”の聖業にケチをつけようとして、“模刻問題”とリンクしたことにより、かえって日顕宗の主張に根拠のないことが満天下に明らかとなったのである。

宗内の僧俗は、いつまでも日顕や藤本の「ウソ」に踊らされていないで、真実を見つめ仏意を探る努力をすべきだ。同時に、“模刻問題”について沈黙することにより先師日達上人の徳を守り、泥をかぶってまで僧俗和合を願った池田名誉会長の広宣流布成就に向けての熱誠を思うべきである。

なお参考資料として「藤本メモ」のコピーを掲載したので真実究明の糧としていただきたい。

家族友人葬のパイオニア報恩社