第268・269号
発行日:1991年9月25日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
創価学会の初代、二代、三代会長と続く師弟の絆こそが
日蓮大聖人の仏法を世界に広宣流布していく波動の源だ
〈法難シリーズ・第26回〉
宗祖・日蓮大聖人の仰せに曰く。
「末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり、其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり」(法華初心成仏抄)
【通解】末法の今は、久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘められる法華経二十八品の肝心である南無妙法蓮華経の七字ばかりが、この国に広まって、利益や得益もあり、上行菩薩の御利益が盛んになるべき時である。そのゆえは、経文に明白である。道心が堅固であり、志のある人は、詳しくこれを尋ね聞くべきである。
明治五年に僧侶の妻帯が許されてからの日蓮正宗僧侶の堕落ぶりは、まさに坂道を転げ落ちるの観があった。すでに明治時代、法主の座をめぐって、僧侶間の暗闘が演じられている。
大正時代には、日蓮正宗僧侶の実力者たちが密約して、時の法主・日柱上人に対してクーデターを起こし、有無を言わさず法主の座より引きずり降ろした。
昭和時代に入ってからの日蓮正宗は、日開上人の御本尊誤写事件、宗門による神札甘受や神社参拝の信徒への指示、戦争協力など、枚挙にいとまのない謗法を犯した。そしてついには、軍部によって総本山内大書院に神棚を祀り込まれ、その翌日(昭和二十年六月十七日)に客殿は焼失し、日恭上人は焼死した。
ただ一人、日蓮大聖人の仏法を高らかに掲げた創価教育学会は、国家権力によって徹底的に弾圧された。昭和十九年十一月十八日、牧口常三郎初代会長は獄中にて殉教された。
日蓮正宗はまさに瀕死の状態であった。日蓮大聖人の大白法はまさに滅尽しようとしていた。
だが、大法弘通の第一歩は、この法滅尽のときに始まった。戸田城聖創価教育学会理事長(当時)が、昭和二十年七月三日、豊多摩刑務所(現在の東京都中野区にあった。出獄の少し前に東京拘置所より移された)より出獄されたのだ。
出獄された戸田理事長の胸中には、正法流布への大確信が燃えていた。
「ちょうど、牧口先生の亡くなったころ、私は二百万べんの題目も近くなって、不可思議の境涯を、御本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった。
その取り調べにたいして、同志が、みな退転しつつあることを知ったのであった。歯をかみしめるようななさけなさ。心のなかからこみあげてくる大御本尊のありがたさ。私は一生の命を御仏にささげる決意をしたのであった」(戸田城聖会長著「創価学会の歴史と確信」『戸田城聖全集』所収)
戸田城聖会長の「創価学会の歴史と確信」の自筆原稿
だが、日蓮大聖人の嫡流である日蓮正宗のありさまは、御法主日恭上人の焼死に象徴されるように、宗門総じて仏罰をこうむり、極端に衰微していた。
総本山大石寺の経済的復興は、戸田会長が昭和二十七年に登山会を開始されることにより、ようやく始まったのである。それまでの日蓮正宗は、まさに赤貧芋を洗うがごとき状態であった。
戸田理事長率いる創価学会は、社会の濁乱と宗門の凋落をものともせず、莞爾として広宣流布への歩みを進めていた。
昭和二十六年五月三日、戸田会長は第二代会長就任式の「会長就任の挨拶」において、次のように述べられている。
「天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く御教書を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、一人一人が邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに御本尊様を持たせることです。こうすることによって、はじめて本門の戒壇ができるのである。
