報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

八章 仏子ぶっし哄笑こうしょう

地涌オリジナル風ロゴ

第303号

発行日:1991年10月30日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

宗門が昨年の夏以来練ってきた「C作戦」の最終段階突入が
日顕の焦りと不安で急変し十一月早々の実施となった

「C作戦」の最終段階にいたっても日顕はうろたえ、行き当たりばったりの作戦変更をおこなっている。創価学会に対する強硬措置発動の日を、十一月十六日~十八日頃から十一月早々に早めた模様である。一挙に表だった動きをする可能性が大きい。

まず、創価学会首脳に対する「破門」をおこなうため、処分対象信徒の所属寺院より「処分」の申し立てをする。そのうえで本人に通知。弁疏の期間を設け、機関決定をみ、「破門」にいたる具体的プロセスを踏むことになろう。

同時に創価学会総体に対して、信徒団体でなくなるとの警告を与える。その後、創価学会側の反応を見ながら、「御本尊下附の停止」「末寺への再登録をすれば信徒として認める」などの公式発表をおこない、本年末までには、創価学会に反省の色なしとして、創価学会総体に対する「講中解散」などの処分を完了する予定。

つまり、創価学会との絶縁である。絶縁の最大目的は、大義名分はどうであれ檀徒を獲得することである。波状攻撃によって揺さぶりをかけ、ポロポロとこぼれる創価学会員がいれば、それを拾い檀徒にしようとしているのだ。

さらに創価学会員への呼びかけを目的として、一般紙に公告を出す。公告を出すことは、マスコミの話題づくりの意味もある。日顕ら日蓮正宗中枢は、マスコミが騒げば騒ぐほど創価学会員の動揺が広がり、檀徒づくりに効果があるとみている。

さて、作戦を指揮する将たる者は、不動の信念をもって采配をふるわなければならない。上野村で少人数の石合戦をしているのではないのだ。右へ左へ、前へ後ろへ、迂回しろ、展開しろ、進撃しろ、撤退しろ……不安にかられて口角泡を飛ばして軍勢に命令しても、僧侶の多くは神経が昂奮するだけで、ついていけない。

日顕は「C作戦」の端緒から、行き当たりばったりの変更ばかりを繰り返している。昨年(平成二年)暮れ、池田総講頭実質罷免の直後から、創価学会側の予想もしなかった反撃にあい、そのうえ、創価学会解体を目的にした「C作戦」の存在を本紙『地涌』にスッパ抜かれ、日顕は「C作戦」という電撃作戦を最終段階まで短期間で断行しえなかった。

うろたえている間に時は経過し、一カ月以内で完了する予定の「C作戦」の実行プログラムを、結果的に一年程度に引き延ばすこととなった。この段階で、創価学会首脳処分の発動の日は十一月十六日~十八日あたりにしぼっていた。

日顕ら日蓮正宗中枢は、そのつもりで事を進めてきたが、このところ日顕自身の失点が相次ぎ、このまま十一月十六日~十八日あたりまで漫然と過ごすようなことがあれば、創価学会側からどのような反撃があるかもしれないと不安に思い始めたのだろう。この不安は、ここ一カ月くらい前から急に増大し、押さえがたいものとなったようだ。

日顕側にダメージを与えたのは、「かましてやれ発言」「禅寺墓問題」「イメルダ政子問題」である。これらの問題に煽られ日顕は「C作戦」の最終段階に入るタイミングを早めたのである。

それでは、日顕の焦りを誘った三つの問題を振り返ってみよう。

日顕が八月二十九日の全国教師指導会において、「創価学会員の信心がどうなってもいいから、かましてやれ」(趣旨)と発言し、その録音テープが流出し、多くの信徒がそれを聞くこととなった。この発言は、法主の尊厳を地に墜とすものだった。

慈悲もなければ、品もない、教養すら疑われかねない暴言を、法主である日顕が吐いていたのだ。尊いと思われていたその人が、えげつなく、冷たく、意地の悪い、謀略好きの男であるということが、日本全国で認識されることとなった。

