報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十八章 現証げんしょう歴然れきぜん

地涌オリジナル風ロゴ

第671号

発行日:1993年6月17日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

牧口会長は信徒除名され獄にあったが覚悟の臨終であった
“法主”日恭は大御本尊間近にいながら無残な焼死をした

末法の御本仏日蓮大聖人の御聖訓の一部を、神道の領導する国家権力の猛威を恐れ削除した宗門には、邪宗教に対し不惜身命の大折伏をなされた日蓮大聖人の弟子としての資格はない。

なおかつ宗門は、神宮大麻などの「神札」を謗法払いする創価教育学会に対し、法義に反し「神札」を受けるよう命じ、それにしたがわない牧口常三郎会長ら創価教育学会幹部を「登山止め」処分にし、仏弟子に対する迫害をもおこなった。

昭和十八年七月六日、牧口常三郎会長、戸田城外理事長らが不敬罪ならびに治安維持法違反で逮捕されるや、宗門はさらに牧口会長、戸田理事長らを信徒除名にした。のちには創価教育学会員すらも寺に出入りすることを禁じ、最も創価教育学会の活動を理解していた中野の歓喜寮(堀米泰榮住職、のちの日淳上人)すらも、学会員の参詣を禁じた。

国民は天皇を“現人神”と敬うように教育され、精神的価値は国家神道に統一された。

このような世情にあって、不敬罪および治安維持法違反で逮捕された当人やその家族が、どれほど辛い思いをしたかを、いまの平成の時代に生きる人々が想像することは到底、不可能であろう。

戦時の思想統制下という異常な社会情勢の中で、しかも獄中にあって、牧口会長、戸田理事長らが日蓮大聖人の法義を命懸けで主張しているのに、宗門は牧口会長、戸田理事長に対し、信徒除名をもって報いたのである。

それだけではない。宗門は、官憲に屈服することを家族を通して牧口会長らに呼びかけたのである。

牧口会長は、昭和十九年十一月十八日に巣鴨拘置所(現在の東京都豊島区東池袋、サンシャイン60の建っているところにあった)で亡くなったが、その前日十七日に、同拘置所四舎の独居房から病監に移った。

牧口会長は病監に移るに際し、下着を着替え足袋を履きかえ威儀を正したという。病監に移る途中、足もとがもつれ転んだが、看守が手を貸そうとするのを断り、一人で最後まで歩き病監に入り、病監に入るとすぐ昏睡状態となったことが伝えられている。翌十八日朝、牧口会長は巣鴨拘置所病監で息を引きとった。

牧口会長の遺体は頭と顔を白い布で蔽われ、縁戚の使用人であった小林秋高という人が、巣鴨拘置所から牧口会長の自宅(現在の豊島区目白)まで背負って帰っていった。

牧口会長は獄中での死ではあったが、みずから装束を整えられ、覚悟の死であったことがうかがわれるのである。

この偉大なる仏弟子・牧口会長と、同会長を師と仰ぎ、獄まで供することができたことを喜ぶ戸田会長を、御本仏日蓮大聖人はどれほど愛でられたことであろうか。

日亨上人は、「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」(『富士宗学要集』第一巻所収「有師化儀抄註解」より一部抜粋)と書かれている。御本仏日蓮大聖人の血脈は、創価学会の信心にこそ流れているのである。

「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し、法華不信の者は『其人命終入阿鼻獄』と説かれたれば・定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん浅まし*浅まし*、十王は裁断し倶生神は呵責せんか」(生死一大事血脈抄)

【通解】このように、十界の当体が妙法蓮華経であるから、仏界の象徴である久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経すなわち妙法蓮華経と我ら九界の衆生の三つは全く差別がないと信解して、妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。このことが日蓮が弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとは、このことをいうのである。

所詮、臨終只今にありと覚悟して信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人を普賢菩薩勧発品には「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれている。喜ばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏でなく千仏までも来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押さえがたいことである。

これに対し法華経不信の者は、譬喩品に「其の人は命終わって、阿鼻獄に入るであろう」と説かれているから、定めて獄卒が迎えに来て、その手を取ることであろう。あさましいことである、あさましいことである。このような人は十王にその罪を裁断され、倶生神に呵責されるにちがいない。