御本尊様の真の功徳がわかる究竟即の位の前の、分真即が、すなわち折伏することなので、これが真にあなたたちのためだから、広宣流布をやりなさいというのであります。(中略)一対一のひざづめ談判によって、広宣流布は成し遂げられるのである。
以上、述べたことは、みんな自分のためであり、いま、わたくしたちは、大きな本門の戒壇を建てるための、一つ一つの土台石を運んでいるのであります。みなさん、真に命をかけて、御本尊様へご奉公しようではありませんか」(昭和二十六年五月三日 東京・常泉寺 第二代会長就任式 『戸田城聖全集』所収)
この会長就任式では、戸田会長によって、「会長就任の決意」も披瀝された。
「ここに、不思議のことありて大確信を得、会長就任の決意を固めたしだいである。大聖、宗旨御建立の後、立正安国論をおしたためあって七百年、大陸は中共勢力の席巻するところとなり、朝鮮に世界の兵力集まっての戦乱である。
このとき、手をこまねいて見すごすならば、霊鷲山会にて、いかなるお叱りあるべきか。しかれば、無間地獄疑いなし。今後、どしどし無理な注文をだすことと思うが、ぜひ、通していただきたい。
私が生きている間に七十五万世帯の折伏は私の手でする。もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は品川の沖に投げ捨てていただきたい」(同)
広宣流布成就に向かって、七十五万世帯の折伏の実践を宣言されたのだ。ちなみに、「戸田会長推戴賛意署名簿」に署名した学会員は、三千八十余名であったと伝えられる。
同年十一月、戸田会長は、「日蓮正宗滅びんとしているときに立ったみなさまの福運は大きいのです。御本尊様を信じ、功徳を受けようではありませんか」(昭和二十六年十一月十八日 東京・中野歓喜寮 牧口初代会長八回忌法要『戸田城聖全集』所収)と呼びかけられている。
断るまでもないが、「日蓮正宗滅びん」としていたのだ。それが、今日、日蓮正宗が創価学会によって宗史始まって以来の繁栄を遂げると、“法が貴いのだから、日蓮正宗が興隆するのは当たり前である”と、日蓮正宗中枢は言うのである。
さらには、創価学会に感謝しないばかりか、「C作戦」を発動して創価学会を解体し、創価学会員だけを檀徒として日蓮正宗にいただこうと画策しているのだ。
理不尽と言えば、これほど理不尽なことはない。また、不知恩の一語に尽きる。いまの宗門中枢は、信徒団体が無償の献身をしても、それに応えるだけの慈悲を持ち合わせていない。信徒が奉仕すればするほど当然であるとふんぞりかえり、いよいよもって傲慢になるだけだ。
崇高なテーマが穢れてしまう、話を元に戻そう。
戸田会長は、日蓮正宗が衰退し、日蓮大聖人の仏法が滅尽しようとしているときこそ、広宣流布の時であると、繰り返し話されている。
「法のうえからみると、日蓮大聖人様が御出現のときは、天台法華はほとんど滅びていた。いま創価学会が活躍するときは、もったいなくも富士大石寺はまさに破滅にひんしている。御本山を守り、自身の寺をあがめようという信者はなく、ろくでもない信者ばかりになった。ひどい寺では、信者が六、七軒しかないところもあった。御僧侶も生きているのですから、米らしいものを食わなければならない。屋根は落ち、畳は破れ、本堂はみるにしのびないありさまになり、まさに正法は滅せんとしているのです。いまでも地方にいくと、これが日蓮正宗の寺かと思うような情けない寺がたくさんあります。
世界に誇る大仏法の衰微の姿は、悲しむべき状態です。法華経にあるように、法滅の時にあたってこそ、広宣流布の機会なのです」(昭和二十九年九月十九日 東京・中央大学講堂 第三回築地支部総会 『戸田城聖全集』所収)
法がまさに滅尽しようとするときこそ大白法興隆の兆しであるとする戸田会長の大確信は、仏法の裏づけによるものだ。獄中の「不思議のこと」があったればこその正観である。
日蓮大聖人の仏法を流布するにあたって、立宗七百年は大きな意味を持つものであった。会長就任半年後の戸田会長は、立宗七百年を翌年に控えた、昭和二十六年十一月におこなわれた創価学会総会において、次のように誓っておられる。
