報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十八章 現証げんしょう歴然れきぜん

地涌オリジナル風ロゴ

第679号

発行日:1993年7月15日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

大謗法を犯し仏子を迫害した日恭が堕獄の相を現じたのを
真実のまま伝えることは仏法の因果律を教えることに通ず

『慧妙』(平成五年七月一日付)が、「『地涌からの通信・資料編』を笑う」と題して、大石寺第六十二世日恭の死にざまについて、事実を隠蔽しようと姑息な文を掲載している。

『慧妙』は、『地涌からの通信・資料編』が日恭の死について報じた真実の報道が気にくわないというのである。日恭の無残な死が真実となれば、“法主”を“現代における大聖人様”と崇め、その生き仏に“信伏随従”することを根本教義とする邪宗日顕宗にとっては、はなはだ不都合なことになる。それだけに日恭の死にまつわる真実を、歴史の奥底に隠しておきたいのである。

では「『地涌』からの通信・別巻(1)資料編」は、日恭の死についてどのように記述していたであろうか。関連部分を以下に引用する。

「昭和二十年六月十七日、大石寺は炎に包まれた。対面所裏より出火した炎は対面所、客殿、六壺、大奥などを焼き尽くした。朝四時まで燃え盛ったといわれる炎は、第六十二世日恭の生命を奪った。焼け跡から発見された日恭の焼死体は、仏法の厳しさを示して余りあるものであった。日恭は、客殿一階部分の、主に従業員などが食事をしていた食堂の一角にあった竈(かまど)で発見されたのである。日恭は竈の中に下半身が嵌まり込み焼け死んでいた。しかも無残なことには、下半身と腹わたは焼けず、生身のままで上半身のみ黒焦げとなって死んでいたのであった。

日恭は前日、静養先の隠居所からたまたま大石寺に戻り、火事の夜、客殿二階にあった管長室に泊まった。日恭は巨躯と病気のために歩行困難であった。

その日恭が火に巻かれ、速やかに逃げることができなかったのは無理からぬことであった。恐らくは火事のため客殿二階の床が焼け落ち、日恭は一階に落ち、意識のあるまま竈に嵌まり込み、逃げるに逃げられないまま焼け死んだと思われる。上半身のみ焼け、下半身と腹わたが残った死体が、そのことを物語っている。

時の法主が本山で無残な焼死をしたことは、仏法の因果からして当然のことであった。軍部の猛威を前にして恐怖し、御書削除、御観念文の改竄、そして神札甘受と大聖人の教えを次々と打ち捨て、その上あろうことか、仏意仏勅の団体である創価学会(当時・創価教育学会)を自己保身の故に見捨てた宗門に、厳罰が下ったのだ」(筆者注 日恭は大奥に隣接する「奥台所」の竈にはまり込み焼け死んだと、後に判明した)

この文について『慧妙』は、「読むも汚らわしい文章だが、『文は人なり』とはこのことであろう。学会の御歴代を貶(おとし)めんとする体質がにじみ出ているではないか」と、反論の冒頭に書いている。

まず、念を押しておきたいのは、「『地涌』からの通信・別巻(1)資料編」の発行者は、日蓮正宗自由通信同盟の不破優で「学会」ではない。今後ともくれぐれも間違わないよう気をつけてもらいたい。

では、本論に入る。この文章は、「御歴代を貶めんとする」目的で決して書いたのではない。仏法の因果律の厳しさを読者に知ってもらおうとしたものである。したがって、この文章それ自体が汚らわしいのではなく、日恭の死が汚らわしいのである。

この事実を、まず明確に認識する必要がある。竈に嵌まり込み、上半身が焼け焦げ下半身と腹ワタが焼け残った死体について、耽美的な文章をもって表現できる人はいない。

日蓮大聖人曰く。

「『今畏の遺形を観るに漸く加縮小し黒皮隠隠として骨其露なり』等云云、彼の弟子等は死後に地獄の相の顕われたるをしらずして徳をあぐなど・をもへども・かきあらはせる筆は畏が失をかけり、死してありければ身やふやく・つづまり・ちひさく皮はくろし骨あらはなり等云云、人死して後・色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし」(報恩抄)

【通解】「今、善無畏の遺体を見ると、次第に体が縮小し、黒皮に覆われて、骨が露われている」等とある。彼の弟子等は、死後に無間地獄に堕ちた相が顕れたことを知らずに、師の徳を宣揚しようと思ったが、書き著わした文は、善無畏の堕地獄の失を書き残してしまった。死んでしまったので、体が次第に縮まり、小さくなり、皮膚は黒く、骨が露れている等と書いている。人が死んだ後に色が黒いのは、地獄の業であると定めることは、仏陀の金言なのである。

『慧妙』はこの無残な死を描写された御本仏の御聖訓についても、「文は人なり」と批判し、文を書いた日蓮大聖人を卑しむというのであろうか。峻厳なる仏法の因果律を教えるために、御本仏といえども不成仏の死について露な真実を伝えられているのである。

日恭は、戦時下にあって国家権力の猛威を恐れ、戦争翼賛の訓諭、伊勢神宮遥拝の院達、御書の字句を削除、御観念文の改竄、神札甘受などの大謗法を犯した。

さらには、日蓮大聖人の教えどおり謗法厳戒にして折伏弘教に精進していた創価教育学会・牧口常三郎会長らが、昭和十八年七月に治安維持法違反、不敬罪の容疑で逮捕されるや、同会長らを信徒除名にした。それが日恭である。

日蓮大聖人の弟子、とりわけ“法主”として絶対なしてはならないことを数限りなく犯したのであるから、日恭が厳然たる仏罰を蒙って無残な死を遂げたのは仏法の因果律に照らして、むしろ当然すぎるほど当然なことである。

したがって、日恭の仏罰厳然たる死の姿を真実のままに認識することは、仏法を正しく学ぶうえで非常に重要なことといえる。

“法主”であっても謗法を犯し仏子を迫害すれば臨終において堕地獄の相を現ずることとなる。すなわち“法主”であろうと謗法を犯し仏子を迫害すれば成仏しない。

くり返しておくが、日恭の無残な死をそのまま伝えることは、仏法の厳しき因果律を伝えることである。汚らわしいのは日恭の死であって、その真実を通し仏法の厳しさを伝える文を、「読むも汚らわしい文章」と誹謗する『慧妙』の記事は、真実から目を背け、仏法の因果律をないがしろにする破仏法の記事であるといえる。

何よりも大事なことは、真実が露見して困るような死に方を“法主”自身がしないことである。宗内の僧俗は、もし“法主”が仏法違背した場合は、慈悲心をもって“法主”の間違いを正すべきだ。それはとりもなおさず正法正義を守ることとなり、日蓮大聖人の弟子としての責務である。

以上、まずは『慧妙』六行分の反論まで。

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