報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二章 持者能忍じしゃのうにん

地涌オリジナル風ロゴ

第59号

発行日:1991年2月28日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

いかなる策も仏意仏勅の団体を破壊することはできない
僧侶といえども破和合僧をなせば大罪であり仏罰を受ける

二月二十一日、日蓮正宗の指導班の会議が開かれた。

出席メンバーは藤本日潤(常泉寺)、早瀬義寛(大願寺)、有川岳道(妙盛寺)、光久諦顯(妙縁寺)、安沢淳栄(実正寺)、横田智研(妙霑寺)、八木信瑩(妙泉坊)、渡邉哲照(正命寺)、早瀬義雄(妙栄寺)、河辺慈篤(日正寺)、長倉教明(仏土寺)、秋元広学(宣徳寺)、大村寿顕(宝浄寺)、秋山日浄(法霑寺)、尾林広徳(妙光寺)である。

種々の議題が取り上げられたが、いつものことながら、御講において宗務院の指導どおりの創価学会・池田名誉会長に対する批判がおこなわれていないことが問題にされた。

御講において、なぜ指導どおりに末寺の住職が批判をしないのか。宗門中枢にとって、これほどいらだちを覚えることはない。

徹底的な原因の究明が、指導班のメンバーによってなされた。この解明がなされ、効果的な対策を講じることができなければ、池田名誉会長を破門し、創価学会を解体するという、次のラウンドに入ることなどとうていできない。

指導班メンバーによる真剣な討議の結果、以下のような七つの重大原因が解明された。

(1)日蓮正宗の末寺の住職が池田名誉会長を尊敬している。

(2)日蓮正宗の末寺の住職に弱みがあり、それを学会側に握られている。あるいは、暴露されると思っている。

(3)日蓮正宗の末寺の住職には、御前様についていこうという気持はあるが、創価学会と対立することをこわがっている。

(4)日蓮正宗の末寺の住職のなかには病弱な者もおり、池田名誉会長と戦う元気がない。

(5)日蓮正宗の末寺の住職の中には、昭和五十二年のときに創価学会批判をしたので、今回は遠慮したいと考えている者がいる。

(6)日蓮正宗の末寺の住職の中には、能力がない者がおり、それを自覚しているので、池田名誉会長の批判などとうていできないと考えている者がいる。

(7)日蓮正宗の末寺の住職の中には、御供養が欲しいので、池田名誉会長の批判をしない者がいる。

(1)の、「池田名誉会長を尊敬しているから批判できない」というのはわかるが、あとはいずれも、日蓮大聖人の弟子とは思えないような理由ばかりだ。つまり「こわい」「弱い」「能力がない」「金が欲しい」ということが、御講で創価学会あるいは池田名誉会長批判ができない理由であると指導班では分析しているのである。

日蓮正宗の中枢である指導班のメンバーは、末寺の住職をこの程度にしか見ていない。末寺の住職からすれば大変な侮辱であろうし、信徒にしてみれば、このような評価しか下せない人物を住職として全国各地に送り出している宗門中枢の良識を疑わざるを得ないのではなかろうか。また、そのような人物を、僧侶であるということだけで敬えとは、どういうことなのかと思う人も多いにちがいない。

ともかく御講に対する指導班の会議は、日蓮正宗の住職のふがいなさを再認識しただけで終わった。

「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり」(四条金吾殿女房御返事)

誰もこの御金言を思い起こさなかったのだろうか。

二月二十六日には総本山において支院長会議が開かれた。この支院長会議は、先の指導班の会議の打ち合わせを下敷にしたもので、この方針に従って創価学会への攻撃態勢のたて直しがはかられた。

御講などの締めつけも話題となったが、この支院長会議にあたって指導班のメンバーは、創価学会への攻撃を池田名誉会長一本に絞ることに、支院長、副支院長らの意見を一致させるとの方針でのぞみ、事実、支院長会議の進行は、その方向に巧妙に誘導された。

同会議の最後、猊下との質疑応答の際に、その動きがあった。

光久諦顯(妙縁寺)が発言を求め、「今までは、藤本総監から秋谷会長宛に書面で謝罪を求めたが、今回、栃木の教区では、池田名誉会長宛に謝罪要求書を出したことにならい、私どもの教区も今後は池田名誉会長宛に謝罪要求書を出す」(趣意)と述べ、自教区の文案を読み上げた。