「禅寺墓問題」では、日蓮大聖人の弟子とは認めがたい日顕の謗法体質が明らかとなった。これまで日蓮正宗の法主で、他宗派の墓地に先祖代々の墓を建立した者がいただろうか。

しかも、本堂真裏の近距離に、五百五十万円もかけて建立し、わざわざ法主みずからが出向いて法要までしているのだ。おそらく、邪宗の法主、座主、貫主などでも、先祖代々の墓を他宗の墓地内に建立する者などいないだろう。

日顕は、大謗法を犯したのみならず、日蓮正宗を日本全国の邪宗教の笑われものにしたのだ。宗開両祖のお嘆きは、いかばかりであろうか。

しかし、日顕の罪はそれだけに終わらなかった。禅寺の墓地に先祖代々の墓を建てることは謗法であるとの創価学会側の指摘に対して、開き直ってしまったのだ。

「阿部家先祖累代の精霊は、御法主日顕上人猊下の御慈悲に浴して成仏を遂げられたことであろう」(日蓮正宗時局協議会文書)

「御法主日顕上人猊下には当然のことながら、本宗の信心において一分の誤りも無いお振る舞いであった」(同)

日顕は罪を懺悔せず、宗門の正式機関名で出した文書で謗法の上に謗法を重ねた。そのときから、本紙『地涌』では、過ちを指摘されても懺悔しない「日顕上人」より「上人」号を剥奪。以後、日顕と呼び捨てにしている。これは、仏典に基づく処置である。

「禅寺墓問題」のあと、十月に入って、「イメルダ政子問題」が報道された。日顕夫人(政子)らの放蕩ぶりが、日蓮正宗僧俗のみならず、日本全国の人々の耳目をそばだてることとなったのである。

日顕夫人、総監・藤本日潤夫人(禮子)、大石寺主任理事・八木信瑩夫人(澄子)らが大浪費をしている事実が、宗教専門紙『中外日報』(平成三年十月二十一日付)によって暴露されたのだ。

『中外日報』は、「京都で豪遊……一年半に二億円」との見出しをつけ、二面見開きの特集報道をした。その内容は、日顕夫人をはじめとする宗門中枢の夫人らが、京都で一年半に二億円も散財していたという衝撃的なものだった。

日顕夫妻は、東京・目黒区に地下プール付き二十億円の豪邸の建築を計画していたことが、本年(平成三年)三月に暴露されたが、またも高慢で思い上がった生活ぶりが明らかにされたのだ。

この宗門高僧夫人らの想像を絶する贅沢ぶりは、日蓮正宗の高僧たちが日蓮大聖人の大慈悲とは無縁の、あざとい人々の集団であることを如実に示すこととなった。信徒が真心を込めて御供養した金を、一年半に二億円も散財できる人たち……、このような人々が日蓮大聖人の仏法を信じているはずがない。

ある純真な創価学会員は、この事実を聞いて、「御供養のお金を、自分のことで湯水のように使って恐ろしくないですかね」と嘆息まじりにつぶやいた。まことに、そのとおりである。御本仏のお怒りを恐れぬ者かと言いたい。

日顕らは、日蓮大聖人の仏法を口にはするけれども、それはみずからを権威づける目的のためだけである。その行動は、日顕らが御本仏日蓮大聖人の仏力、法力をいささかも信じていないことを示している。

「イメルダ政子問題」は、それを象徴する事件だった。

「かましてやれ発言」「禅寺墓問題」「イメルダ政子問題」――ことごとく日顕にまつわる事件である。これらの出来事は、日顕の真実の姿を、いやおうなく白日の下に明らかにした。

日顕は、「現代における大聖人様」「大御本尊と不二の尊体」どころか、短慮で、怒りっぽく、陰険で、傲慢で、品もなく、野卑で、謗法好きで、往生際が悪く、贅沢で、思い上がった不信心者であることが判明したのである。