「次に学会の目的について述べるならば、奇しくも、日本国に仏法渡来してより七百年、末法御本仏日蓮大聖人様ご出現あそばされ、権実雑乱を正されて七百年、大聖人様立宗なされてより七百年を明年にひかえる今日、日本国あげて本尊雑乱の時はきたのであります。学会はいま、日蓮大聖人様の命をうけて、弘安二年十月十二日にお顕しになられた、一閻浮提総与の大御本尊様を、日本に流布せんことを誓う」(昭和二十六年十一月四日 東京・家政学院講堂 創価学会第六回総会『戸田城聖全集』所収)
この立宗七百年を目前にした戸田会長の一大確信、この大情熱があらゆる障魔を打ち払い広宣流布の時を大きく切り拓いていったのだ。
立宗七百年を契機とした創価学会の大前進は、後年、御登座を目前に控えた総本山第六十五世日淳上人猊下によって、次のように評されることとなる。
「しかし末法に入って千年のうち、はやくも九百年は過ぎました。もとより末法は千年に区切ることはありませんがともかく千年の終りに近づいて開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起った仏縁に唯ならないものがあると思います」(昭和三十一年一月一日付『聖教新聞』「開宗七百年を迎へて」)
立宗七百年(昭和二十七年)の六月三十日、戸田第二代会長は、「七百年の意義」と題する論文を書かれている。仏意仏勅の和合僧団である創価学会の本質論が、ここに記されている。以下にその一部を抜粋する。
「百六箇抄(血脈抄、日蓮正宗門外不出の相伝抄)にいわく、
『下種の今此三界の主の本迹 久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり』
このおことばを信じなければ、予のごとき理即の愚人、いかにして彼らの迷妄を破れん、悲しきかな、悲しきかな。眼あらん者は、この御抄を拝して、日蓮大聖人様が末法の本仏たること、いささかも疑いなきであろう。
されば、七百年の今日、七文字の法華経は、近くは日本の民衆、遠くは朝鮮、中国、インドの民衆を救わんこと、つゆ疑いなきことである。仏法もまたもってかくのごとし、正像には西より東に向かい、末法には東より西に行くの予言、かならず的中しなければならぬ。いかんとなれば、御本仏の予言であるからである。しからば、いつをもって、その時と定むるやというに、予は立宗七百年を期として、これより盛んに広宣流布することを断定するものである。
いかんとなれば、大聖人様御在世中、仏力・法力の威力によって起こりえなかった七難のうちの最後の一難、他国侵逼難が日本国土に起こり、そのときは、日本を襲ったところの梵天、帝釈の一群、辰巳の方より早風のようにきたではないか。由比ケ浜辺において、大聖人様凡身を捨てて仏身を現ずるとき、明星天王、辰巳より大なる光りものを送っておよろこびを申しあげ、いま広宣流布の前兆として、他国侵逼難のとき謗法の国を攻めさせたもう梵天、帝釈は、同じく辰巳の方より威力をあらわして広宣流布を智者に知らしめたではないか。また日本の国に起こりつつある七難は、一国あげての飢饉といい、自界叛逆難といい、徐々にあらわれつつあるではないか。また、かならずやこのとき、大聖人様の命を受けたる折伏の大闘士があらわれねばならぬと、予は断ずるのである。
この折伏の大闘士こそ、久遠元初においては父子一体の自受用身であり、中間には霊鷲山会において上行菩薩に扈従して、主従の縁を結び、近くは大聖人様御在世のとき、深き師弟の契りを結びし御方であるにちがいない。この御方こそ大聖人様の予言を身をもって行じ、主師親の三徳の御本仏を妄語の仏ならしめずと固く誓って、不自惜身命の行を励むにちがいないと固く確信するものである。
わが創価学会は、うれしくも、このとき、誕生したのである。広宣流布の大菩薩ご出現に間に合うとやせむ、間に合わぬとやせむ、ただただ宗祖日蓮大聖人様、御開山日興上人様の御命にまかせ、身命を捨ててあらあら広宣流布なして、大菩薩のおほめにあずかろうとするものである。