猊下との質疑をさえぎっての提案であった。当然のことながら、事前に猊下の了解をとりつけてのことであると判断される。

この光久発言に呼応して、西澤雅道(誠諦寺)が、「我が教区会におきましては、今後の攻撃は名誉会長一本に絞ることを決定いたしました。今後は各教区においても同様の謝罪要求をおこなってもらいたい。皆さんのご賛同をいただきたい」とたたみかけた。

すかさず、河辺慈篤(日正寺)が賛成の意を表明、それを受けて秋山日浄(法霑寺)が、「一切の責任は名誉会長にある。各教区が謝罪要求書を出し、名誉会長に謝罪させなければならない」(趣意)と発言した。

ここ頃合と見た藤本総監は、「御出席の皆さんに賛同いただき大変にありがたく思います。池田名誉会長に対し、各教区より謝罪要求書を出されることには、宗務院としても大いに賛同するところであります。それぞれの教区に帰られましたら、早急に教区会を開かれまして、三月九日までに、池田名誉会長宛に謝罪要求書を、配達証明付きで出すようにしていただきたい。出したら各寺院にそれを掲示するようにしてください」と述べ、学会本部の住所を読み上げた。

その後、実行にあたっての細目の打ち合わせがあり、早瀬庶務部長、藤本総監が、それぞれ一言ずつ謝辞を述べた。

最後に日顕上人猊下が、「一心欲見仏 不自惜身命」を引かれて御指南された。

こうして支院長会議の決定を受けて、各教区ごとに池田名誉会長宛の謝罪要求書を出すこととなった。

この会議の翌日、宗務院より謝罪要求書の文案が全国の末寺にFAXで送られた。文案は次のとおり。

「謝罪要求書

昨年十一月十六日の本部幹部会における池田名誉会長のスピーチは御法主日顕上人猊下を軽蔑し、宗門僧侶を侮蔑するものであり、本宗三宝の破壊につながる大罪であります。更に昭和五十二年路線の逸脱に対する無反省は無慚無愧という他ありません。依って我等○○布教区僧侶一同は、池田名誉会長が心から反省懺悔すると共に御法主日顕上人猊下に対し奉り直ちに甚深の謝罪文を奉呈することを要求いたします。

平成三年三月 日

○○布教区宗務支院長

○○寺住職

同  副宗務支院長

○○寺住職

○○寺住職

創価学会名誉会長  池田大作殿」

それでは、指導班のメンバーを中心にした宗門中枢は、この謝罪要求の後にどのような策を考えているのだろうか。

藤本総監は、支院長会議において、「ともかく宗内の方々が結束して池田名誉会長に謝罪要求書を出すことに意義があるので、その後、学会の出方をみて決めればよいのです」ととぼけている。

各教区ごとに謝罪要求書を出させることによって、末寺住職を締めつける効果はある。それを各寺院に貼り出すことを各教区で申し合わせすれば、貼り出さない住職を処分できる。親学会派の思いを抱きながらもやむなく貼り出した僧侶に対しても、学会側の風当たりは強くなるだろうから、両者を離間できると考えているのだろう。

宗門中枢はこれを機に容赦なく締めつけを強くしてくるだろう。御講で宗務院の指示どおりに動かない末寺の住職に業を煮やしての一手である。内部を固めると同時に親学会の住職をあぶり出して処分し、生半可な対応をしている者に対しては、学会とのあいだを引き裂こうというわけだ。

察するに、今回の支院長会議は、池田名誉会長破門への布石を、日蓮正宗の全僧侶によって打たせようとするスタートであった。

しかし、支院長のなかにはこのみえみえの議事進行に反発している者もいる。これでは支院長会議はあってなきがごとしである。支院長は、集められ操作される対象でしかない。支院長の意見はまったく重要視されていないことになる。

日蓮正宗の各教区ごとから謝罪要求書を名誉会長宛に出し、名誉会長自身が回答しなければ、次は各教区からの名誉会長に対する、たとえば処分要求あるいは上申を、宗務院なり猊下なりに出そうという筋書きだろう。その段階で、謝罪要求書に署名捺印した者が拒否できない雰囲気を作っていこうとしているのだ。