日顕たちは自分たちの本性が、ことごとく大衆に見抜かれることを恐れている。今後、創価学会側からどのように問題提起されるのかと、戦々競々としているのだ。朝な夕な、『聖教新聞』『創価新報』『中外日報』『地涌』などが届くのを、恐怖と不安で待っている。

創価学会に対する強硬措置の実施が一日でも延びれば、それだけ檀徒になる創価学会員が少なくなると思い込み、勝手に焦燥にかられている。自分たちに信徒を教化する力のないことが一番問題なのに、日が経てば檀徒になるべき者がいなくなると、欲の皮を突っ張らせて焦っているのだ。

そのため、従来予定していた創価学会処分のXデーであった十一月十六日~十八日が待てなくなった。日顕の不安と焦燥によって、Xデーは変更されたのである。

現在のところ、十一月早々を創価学会処分発動の日と決めているようだ。いまや日顕らは、たったの二週間程度が待てないのだ(ただし、本紙の報道によって再度の変更も考えられることを、あらかじめお断りしておく。それほど日顕は急変しやすいのだ)。

まず一つの段階として、十一月に入り次第、一般紙に創価学会員への呼びかけ公告を連日、掲載する。予算は数億円規模と見込まれる。

添書登山のときと同様、「C作戦」を忠実に実行しているのだ。「C作戦」の原型は、山﨑正友がかつて宗門に指南した創価学会攻撃の作戦書「ある信者からの手紙」にほかならない。日顕は、その山﨑正友の指南どおり、実に生真面目に創価学会攻撃をしている。焦燥と不安の真っ只中にいる日顕は、山﨑正友の邪智のみが頼りなのだ。

日顕は、山﨑正友の弟子である。山﨑はかつて、いみじくも「俺は現代における提婆達多だ」と述べていたが、日顕はその提婆達多の弟子なのだ。たしかに「現代における提婆達多の弟子」でなければ、自分のことを「現代における大聖人様」と呼ばせるようなことはしないだろう。

ところで、日顕ら日蓮正宗中枢は添書登山のときと同じように、一般紙に公告を出して効果があると思っているのだろうか。それこそ、添書登山のときと同じである。

創価学会員に、その無能を笑われ、世間に教化力のなさを嘲笑されるのがオチだ。自宗の信徒に呼びかけるのに、一般紙に公告を出すしかないという、この哀れな現実に対する認識がありながら、それでも強硬措置を発表すれば檀徒がつくれると思っている。

思考に統一性がない。現実認識が、判断にまったく役立っていない。なぜ、一般紙に公告を打たなければならないのか。ほかでもない、信徒に影響力がないからだ。その自分たちの影響力が及ばない信徒たちが、敬愛してやまない創価学会首脳を処分すれば、自分たちが信徒から拒否される。その自明の理すらわからなくなるところまで、日顕ら日蓮正宗中枢は狂乱している。

不安と焦燥が、檀徒づくりの可能性を現実より大きく見せているのだ。いやいや、もともと可能性などまったくない。可能性があるように見えるのは、日顕らの欲ボケのためである。

日顕ら日蓮正宗中枢は、なにが最善策なのかを判断できなくなっている。それどころか、自分がいま、なにをやっているのかもわからない。自覚できることといえば、創価学会が憎い、池田名誉会長が妬ましいということだけである。憎悪と嫉妬の塊となってしまっているのだ。これまた「現代における提婆達多の弟子」らしい性向である。

昨年来、憎悪と嫉妬の塊である日顕は、「かましてやれ発言」「禅寺墓問題」「イメルダ政子問題」でみずからの本性が大衆に明らかにされるや、追いつめられ、昂奮し、以前にもまして憎悪と嫉妬をむき出しにしてきた。

そして、とうとう自己の感情をコントロールできなくなったばかりか、日ごとに不安と焦燥を募らせるばかりである。

そのため、十一月早々にもなんらかの動きをしなければ落ち着いていられないのだ。要するに、日顕の都合で、「C作戦」の最終段階の実行が二週間ばかり早まったのである。全国の各布教区の署名捺印が型どおり終われば、すぐに種々の具体的な動きに入るだろう。

