報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十二章 魔軍まぐん覆滅ふくめつ

地涌オリジナル風ロゴ

第757号

発行日:1994年4月29日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

“平成のインパール作戦”と言われる炎天下の六方総登山を
日顕は参加者の辛苦を考えず「実に楽々」であると評した

四月二十七日、「平成六年立宗会 新六万塔建立奉告法要」第一日目の諸行事が大石寺においておこなわれた。

午後一時三十分から着山受付がはじめられ、以降、午後二時「目通り」、三時「御開扉」、四時二十分「全国教師指導会」、七時過ぎ「法華講指導会」と、順次、行事がもたれた。

今号では、全国教師指導会までの様子を報じ、二十七日夜の法華講指導会、そして翌二十八日の「新六万塔除幕開眼法要」の模様は次号で報道する。

日顕は、二十七日午後二時からの「目通り」において、

「まっ、暴力団も何年も長いあいだ来てて、だいぶ前にね。だけど、あれもいつの間にか終わったね。結局、この移ろいゆく世の姿だよ。ああいうものすべてね。いまの政治もそうだよ、みんな。ハハ。移ろぎ変わる世の姿だから」

などと、まず悟ったようなことを言い、恰好づけ。ところが、すぐさま馬脚を現し、酒の話。

「どうもこの、お酒を飲むとやっぱりこのムクむね。私らはね。これまでズーッと飲んでなくてね、あんまり忙しいから一口飲んだら、(笑い)あのー、こっち尾を引いて三、四日飲んじゃった。まっ、意志が弱いね(笑い)。

それでまた、チョット体の調子がおかしいかなって……。それから、今度またやめてんです。まー、あのー、しばらくやめてるとまた、それこそあのー、しまってくるね(笑い)。やっぱりあのー、歳をとると、やっぱり、いろいろ毒なモンが多くなってきて困るよね、ウン」

日顕は、去る二月二十三日の全国宗務支院長会議において、

「でっ、あのこの、とくに、もう一つ付け加えておきたいのは、お酒であります。酒の量などは充分、こりゃー、生活体系から注意していただきたいですね。毎晩、晩酌やってる人。それも三合、四合と飲む人が、そりゃー、もうダメです。それは勉強できません。頭もおかしくなります。だから、こういう生活体系の中からですね、そういう、このー、ものにウツツをぬかしている姿は、本当の今日の僧侶じゃないんだ! これはまー、本当に考えてもらいたいんですね。一人ひとりに言ってください!

まー、私は実は“病によって道心が起こる”っていうことだけど、病気のために飲酒、酒をやめて、今はもうやめていますが、大変、体の調子もいいし、いろいろな点でやっぱりよかったと思っています」

と宗内に向けて、にわか禁酒を自慢げに話していた。

それにもかかわらず、『創価新報』(平成六年四月六日付)において、「自分はノコノコと東京に出かけ、『今日ぐらいはいいだろう』などと言って、中華料理屋で酒をあおっていたのだ」(筆者註 三月四日のこと)と書かれ、さらに四月十三日には大石寺久成坊横にある土俵の跡で花見をしたことが発覚してしまっているので、「これまでズーッと飲んでなくてね……」と言い訳をし、そして少し飲んで悔悟の念を持っているところを話してみせたのである。

かくも姑息な言い訳を宗内にしても、所詮、この“法主”いずれは飲むのである。

この「目通り」の後、四時二十分から全国教師指導会が大書院においておこなわれた。最初に、総監の藤本日潤が挨拶。藤本は、まず新六万塔建立について話し、その中で第二十四世日永時代の旧六万塔について触れた。

「旧六万塔は御塔川の東、大納骨堂の東側、大聖人のご両親のお墓や、南条時光殿のお墓の立ち並ぶ通りの正面の地域に立派に移転建立せられたのでありますが、今後とも、永久にわたって報恩供養せられていくことと存ずる次第でございます」