各教区ごとにタガをはめ、一歩一歩、脱落者のないように創価学会から切り離していく。さしたる思慮もなく最初の一歩を踏み出した者も、皆と一緒に徐々に深みにはめていこうとしているのである。安直な作戦である。

末寺の住職もぎりぎりのところで悩み考えているのである。タガをはめて全員を同じように歩かせるには、情報が完全にコントロールされていなければならない。逆に、さまざまな情報があるなかでは宗内の者も先の先まで考えることができる。とても宗門中枢の思惑どおりにはいかない。おまけに人心はすでに宗門中枢より離れているのだ。締めつければ締めつけるほど反発が強くなり、いつかは爆発する。

締めつけを強化しようとするよりは、今こそすべての者の意見を虚心坦懐に聞くことだ。その度量がなければ今回の問題は解決できない。

ただ、これまでの高橋公純らの作戦とは少し違ってきたことだけは確かなようである。作戦参謀でも変わったのだろうか。

今回の作戦のポイントは、最初に拒否の意思表示をしなければ、後戻りできない道に引き込もうとしていることだ。前よりも意地が悪いが、作戦のレベルとしては本質的には同じである。主観的な読みに基づいたそのような単純な策では、創価学会を、とてもではないが解体することなどできっこない。それどころか、よりいっそう宗門中枢に対する不信は増大し反発は広がるだろう。

これまで、宗内の固めがないままに進んできたために宗門中枢が浮き上がり、そのために日顕上人猊下が泥をかぶるきらいがあった。また洞が峠を決めこむ者もいた。

そのあたりを反省して、起死回生の策に出たつもりだろうが、前よりも底意地の悪い分だけかえって反発は内向し、宗門中枢の見えないところでエネルギーを貯め込むこととなる。

どういう過程を踏むにしても、たとえば宗会による処分要請決議などという方法をとるにしても、各教区から池田名誉会長処分の要請があり、それを宗門中枢が受けたというかたちをとりたいのは見えすいている。換言するならば日蓮正宗の全僧侶の総意を代表してというかたちで、日顕上人猊下が池田名誉会長を破門したいのである。

強権発動までには一~二カ月くらいの期間を考えていると思われる。というのも、支院長会議で猊下が、創価学会員の登山について、「四月まではこのままでいきたいと思うが、五月については今の時点ではなんとも言えない」と答えているからだ。

池田名誉会長の処分に付帯して、創価学会総体の破門、あるいは登山停止処置をおこなうことは充分、考えられる。どのようなことをしても池田名誉会長と会員とを離間しようとの作戦である。その後、学会員の結束を乱して吸収しようとするハラだ。

そんな無法なことがまかり通ると思っていること自体、宗門の前時代的な体質を示している。

起死回生の策と気負って支院長会議でスタートを切ったものの、本質的にみれば、「C作戦」と同じ、素人の主観的な作戦展開である。そんなことをしても、充分な事由がなければ池田名誉会長を処分することなどできない。

権威に固執するあまり、猊下は日蓮正宗の全僧侶を引き連れ、仏意に違背した道を歩もうとしている。それは、和合僧団破壊の道であり、広宣流布の扉を閉ざす道である。

また、一閻浮提総与の大御本尊を、みずからの権威を守ることにのみ利用しようとしているのである。自分がバカにされたとの怒りだけで、一閻浮提総与の大御本尊を信じ奉り、日夜、御本仏の御遺命どおりに折伏を実践している何百万の地涌の菩薩たちを苦しめ、引き裂こうとしているのである。御本仏のお怒りはいかばかりかと恐れるものである。

「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く『我久遠より来かた是等の衆を教化す』とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(諸法実相抄)

【通解】このたび、信心をしたからにはどのようなことがあっても、法華経の行者として生き抜き、日蓮の門下となりとおしていきなさい。
 日蓮と同意であるならば地涌の菩薩であろう。地涌の菩薩であると定まったならば、釈尊の久遠の弟子であることをどうして疑うことができよう。法華経従地涌出品第十五に「これらの地涌の菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのはこのことである。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女の分け隔てをしてはならない。皆、地涌の菩薩として出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人、三人、百人と次第に唱え(自行)伝え(化他)てきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。そればかりか、広宣流布のときは、日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなもので間違いない。
 ともかくも法華経に名を立て身を任せていきなさい。

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