報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十一章 虚言きょげん羅列られつ

地涌オリジナル風ロゴ

第386号

発行日:1992年2月17日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

法主が身延派管長の導師で勤行し肩を並べて写真に写った
登座すれば日蓮大聖人と同じ生命が流れるというのは嘘だ
〈導師本尊シリーズ・第9回〉

「血脈相承」「法水写瓶」「富士の清流」「七百年の伝統」「本宗本来の化儀化法」あるいは「謗法厳戒」――日顕宗の悪侶らが、信徒を従属させるために使う、こうした常用句がいっぺんにふっ飛んでしまうのが、この写真である。

邪宗の者らと記念写真におさまった日正(前列右から2人目)

邪宗の者らと記念写真におさまった日正(前列右から2人目)

前列右から紹介しよう。顕本法華宗管長の本多日生、日蓮正宗管長の阿部日正、日蓮宗管長の磯野日筵、本門法華宗管長の尾崎日暲。後列は、それぞれ管長の代理で出席した本門宗、法華宗、本妙法華宗、日蓮宗不受不施派の人たちである。

要するに日蓮正宗の総本山第五十七世日正上人が、謗法の僧たちと仲むつまじく写真におさまった謗法同座の証拠写真である。

それだけではない。この写真を撮った日に、総本山第五十七世日正上人は、身延山の日蓮宗管長磯野日筵の導師に従い、他の邪宗の僧らとともに勤行まで一緒にしていたのだ。

日蓮宗官長・磯野日筵の導師で読経・唱題する日正

日蓮宗官長・磯野日筵の導師で読経・唱題する日正

法主の座にある者は特別の宗教的境界にある、さらには御本仏日蓮大聖人と同じ生命が流れているといった猊座神秘主義は、今後、一切やめることだ。

日蓮大聖人の生命が流れている者が、謗法の者と詐親するはずがない。日興上人の謗法厳戒の精神を持した者が、身延の邪師に従って勤行唱題などするものか。

御本尊を書写している法主にも、このような謗法者がいたのだ。御本尊を書写している法主に特別の神聖さや神秘性があるから、御本尊に霊験あらたかなるものが注入され、それを拝む信徒に功徳が顕れるのではない。

日蓮大聖人の大慈大悲は末法万年尽未来際に至るまで不滅である。信徒の純真な信仰により、一人ひとりが日蓮大聖人の血脈を継ぐことができるのだ。

御本仏日蓮大聖人の仰せに曰く。

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(日女御前御返事)

【通解】この御本尊はまったく他所に求めてはならない。ただ我ら衆生が、法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。

本尊書写は、和合僧団の権能として本来存在しているもので、和合僧団の厳格な規律に基づいておこなわれるべきものだ。それに反して、本尊雑乱をはかれば破和合僧となるのである。

同様に、民衆済度のために本尊を書写し下附するべき立場にある者が、己義を構え権謀術数のゆえに和合僧団内での役割を実直におこなわないのであれば、これもまた破和合僧である。

しかも、それは宗開両祖の願われた化儀の広宣流布を妨害する仏敵としての所業と断定される。つまり、日顕の三毒強盛に発する狂乱の様が、これにあたる。

さて、話を写真にもどそう。総本山第五十七世御法主上人猊下である日正上人は、どうして身延の管長に従って勤行唱題をし、仲良く写真におさまったのだろうか。その事情を探ってみたい。

大正十一年九月十一日、「日蓮門下各派」の管長は連名で、天皇より日蓮大聖人に大師号を賜りたいと請願する。すなわち、「伝教大師」「弘法大師」などと同様の「大師」号がほしいと連署して願い出たのである。

「日蓮聖人大師号隆賜請願」と題する請願書に署名した各派管長は以下の通り。

日蓮宗管長   大僧正 河合日辰

日蓮正宗管長  大僧正 阿部日正

顕本法華宗管長 大僧正 本多日生

本門宗管長   大僧正 瀬*島日濟

本門法華宗管長 大僧正 尾崎日暲

法華宗管長   大僧正 津田日彰

本妙法華宗管長 大僧正 清瀬*日守

日蓮宗不受不施派管長 一等上座 釋日解

日蓮宗不受不施講門派管長事務取扱 権大僧正 佐藤日柱

「請願書」に署名した日蓮宗各派の顔写真

「請願書」に署名した日蓮宗各派の顔写真

この請願書に応え、同大正十一年の十月十日、宮内省より「日蓮宗宗祖日蓮へ諡號宣下候間來ル十三日午前十時參省可有之候也」との知らせが、各派管長宛に届いた。

日蓮大聖人御入滅の日にあたる同年十月十三日、日蓮宗管長磯野日筵、日蓮正宗管長阿部日正、顕本法華宗管長本多日生、本門法華宗管長尾崎日暲、本門宗管長瀬島日濟代理井上日光、法華宗管長津田日彰代理荒川日治、本妙法華宗管長清瀬日守代理蓮池順良、日蓮宗不受不施派管長釈日解代理鷲日耀の八人は、宮内省に参省した。

宮内大臣より宣下書が各派管長に下された。大師号は「立正大師」とされた。添え状は次のように書かれていた。

立正大師諡號宣下書

立正大師諡號宣下書

「       日蓮宗各派管長

今般 特旨ヲ以テ其宗宗祖日蓮へ大師号宣下候事

大正十一年十月十三日

                     宮内省」

「宣下書」および添え状を下された後、各派管長を代表して、顕本法華宗管長の本多日生が宮内大臣より「謹話を承り」、一同は宮内省を退出、築地水交社に向かった。

水交社とは、海軍将校のために社交・共済を目的にした団体である。同様なものとして、陸軍には偕行社があった。この築地の水交社で、日蓮宗管長の磯野日筵を導師として後の七人がそれに従い、寿量品を読経し唱題をおこなった。

日蓮正宗法主の阿部日正上人が、日蓮宗管長の磯野日筵と顕本法華宗管長の本多日生とのあいだに立って写っている、この問題の写真は、宣下書を下された大正十一年十月十三日のものである。

「金口嫡々唯授一人血脈相承」を受けて登座しても、日蓮大聖人の生命も日興上人の精神も自動的に流れはしない。肝心なのは、本人の信心である。

日蓮正宗法主の阿部日正上人は、翌大正十二年八月十八日に亡くなられた。大師号を請願した大正十一年の秋に下顎にできた腫瘍が悪性のもので、翌年に逝去された。法主であっても謗法を犯せば仏罰厳然たるものがある。

次期法主は、日柱上人(第五十八世)派と日開(第六十世)派の争いとなった。日正上人は、日柱上人への相承を日開派より妨害され、相承を病床より信徒を介して日柱上人に付嘱された。いうなれば、密使を介しての相承であった(本紙第316号詳述)。

「金口嫡々唯授一人血脈相承」、その本義は戒壇の大御本尊様を本化国主(地涌の菩薩)に無事伝えることであった。現法主の日顕は、それすら忘れているのである。

家族友人葬のパイオニア報恩社