会員諸君に告ぐ。
われらこそは、えらばれたるところの末法御本仏の弟子であり、家来であり、子どもである。主人の命を奉じ、父の慈悲にむくい、師の教えにしたがって、広宣流布のさきがけをしようではないか。その福運たるや、無量無辺であることを、予はまたここに断言するのである。本尊流布のご奉公こそ、御本仏大聖人様の心からおよろこびのことであり、われら宿命打破の根源の方法である。七百年以前の最初の題目の一声、弘安二年十月十二日の一幅の大曼荼羅、ただただ、ありがたさに涙あふるるものである」(昭和二十七年六月三十日 論文「七百年の意義」)
志ある人は、『戸田城聖全集』(聖教新聞社刊)の第三巻に全文が所収されているので、熟読いただきたい。
戸田会長が、「予は立宗七百年を期として、これより盛んに広宣流布することを断定するものである」と宣言されていること、「折伏の大闘士」と「大菩薩」とに立て分けられ、それぞれの出現の必然を述べられていること、「身命を捨ててあらあら広宣流布なして、大菩薩のおほめにあずかろうとするものである」と述べられていること等々、この戸田会長の論文には、法華経以来の仏法の深秘が燦然と輝いている。
なお付言すれば、日蓮正宗宗会は、昭和二十七年六月二十九日、戸田城聖会長に対する処罰を御法主上人に求め、次のような決議をおこなっている。
「一、所属寺院住職を経て謝罪文を出すこと
一、大講頭を罷免す
一、戸田城聖氏の登山を停止す」
戦時中、神本仏迹論を唱え、牧口初代会長獄死の近因を作った小笠原慈聞を、立宗七百年法要において、創価学会青年部が牧口会長の墓前で謝罪させたことに対し、宗会が処罰を求めたものだ(本紙第45号、第46号などに詳述)。
この不当な処罰要求が日蓮正宗僧侶たちによって決議された翌日、すなわち六月三十日に戸田会長の論文「七百年の意義」は書かれたのだった。甚深の確信の発露である。
さて立宗七百年も暮れようとする、昭和二十七年十二月七日におこなわれた創価学会第七回総会において、日淳上人猊下(当時・日蓮正宗宗務総監)は次のように講演された。
「創価学会が人類の幸福の為に着々と自他共にその幸福を実現している事は尊い事であり何とも申し様の無い尊さを感ずる次第である。学会は人類の幸福を願いとし、正しい宗教、信仰を招来せしむる事に大願を置かれて日夜活躍している。(中略)日蓮大聖人は四弘誓願は、只七文字の題目を唱え、我も致し人をも導く事による以外には途は無いと説かれて居る。この道は容易ではないが、皆様と共に人類の幸福の為愈々精進して行く以外にはない。広宣流布の為の大折伏は学会の皆様へ御願い申します」(昭和二十七年十二月七日 東京・中央大学講堂 創価学会第七回総会御講演 『日淳上人全集』所収)
日淳上人猊下は、昭和三十一年三月に御登座され第六十五世御法主上人となられたが、創価学会に期待し全幅の信頼を寄せられて、その年の十二月に次のように話されている。
「先程来いろいろ研究発表、体験発表、あるいは全国の現況報告あるいは代表決意等承りまして私は心から感激を致しております。
ただその全部を要約致して申せば皆様方に日蓮大聖人の御魂が脈々と燃え上つているということを痛感する次第であります。
いろいろと承りまして何一つ大聖人様の魂そのままを皆様がうけつがれていないものはないということであります。大聖人の魂を伝える皆様が益々日本国を導いて行く時には、丁度大聖人様が愚痴一ついわれず、只『南無妙法蓮華経』と唱えられて来た御在世当初にかえつて行くものと存じまする。
日蓮正宗は単なる一宗旨であるばかりでなく一切衆生の宗旨であり、この日蓮正宗を背負つて立ち上つて行かんとするのが戸田会長先生でありまする」(昭和三十一年十二月八日 川崎市市民会館 創価学会女子青年部第四回総会御講演 『日淳上人全集』所収)
日蓮大聖人の御遺命である広宣流布成就に邁進する創価学会──。その創価学会の要は、師弟不二の絆にある。師弟不二であればこそ、広宣流布の戦いの前途を阻むいかなる障魔をも降伏できるし、すべての創価学会員は成仏の直道を歩むことができるのだ。
