「『地涌』精選」編者の起筆
僣聖増上慢である日顕らが、日蓮正宗より創価学会を故なく破門にし、およそ20万人の信徒を隷属させようと策したのは、平成2年の夏のことであった。この創価学会分離作戦を日顕らは、暗号名として「C作戦」と呼んだ。
この「C作戦」が実施されたのは、4カ月遅れの同年12月27日のことであった。その日、同宗の宗会が行なわれた。その際、宗規の「改正」にかこつけ、創価学会の池田大作名誉会長は長年、務めてきた同宗の総講頭の役務を解かれ、無役となった。念を押すまでもないが、池田名誉会長を総講頭職より事前の通知もなく、突然、解役し無役としたのは、冒頭に記したとおり、創価学会総体を破門にして、その組織を切り崩そうとするためであった。
なお実際に創価学会総体が破門になったのは、平成3年11月28日のことであった。
日顕宗がいかに謀略を練り創価学会破壊を現実化しようとしたかについては、この「『地涌』精選」を見れば一目瞭然である。
私の回想録である『一粒の白い砂』に「C作戦」について記した。
平成2年12月25日午後、私は札幌の日正寺で日顕の懐刀である河辺慈篤と二人で話した。この会談の中で、河辺ら宗門中枢が、創価学会を破門にし、創価学会員を切り崩そうとしていることを知った。このための武器は、戒壇の大御本尊であった。
札幌と総本山・大石寺と所は変われども、同じ時刻、内事部第3談話室で日顕が、高橋公純(本応寺住職)、段勲(反学会の売文家にして、公純の実弟)、押木二郎(元・都議会議員であった藤原行正の息のかかった「池田問題対策事務所」事務局長)らに、腹蔵していた「C作戦」のあらましをぶちまけていた。
以降、情勢は日顕と河辺の言うとおりに展開した。他方、日顕と河辺らの策謀に対処するため平成3年1月1日より「地涌」が創刊され、ファクスにて全国の末寺に送信された。この「地涌」は、平成8年2月16日発行の第901号まで続く。
「地涌」901号分のうち500号分を選び、平成11年5月15日に「『地涌』選集」として刊行した。さらにこのたび、その「『地涌』選集」より236号分を選び「『地涌』精選」として、報恩社の公式サイト③に掲載した。
この「『地涌』精選」を読んでいただければ、当時の状況をより身近に感じることができ、いかなる者の言論が正しいかを知ることができる。
このたび「『地涌』精選」を編むにあたり、多くの人々の応援があったことに謝意を示すものです。