報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

四章 邪智じゃち蠢動しゅんどう

地涌オリジナル風ロゴ

第146号

発行日:1991年5月26日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

僧侶の妻帯により日蓮正宗の中に血族が形成されている
それが布教力を停滞させ一方で僧侶の権威化を加速する

いまの日蓮正宗の僧社会の底流には血族による支配があり、それが今日の日蓮正宗の権威、権力化を生む一つの要因となっている。

すでに名門閥としての実力と評価を固めている一族は、創価学会の死身弘法によって日蓮正宗が隆盛するに従い、富と名声をほしいままにしはじめた。その富も名声も、日蓮大聖人の教えのままに折伏にいそしんだ創価学会員あればこそである。

ところが遮二無二、広宣流布にひた走る創価学会に対して、僧の中には苦々しく思う者がいることもたしかだ。また、広宣流布も考えず、安定した生活のみを願っている住職も多い。現にいまの日蓮正宗の僧の中で、生活に困窮している者はいない。

生活が安定し金まわりもよくなってくると、つぎに欲しくなるものは名声である。ゴルフ場や高級クラブに出入りしている僧の中には、宗外の人々から「創価学会のお坊さん」「創価学会のお寺さん」と呼ばれることを極度にいやがる者もいる。たしかにこれ自体は正確な表現ではないが、近隣の人から見ればそのように見えるのだろうし、それほど嫌悪するほどのことでもない。

しかし創価学会員の寄進した寺に住み、創価学会員の御供養で生活しながらも、創価学会と自分たちは違うということを必要以上に強調したがる僧のいることも事実である。

創価学会が折伏を進めていくなかで、根も葉もない中傷をされたり悪意に満ちた報道をされる。それらの悪評は創価学会が日蓮大聖人の仏法を弘めていくことによって起きた難である。ところがその悪評の余波を受けたくないとばかり、そそくさと逃げてしまう僧も少なくないのだ。

これは僧が弘通への意欲を失っていることから起きている。僧というものが職業化してしまい、本来の出世間的な感覚が失われたことによるものだ。いや、単に職業化といった表現では、その本質に迫ったことにならないだろう。いまや日蓮正宗の僧は家業化してしまっており、世襲に近い現象が各所で見られる。ここに日蓮正宗の僧社会を覆う一切の退廃と停滞の根本的な原因がある。

卑近な例だが、孫が住職になった祝いに、父が隣接する駐車場用地を買ってやり、祖父が車を買い与えるなどといったことが平気でおこなわれているのだ。この血族への溺愛ぶりは、在家もあきれるものがある。

日蓮正宗の中にはいくつかの血族がある。それに法類が重なりながら、いくつかの閥を作っている。名門の家系にあっては、祖父、父、子と高位の僧位を獲得し、都市部を中心とした名刹に住している。名刹は、限られた血族や法類によってたらいまわしにされる。決して大きな変動もなければ、力のある血族が既得の権益を失うこともない。すべてが、既存の大きな血族間の微妙なバランスの中で処理されているのだ。

僧というものが家業となって世襲されるような宗内の状況にあっては、革新的な動きは起こりえない。一見、活発に見える動きも、ひと皮めくってみると人間の卑俗さに根ざしている場合が少なくない。

いま創価学会攻撃を中核となっておこなっている僧侶の多くは、元々は創価学会の出身である。関快道、高橋公純、駒井専道、福田毅道……。目立った動きをしている者のほとんどは創価学会出身者だ。これらの者は、寺族や法華講出身の者が主流を占める僧社会の中にあって、創価学会出身者としての負い目を感じている。いまの宗門には、学会出身者をそのような気持ちにさせるおかしな雰囲気がある。所化の教育にもその傾向がある。従って、学会出身の僧は、猊下に必要以上の忠誠心を見せようとするのである。

寺族出身や法華講出身の僧は、このような状況の中にあっても、距離をおいて事態の推移を見守ることができるが、成り上がろうとする学会出身の僧の多くはそのような精神的余裕がない。いきおい、はね上がって出身の負い目をぬぐおうとするのだ。創価学会出身の僧の反学会意識の始末の悪さは、故なきコンプレックスに由来しているわけである。

だが寺族出身、法華講出身の僧は、創価学会出身の僧のはね上がりぶりを冷ややかな目で見ている。なかでも名門の血族出身者は、人の前に出ることもなければ人の後ろにつくこともない。過激な発言をすることもなければ、臆したと見られる言葉も吐かない。この先、事態は必ず落ち着くべきところに落ち着き、はね上がった者はいずれは転ぶことをよく知っているのだ。

主要な血族のただ中にいる者は、いずれの時代にあっても逼塞されることのないことをよく知っている。明治以降の妻帯のわずかな歴史の中で作られた、いわば血縁延命の知恵だが、事の正邪とは別のところに一族の繁栄と名声があることを知っているから、じっくりと権勢の行く末を見ている。

しかしながら、この血族による延命と支配の論理は、日蓮正宗の宗団としての活力を根こそぎ奪うこととなる。家業としての僧職というものが、日蓮大聖人の仏法と背反するさまざまな考え方を生み出していくだろう。そしてその考え方が、宗団の底に沈澱していく。日蓮正宗の布教力は停滞し、反面で権威化は加速される。その結果、いまや妻帯の害は、看過できないレベルに達している。

日達上人は昭和三十八年十月十三日、堀日亨上人の著された『富士日興上人詳伝』の序に次のように記されている。

「遺誡置文には『一、先師の如く予が化儀も聖僧為る可し云云』と教示あるを拝する時、大聖人は『正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如し』と申されながら御みずからは聖僧の御日常であらせられ、日興上人も同じく聖僧であらせられたことを拝察して、ただ賛嘆の涙を流すのみである」

折伏を進める地涌の菩薩たちは、「聖僧」の出現を待っている。衆生に対し分けへだてのない慈悲をもって臨み、広宣流布への赤々と燃ゆる情熱を持った「聖僧」が待望される。

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