日顕が旧六万塔をぞんざいな扱いをし、納骨堂付近に移設してしまったことについての弁明である。

だが、どのようにもっともらしい理由をつけても、旧六万塔を熱原三烈士の碑のそばから目立たないところに追いやり、今回、新六万塔をその跡地に建立したことは異常な行為といえる。

旧六万塔にあやかって新六万塔を建立する者が、旧六万塔を無下に扱っている。先師あるいは先達の僧俗を口ではもてはやしながら、その実、足蹴にしているも同然のおこないである。ここにも日顕ら一党の傲慢を見る思いがする。

総監・藤本は、この自分たちが犯している非道に対する後ろめたさがあるから、わざわざ、「永久にわたって報恩供養せられていく」と述べているのである。その口ほどに心があれば、熱原三烈士の碑のそばから、目立たないところに移すことはあるまいに……。

総監・藤本は、この旧六万塔についての見苦しい言い訳に引き続き、「この七月の六万総結集は、その新たなる僧俗和合による真の広宣流布に向かっての大出陣式であり、何者にも阻止、妨害を許してはならない重要な大盛儀であります」と強調した。

続いて、法華講連合会の登山部長・須藤勝志が、「六万総登山の輸送計画について」と題し話をした。この話の中で須藤は、六万総登山にあたり創価学会側の妨害があることを、ことさらに強調し、

「そこで連合会といたしましては、妨害または混雑をさけるために、安全道を通って道路のすいている深夜の時間帯に出発していただき、早朝に着山することを提案いたしました。

委員長は、『もし彼らが妨害するならば、われわれは富士の駅からでも皆で歩いてお山に結集するんだ』という意気込みでおります。

そのために、近隣地方部または近県の地方部にも御協力をいただきまして、深夜に出発していただき、途中で休憩しながら時間を調整をしながら、早朝二時か三時に本山に着山するように、お願いいたしております。

そこで、約半数の車が早朝に着山しなければならないわけです」

と述べた。

そもそも炎天下の七月に、老人、子供まで動員し、一時に一カ所に六万人もの人を集めようというのが無理な話。混雑も混乱も無理なスケジュールも、言い出しっぺの日顕に帰する。

日顕の体面を保つために無理な大量動員がなされるという事の本質をそらし、とんでもない言い訳をするものである。この“平成のインパール作戦”と別称される暴挙をおこない、もし犠牲者が出たとしたら、それも創価学会に責任をなすりつけようというのであろうか。

警告しておくが、炎天下に六万人もの人を長時間置けば、日射病で倒れる者は数知れず、犠牲者が出ることも予想される。ことに坊主頭は強い日差しに無防備である。先師日達上人の御葬儀のとき、何人が倒れ、何台の救急車がサイレンを鳴らし走り回ったか思い起こしてみることだ。

経験不足の登山部長がどう力説しても、未明に着いてザコ寝したり、バスで待機させ時間調整するといった計画が無謀であることに変わりはない。

ここで注意を喚起しておきたいのは、この全国教師指導会で法華講幹部に輸送計画の説明をさせたことである。狡い日顕宗中枢は、輸送中の事故の最終責任を回避するために、わざわざ在家の者に発言させたのである。

続いて庶務部長の早瀬義寛が、「六万総登山の心構え」について話した。早瀬は、この話の中で事実に反し六万総登山は安全であると強弁し、安全でないというのは創価学会側の妨害工作であるとして、次のように話した。

「また、各地方から寄せられてくる情報の中には、六万総登山は、こんなに危ないなどといったものや、あらゆる、さまざまなものがございますが、所詮、彼らのこうした妨害行為こそ、仏の軍勢を恐れる魔の所為以外のなにものでもありません」

「とくに、この学会側の妨害工作があって、六万総登山が危険であるとか、あるいは殺人的なスケジュールであるとか、さかんにビラを配ってアジテーションを繰り返しておりますので、気持ちの上では絶対に大丈夫であろうとは思いますが、チョットした油断で魔がさして、そんないい加減なものにでも惑わされる者がいないとも断言できませんので、この点もしっかり御指導をお願いいたします」