牧口会長は獄にあって死んだが、境界は寂光土に住していたのであった。牧口会長の臨終にあたり、一仏二仏のみならず百仏二百仏を超え千仏が来迎したであろうことは、このように御金言に照らして分明である。

では、御書を削除し、神札を受け、数限りない謗法を犯し、そのうえ、真の仏弟子たる牧口会長、戸田理事長を信徒除名にして迫害し、しかも、日蓮正宗僧侶でただ一人、不敬罪で獄に繋がれた藤本蓮城をも一宗擯斥処分にし、僧籍を剥奪し、宗外に追放した日蓮正宗第六十二世鈴木日恭は、いかなる死に方をしたのであろうか。これまた御金言どおり、獄卒が迎えにきたとしか思えない死にざまであった。

昭和二十年六月十七日、大石寺は炎に包まれた。午後十時半頃、対面所裏より出火した炎は対面所、客殿、六壺、大奥などを焼き尽くした。翌十八日朝四時まで燃え盛ったといわれる炎は、第六十二世日恭の生命を奪った。

焼け跡から発見された日恭の焼死体は、仏法の厳しさを示して余りあるものであった。日恭は竈の中に下半身が嵌まり込み焼け死んでいた。しかも無残なことには下半身と腹わたは焼けず生身のままで上半身のみ黒焦げとなって死んでいたのであった。

日蓮大聖人御在世当時、日蓮大聖人を貶めんと策謀した良観の極楽寺が焼失し、火は御所に飛び火し、その一部を焼いた。この火事について、日蓮大聖人は次のように仰せになっている。

「一火は身に留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ、又一火は現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき先表なり、愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり」(王舎城事)

【通解】両火のうち一火は自身に溜って極楽寺が焼けて地獄寺となった。また一火は鎌倉に飛んで御所を焼いた。また別の見方をすれば、一火は現世の国を焼くうえに、未来には日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて、阿鼻の炎にもえる先表である。愚癡の法師たちが智慧のある者の言を用いない結果は、このようなありさまである。

戒壇の大御本尊様まします大石寺も破仏法の者らの支配するところなり、真の仏弟子を迫害すれば「地獄寺」と化し、“法主”すらも断末魔のあがきをもって死を迎えることになるのである。信心に依ってのみ、御本仏日蓮大聖人との血脈を継ぐことができるのである。

日蓮大聖人曰く。

「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」(生死一大事血脈抄)

【通解】心して強盛な大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念なさるがよい、生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。

日恭は、一山の“法主”として身を霊山浄土たるべき第二祖日興上人開山の大石寺に置きながら、堕地獄の現証を示して死んだのであった。

唯授一人血脈相承を高唱すれども、信心なき日恭に血脈はない。成仏不成仏は、処に依らず、地位に依らず、無論、僧と俗の差別に依らず、ただ信心に依るのである。

仏罰にも隔てはない。

仏意仏勅の和合僧団である創価学会の牧口初代会長、戸田第二代会長を「信徒除名」にした日恭は無残な焼死をした。

池田名誉会長を「信徒除名」にし、創価学会員をことごとく「破門」にした日顕に、仏罰の下らないことはないのである。

この稿を終えるあたり、次のことを強調しておきたい。創価学会初代、二代、三代会長がいずれも罪なき罪で獄に繋がれ、いずれも「信徒除名」となったことは、創価学会員すべての誇りである。

日蓮大聖人曰く。

「末代の法華経の聖人をば何を用つてかしるべき、経に云く『能説此経・能持此経の人・則如来の使なり』八巻・一巻・一品・一偈の人乃至題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(四条金吾殿御返亊)

【通解】今末法の法華経の聖人については、何をもって知ることができるのであろうか。法華経法師品第十に「能く此の経を説き、能く此の経を受持する人は仏の使いである」と説かれている。すなわち法華経八巻・一巻・一品・一偈を持つ人、ないし題目を唱える人は、如来の使である。また最初から最後まで、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し通す人は如来の使である。

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