十月二十七日、二十八日、二十九日と連日、総監・藤本日潤、大石寺主任理事・八木信瑩、宗務院の庶務部長・早瀬義寛、教学部長・大村寿顕、渉外部長・秋元広学、海外部長・尾林広徳、財務部長・長倉教明らが、東京・文京区西片の大石寺東京出張所で、「C作戦」に基づいた創価学会処分の最終的な詰めをおこなっている。

既定方針の実行にあたり、遺漏のないように細部にわたって手筈を整えている。日時、行動の詳細について、最終決定と事前準備をおこなった模様である。

あとは、10・17猿芝居(全国教師代表者会議)を受けて全国各布教区で進められている、創価学会処分に関する「要望書」への署名捺印が済むのを待つばかり。

日顕および日蓮正宗中枢は、すべてを密謀により推し進め、責任だけは宗内僧侶の連帯責任にしようとしているのだ。

創価学会を処分したいのは、誰にもまして日顕である。全国の僧侶の多くは、腹の中では日顕の場当たり的で強引なやり方に不満を持っている。それでいながら、法主に従わさせられ、創価学会処分を「要望」する書面に署名捺印させられているのだ。宗内の多くの僧は、日顕の時代が早く終わることを望んでいる。

しかし、日顕の退座を誰も口にしない。それどころか、日顕に対して正しい意見を言う者もいない。日顕がまともに聞くはずがないと誰もが思っているからだ。頭ごなしに、「バカヤロー!」「お前は俺の弟子か、どうなんだ!」などと怒鳴られるだけだということを知っているからだ。

他人の言葉に耳を傾けることができない、実に哀れな老人の末路は目に見えている。行きつく先は、孤独と仏罰があるのみだ。

日顕らは、御本仏日蓮大聖人の教法に背けば仏罰厳然たることを、わが身の上に示すことになるだろう。日顕らは、先々かならずや仏罰の姿を現じ、無間につづく苦悶の中で生命を軋ませることとなる。

日蓮大聖人の仏法を利用し、贅沢をし、威張り、仏子を虐げる。それでいながら、みずからは謗法を犯し、それを指摘されると傲然と開き直る、それどころか、「僧侶が祈念しなければ、信徒の成仏は適わぬ」と脅す。

日顕らは究極的になにを望んでいるのだろうか。それは、宗教貴族として信徒の上に君臨することだけだ。三毒(貪瞋癡)に基づく自己のあらゆる欲望の満足を望んでいるのだ。

日顕一族らの贅沢のために御供養をしてきたのではない。もう騙され利用されることは拒否しよう。日蓮大聖人の大慈悲を食い物にする“法滅の妖怪”たちとは、断固、戦わなければならない。

日顕を追放し、一閻浮提総与の大御本尊様を全世界の仏子らのものとするために、創価学会員は戦わねばならない。日蓮大聖人の法脈に巣くう魔どもを退治しなければならない。それは日蓮正宗を浄化し、真に富士の清流とする戦いである。

広宣流布を実現し、日蓮大聖人の教えを実語にしていけるのは創価学会員しかいない。一閻浮提総与の大御本尊様の下に、創価学会が出現した不思議をかみしめるべきだ。

池田名誉会長を核に、一糸乱れぬ団結が、いまもっとも必要とされるときである。仏子であれば我も師とともに難を受け、今生の誉れとせん。

日蓮大聖人の仰せに曰く。

「末法に生れて法華経を弘めん行者は、三類の敵人有つて流罪死罪に及ばん、然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ・大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にてあるべし」(諸法実相抄)

【通解】末法に生まれて法華経を弘める行者には三類の強敵が起きて、死罪、流罪にまで及ぶであろう。しかれども、この難に耐えて法華経を弘める者を、釈迦仏は衣をもって覆ってくださり、諸天は供養をし、あるいは肩で担い、背で負うて守るであろう。その行者は大善根の者であり、一切衆生のためには大導師である。

(筆者注 宗門側の処分は、十一月七日、「創価学会解散勧告書」を送付するかたちで開始された)

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