報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

五章 綺語きご誑惑おうわく

地涌オリジナル風ロゴ

第212号

発行日:1991年7月31日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

創価学会より寄進された寺に住み我貴しと学会批判をする
そんな小狡い僧が「地獄に堕ちるぞ」と脅しても怖くない

日蓮正宗の機関誌である『大日蓮』(平成三年七月号)が、「外護について」と題する、「時局協議会文書作成班一班」の作った一文を掲載している。同班は、大村寿顕(東京大田区・宝浄寺住職)を班長として、藁科鑑道(本山塔中・南之坊住職)、森岡雄樹(静岡・忠正寺住職)、原田輝道(大坊内)を委員として編成されている。

「外護について」と題するこの一文、知性も品性もないまま、傲り昂ぶった僧の本質をさらけだして悪態の限りをついている。

池田名誉会長について、

「このような人のこと、仏法では『未得謂得・未証謂証の人』、つまり『いまだ得ていないのに《得た》と言い、いまだ証していないのに《証した》と言う大増上慢の人』と言うのである。本当のことを言えば、池田氏は、御本尊はもちろん、御書もあまりよく知らない方なのだろう」

と述べている。宗門のために尽くして尽くして尽くし抜いた大功労者に対して、決して発言してよいことではない。僧侶であればどのような不知恩な行為も正当化されるのだろうか。ここまで言うのであれば、池田名誉会長が発願主となり創価学会が寄進した一切の堂塔伽藍および寺院から退去してからにすべきだろう。

池田名誉会長の寺院建立の熱誠に感動し、真心からの御供養を捧げた創価学会員にしても、このように僧侶の側から投げられる悪態には悲しみを禁じえない。

「どうして我々は、このような非道の者に、人生を懸けてまで尽くしてきたのだろうか」

こう嘆息する創価学会員も多いことだろう。僣聖増上慢との戦いが、広宣流布の途上において不可避のものであるとはいえ、あまりに酷い現実である。

しかし、この現状認識は、日蓮大聖人の法脈に忍び込んだ魔との戦いを、いささかたりとも回避するものではない。また、今日の日蓮正宗中枢に見られる、類いまれな権威主義が、いつまでも暴虐の圧殺体制を敷きつづけられるはずもない。それは、人間主義の潮流を止めることができなかった、近年の共産主義諸国の動向を見れば一目瞭然である。

まして日蓮大聖人の仏法を口実にして、大衆を、僧侶が繁栄するための礎にしようなどとは、もってのほかである。

「外護について」という時局協議会の文書は、さらに次のように述べている。

「池田氏や最高幹部達の寿命も、あとどのくらいあるかは、判らないのである。このまま終われば、地獄へ堕ちることは、ウソをついている自分達が一番よく知っている。純真な学会員を地獄に連れていこうとしていたことが発覚したら、それはただでは済むまい。しかし、学会員に真実が知られるのも怖いだろうが、地獄はもっと怖いのである」

仏法を僧侶の利益のためにのみ説いている。日蓮大聖人の仏法を世界に弘めるため日夜精進した池田名誉会長や創価学会最高幹部が、どうして地獄に堕ちるというのだろうか。

日蓮大聖人は次のように仰せになっている。

「無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなしと・とかせ給いて候」(南条殿御返事)

「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候」(妙法尼御前御返事)

「此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず」(一生成仏抄)

日蓮大聖人は、一度たりとも題目を唱えた人の尊さ、大福運について述べられている。「外護について」という文を書いた大村寿顕らが、日蓮大聖人の仏法といかに無縁の法を説いているかがわかるだろう。

大村らは、僧侶に背いたら「地獄に堕ちる」と脅しているだけである。人に敬われ、人より贅沢をしたいばかりに、日蓮大聖人の仏法を利用し、信徒を脅迫しているのだ。末法の悪比丘の本性をさらけ出している。

「外護について」は、次のようにも述べている。

「今、無反省の池田氏達が『外護・外護』と言うことは、池や田んぼのカエルが『ゲゴゲゴ』と鳴くのと、なんら変わることはないのである」

これについては論評を避ける。品性のかけらもない。ちなみに、この文を書いた一班の班長・大村寿顕は、日蓮正宗の教学部長である。

それにしても、日蓮正宗の僧は、長年にわたり総本山大石寺に奉公してきた池田名誉会長を、どうしてここまで誹謗するのだろうか。

その回答は、この「外護について」という文中に露骨に書き記してある。

「正直に御法主上人に信伏随従しておれば、池田氏は宗史に残る大檀那となったであろうに、あまりの落差に不憫(ふびん)でならない」

要は、日顕上人に従わなかったということのみが原因なのである。

昨年からの宗門と創価学会との経過を見ても、日顕上人ら日蓮正宗中枢は、信徒であるならば、どのような非常識な要求も甘んじて受けるべきだ、臣下の礼をとるのが当たり前だと強圧的に述べている。恐るべき非人間性である。

そのうえ、気にくわなければ、いかに功労者であろうとも、宗制宗規の「改正」にこと寄せて、平気で総講頭の地位を追う。しかも、その通知たるや、紙切れ一枚による、ごく一方的なものである。このような、人倫にもとるとしか言いようがない処置を、日顕上人らはおこなったのである。

あまつさえ、そうした非道の処置に抗議する創価学会員らに対し、「地獄に堕ちる」と脅してくるとは、悪質にもほどがある。

そればかりではない。『大日蓮』(平成三年六月号)などでは、信徒(内田和子)の口を借りて、

「現代における大聖人様である御当代の猊下様を否定することにより、池田氏自身が現代の大聖人様にスリ変わることを企て、もって池田氏を現代の大聖人と仰ぐ『池田教』の旗揚げを実現せんと二十年余にわたり周到なる計画をなしたのでございます」

とまで言わせているのである。

参考のため、昭和五十九年四月以降、池田名誉会長が発願主となり創価学会が寄進した新寺を、一覧にし掲載する。いかに創価学会が日蓮正宗に赤誠の限りを尽くしてきたかを認識してもらいたい。

昭和59年以降に創価学会が建立寄進した寺院

それでもなお、池田名誉会長や創価学会を誹謗するのであれば、冒頭に述べたように、創価学会の寄進した寺院から退去してからにするべきである。それが、人間として最低限の節操というものである。

家族友人葬のパイオニア報恩社