庶務部長の早瀬、公の場でここまでいうのだから炎天下で事故の起きた場合、明確に引責する覚悟のようである。もし事故が起きたなら、あらかじめ頭を丸めていても許すわけにはいかないゾ。

最後に日顕の話。日顕もまた新六万塔建立についての話はサラリと終え、六万総登山についての話がほとんどであった。

これは六百億遍の唱題を記念しての塔であるのに、肝心の唱題が目標の六百億遍とは懸け離れたものであったので、鉄面皮な日顕にしても、さすがにその意義を強調するのは気が引けたものと思われる。あるいは、新六万塔建立を口実にしての金集めが終わったので、関心がないのかもしれない。

ともあれ日顕は、六万総登山の成功を力説。どうしても日顕は、みずからの見栄のために六万人を炎天下での苦行に動員したいのである。

エジプトのファラオが、ピラミッド建設に動員された人民の流す汗と涙と血をもって、自己の統治能力を確かめたのと同じように、日顕は人に苦汁を強いることにより己の支配欲を充たそうとしている。

そのためには、甘言も弄す。

「あのー、妨害さえなければ、これはもう実に楽々と、えー、この登山の諸行事がおこなわれることと思います」

遠路、大変な思いをして登山する信者の苦労に心を致すことが、まったくできない“法主”なのである。長旅をして、畳一畳あたり二人のザコ寝を強いる予定でありながら、何が“楽々”なのだろうか。

日顕はクーラーの効いた広い部屋で寝、至れり尽くせりの食事をし、ギリギリまで部屋にいて出てくればいい。そして、終わればサッサと引き上げ、シャワーでも浴びて、またクーラーの効いた部屋に入り、冷たいものでも飲めばいい。たしかに“楽々”である。それに反し、信者は地獄、灼熱地獄である。まったく、日顕は無責任なことを言っている。

そして、ほかの発言者同様、創価学会の妨害を強調し、敵愾心のみを煽り、そのエネルギーをもって、なんとか六万人を集めようと声を張り上げる。

「創価学会が、えー、まったくその、絶対に、そのー、阻止するというような意味でなにか言ってるらしいんですがね。

やったらいいでしょう! いくらでもやらせましょう! 我々は我々で尊い仏道の精進の上から、この大会を必ず終わらせるんだという覚悟をもって、しっかりやっていきたいと思います」

日顕宗の行動エネルギーは、日顕の発言が如実に示すように本質的には、“恨”である。仏法とは無縁、まるで戦争指導者なみである。

この全国教師指導会ではっきりしたことは、日顕らが来る七月の六万総登山に相当な危機感を持っているということである。だが、いかに創価学会への敵愾心を煽り、その一方で六万総登山の安全性を欺きの心をもって説いても、それが無謀な計画であることに変わりはない。

日顕やその側近、それ以上に登山計画を練っている法華講幹部は、この六万総登山の危険性を充分に察知しているはず。

しかし、犠牲者が出ることがわかっていても、日顕の言い出したことだから、いまさら中途でやめるわけにいかない。ただそれだけの理由で“平成のインパール作戦”は強行されるのである。

登山部長の須藤は、

「この六万という数字は、一人でも欠けることがあれば、御法主上人猊下の御指南にお応えすることができないということを連合会では確信いたしております。

そこで、たとえば、欠員がもし出た場合にはですね、あらかじめ支部で予備要員として、すでに確保してもらっていると思いますが、その方の補充をしていただき欠員が出ないように頑張っております」

と全国教師指導会で発言したが、相当に結集に危機感を持ち必死な様子が発言から汲み取れる。だが、六万総登山は須藤が危惧しているとおりの失敗になるだろう。当日、ガラガラのバスが大石寺周辺を走ることになるのではと予想する向きは多い。

家族友人葬のパイオニア報恩社