報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

五章 綺語きご誑惑おうわく

地涌オリジナル風ロゴ

第198号

発行日:1991年7月17日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕上人の地下プール付二十億円の豪邸の建築図面が判明
傲れる日顕上人夫婦の贅沢ぶりに宗門内部から批判の手紙

「『地涌』からの通信」を収録し出版している「はまの出版」に七月上旬、ある郵便物が送達された。

消印は「静岡・上野」となっている。中には建物の設計図など五枚が入っていた。それ以外には、ワープロで打たれた文書が一枚同封されていただけだ。そこには、次のようにあった。

「不破 優様

日顕上人猊下の目黒区八雲の豪邸計画書です。

かかる贅沢は宗祖・日蓮大聖人も決して許されないでしょう。

出家童子志望の者より」

短い文章にも、贅の限りを尽くそうとする驕り昂ぶった法主に対する怒りをうかがうことができる。

平成三年三月十三日、大石寺内事部は全国教師宛に、「東京都目黒区八雲大石寺出張所建設計画並びに取り止めについてのお知らせ」という通達を出した。その文中、「将来寺院として活用する場合は多少狭いとの意見もありましたが……」と、この日顕上人の豪邸を「寺院」であるかのように装っている。

これは、本紙『地涌』(第71号)が、その前日の三月十二日に、「日顕上人に地下プール付き二十億円の豪邸建築計画あり 権威、権力をカサに着てやはりどこかが狂ってきた」と題して、日顕上人の豪邸建築計画の存在を報じたが、このことにあわてふためいた大石寺内事部が、「大石寺出張所」「将来寺院」の計画であった、と事実をすりかえて全国の教師に通達したものであった。

本紙編集部は情報提供者の協力を得て、この目黒区八雲の豪邸は、創価学会問題を処理した後、隠尊の身となった日顕上人が隠居所として使用するつもりの建物であると判断した。

それは確実な情報筋より、仏間十畳、茶室十二畳、お手伝いさんの部屋六畳、地下にはプールがあるなどといった計画内容を入手していたからであった。

このたび送られてきた図面は、傲れる日顕上人夫婦の生活ぶりの一端をまざまざとうかがわせるものである。

日顕上人は一月六日、「所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき身にて候」との御聖訓を引き、あたかも日蓮大聖人のごとく、法義を第一とし、流浪も辞さないかのように、涙を流しながら述べていたが、その実、夫婦で、次に紹介する図面にあるような豪邸での生活を考えていたのだ。

それも「大石寺出張所」として、御供養の金で土地取得費、建築費、什器備品購入費の一切をまかなおうとしていたのである。総額は二十億円程度と思われる。

こうなれば、日顕上人が去る七月九日、埼玉県川口市の得法寺の落成入仏式において述べた次の言葉は、単に人を欺くためだけのものであったことがよくわかる。

「一部の人は、僧侶が無駄使いをしていると言っているが、正宗の僧侶の中に一切そのような者はいない。信徒の皆様の御供養を蓄財して寺の発展のために使っている」(趣意)

この説法が実に白々しく聞こえてくる。事実、御開山日興上人の御遺誡を踏みにじり、日顕上人にならって贅の限りを尽くす末寺住職が全国に多数いる。

それでは日顕上人夫婦の豪邸はどのようなものだろうか。

同封されていた「計画概要」という表によれば、

地名・地番 東京都目黒区八雲五丁目百十四番三、十七

敷地面積   五五五・五七㎡(一六八・〇六坪)

床面積    2F    一六一㎡

1F    二三二㎡

BF    一六二㎡

駐車場    七六㎡

床面積合計        六三一㎡

となっている。床面積合計六三一㎡は坪数になおすと一九〇・八七坪である。二階、一階、地階ともに、用途は「寺院」となっているが、誰がどう見ても「住居」以外のなにものでもない。

下に掲げる日顕上人夫婦の計画をしていた豪邸の図面(四枚)をじっくり見ていただきたい。

20億円の豪邸の設計図

家族友人葬のパイオニア報恩社