また、それ故に、あらゆる障魔は師弟の絆を断ち切ろうと画策する。
日淳上人猊下は、戸田会長逝去の直後、師弟不二について指南されている。
「創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはつきりと確認し、そこから信仰を掘下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。
戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思つております。
師を信じ、弟子を導く、この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります。だから法華経神力品において『是の人仏道に於て決定して疑いあることなし』と説かれております。
この決定して疑いあることなしとは、師弟の道に徹底して、そこから仏法をみてくる時に始めてその境涯に到達するんだとこれが法華の段取りになつております。それを身をもつて実行されましたのが戸田会長先生でございます。
戸田会長先生ほど初代会長牧口先生のことを考えられたお方はないと思います。親にもまして初代会長に随つて来られました。これがきよう皆様方が戸田会長先生によつて信仰の眼を開けて頂いたんだと、この師に対する弟子の道を深く考えられましてまいります時に、仏法に、しつかり決定することができるのでございます。
この初代会長、二代会長を経まして、皆様方の信仰の在り方、また今後の進み方の一切ができ上つているわけです。これを一つ皆様の団結の力で、大いに会長先生の志に報いてやつて頂きたいと、ただそれを念願致す次第でございます」(昭和三十三年六月一日 福岡香椎球場 創価学会九州第二回総会御講演 『日淳上人全集』所収)
仏法において、師弟の絆ほど肝要なものはない。
戸田会長は、“三代会長を守り広宣流布をせよ”と遺言されている。
「三代会長は、青年部に渡す。牧口門下には渡しません。なぜかといえば、老人だからです。ゆずる会長はひとりでありますが、そのときに分裂があってはなりませんぞ。いまの牧口門下がわたくしを支えるように、三代会長を戸田門下が支えていきなさい。わたくしは広宣流布のために、身を捨てます。その屍が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」(昭和二十七年二月十七日 東京・常泉寺 青年部研究発表会『戸田城聖全集』所収)
昭和二十七年の時点で戸田会長は、創価学会第三代会長についてこのように明言をされている。いま、愚癡蒙昧の輩が三代会長指名の事実を否定し、池田名誉会長と創価学会員との師弟のあいだに隙を生じさせようとしている。愚かな試みである。
戸田会長がここまで明言されていて、三代会長の指名を曖昧にされることなどありはしない。はたまた池田名誉会長以外の者が、指名されていた可能性があるなどとすることも、顚倒の輩の僻見である。
池田名誉会長が三代会長就任後に現実のものとなった、広宣流布成就に向けての一大業績は、余人をもってなしうることではない。その事実を素直に直視すべきである。池田名誉会長の指揮によって、着実に広宣流布は進められている。
一閻浮提総与の大御本尊様を恋慕渇仰して雲集した地涌の菩薩は、折伏の大闘将である池田名誉会長を中核にして、いかなる法難をもかならずや克服し、大法を世界に盛んに弘通することは必定である。
以上、三回にわたり、おもに第五十九世日亨上人猊下、第六十五世日淳上人猊下の御言葉を引き、戸田城聖創価学会第二代会長の講演、論文などを紹介しながら、創価学会出現の意義をいささか記しました。この三回にわたる連載は、「法難」シリーズの骨格をなすものです。
なお今号の書き出しは、前々号と若干重複しますが、今号のみでも論が完結するよう、あえて重複を恐れず書き起こしましたことをお断りいたします。
次回よりは史実の検証に入ります。なおこの号は第268号、第269号の合併号とさせていただきます。したがって、九月二十六日は休刊いたします。二日間、じっくりお読みください。