報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十六章 仏勅ぶっちょく顕然けんねん

地涌オリジナル風ロゴ

第891号

発行日:1995年11月11日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

全世界に前代未聞の大戦争が起きたことは広宣流布の兆し
御本仏の命を奉じた大菩薩が世界に出現し民衆を救済する
〈仏勅シリーズ・第22回〉 ―最終回―

日蓮大聖人曰く。

「法華経の第五に云く『悪世の中の比丘』又云く『或は阿蘭若に有り』等云云又云く『悪鬼其身に入る』等云云、文の心は第五の五百歳の時・悪鬼の身に入る大僧等・国中に充満せん其時に智人一人出現せん彼の悪鬼の入る大僧等・時の王臣・万民等を語て悪口罵詈・杖木瓦礫・流罪死罪に行はん時釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌の大菩薩らに仰せつけ大菩薩は梵帝・日月・四天等に申しくだされ其の時天変・地夭・盛なるべし、国主等・其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民・皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」(撰時抄)

【通解】法華経の巻五・勧持品には「悪世の中の比丘(僧)」とか「或いは閑静の処に居て悪事をたくらむ」とか、また「悪鬼が其の身に入って、正法の行者に迫害を加えるだろう」等と説いている。それらの文の意味は、第五の五百歳(末法の始め、白法隠没の時)に、悪鬼が其の身に入った高僧等が国中に充満するであろう。その時に智人が一人、出現する。彼の悪鬼が身に入った高僧等は、時の王臣(権力者)や万民等を語らって、一人の智人を悪口罵詈し、杖や木で打ち、瓦や礫を投げて迫害を加え、流罪や死罪にするであろう。その時に釈迦・多宝・十方の諸仏が地涌の大菩薩らに命じて、大菩薩はまた梵天・帝釈や日天・月天・四天王等に申し下して謗法を責めるので、天変・地変が盛んに起こるであろう。それでも国主等がその諫めを用いないで謗法をつづけるならば、隣国に仰せつけて彼々の国々の悪王や悪僧等を責めるので、前代未聞の大闘争が一閻浮提(世界)に起こるであろう。その時に日月が照らす四天下の一切衆生は、或いは国を惜しみ、わが身を惜しむために、一切の仏・菩薩に祈りをかけるけれども、一向に叶うしるしがないならば、彼らが憎んでいた一人の小僧を信じ、無量の高僧等や八万の国王等や一切の万民が、皆、頭を大地につけ、掌を合わせて、南無妙法蓮華経と唱えるであろう。

八月二十七日・厚木飛行場に連合軍の第一陣百五十名が降り立った。三十日には、日本の新しい最高権力者であるマッカーサー元帥が同じ厚木飛行場に到着。九月二日には、東京湾上のミズリー号で降伏文書の調印がなされた。同日、GHQは指令第一号として、軍需生産の全面停止を命じた。以降、日本軍国主義を解体するための施策が矢継ぎ早に出された。

九月二十七日、GHQの支配下であるのに、妙な通知が東京刑事地方裁判所より戸田会長のもとに来た。なんとそれは、戸田会長の予審終結決定であった。決定を通知する書面には、つぎのように書かれていた。

「昭和十九年豫第三五〇号 被告人 戸田甚一 殿

被告人肩書住所ヘ送達ヲ命ズ 夜間送達ヲ命ズ

        豫審終結決定

本籍並住所 東京都芝区白金台町一丁目八十三番地

          会社員
城外事 戸田甚一      

当 四十六年   

右ニ対スル治安維持法違反並不敬被告事件ニ付豫審ヲ遂ゲ終結決定ヲ為スコト左ノ如シ

          主文

本件ヲ東京刑事地方裁判所ノ公判ニ付ス」

その後には「理由」が列記されていた。

その「理由」には、牧口会長とともに創価教育学会を創設し、日蓮大聖人の教法を奉じ、

「皇大神宮ヲ尊信礼拝シ奉ルコトモ謗法ニシテ不幸ノ原因」

と主張し布教したことが罪として書かれている。あわせて、天照太神宮の神札を焼却廃棄させ、

「神宮ノ尊厳ヲ冒涜シ奉ル」

ことを「教唆」したこと等々が挙げられている。これらの行為により、戸田会長は治安維持法違反並びに不敬罪に問われたのであった。判決を下したのは、同裁判所の予審判事であった石井文治であった。

GHQが次々と命令を出し、日本軍国主義を破壊し、日本の民主化を進めている折も折、いまだに旧時代の法的メカニズムは動いていたのである。まるで、戦中の亡霊が出てきたような「予審終結決定」であった。

だが、その弾圧のための法的メカニズムは、その根本から瓦解する。十月十三日、勅令第五七五号をもって治安維持法が廃止され、同月十七日には、その法律に基づき罪を問われている者が、既決、未決の別なく大赦された。同月三十一日、戸田会長以下七名の者に大赦令による免訴判決がなされた。判決書の「主文」には、

「被告人等七名ヲ孰レモ免訴ス」

と明記されていた。免訴とは、罪を問う根本となる法律がなくなったことを意味する。“巌窟王”戸田会長は完全に勝利した。法華経の行者は身をもって三障四魔を打ち負かしたのである。

少し話はそれるが、昭和二十三年十一月十二日、東京裁判において東条英機以下七名の者が、A級戦犯として絞首刑の判決を受けた。国家神道を精神的支柱とする日本軍国主義の中枢を形づくった人々である。

牧口会長の獄死も、この権力機構なかりせば起こらなかったことである。A級戦犯七名は、同年十二月二十三日、牧口会長が獄死した同じ東京拘置所で処刑された。同拘置所は、この頃、「スガモ・プリズン」と呼ばれていた。

さて話を戻そう。戸田会長が免訴されてしばらくたった昭和二十年十一月十八日、東京拘置所において獄死した牧口会長の一周忌法要が中野の歓喜寮で執りおこなわれた。

この一周忌法要において、戸田会長がどのような話をしたかは定かではないが、師である牧口会長を慕う思いは獄にあっても獄を出ても変わることはなかった。参考までに翌昭和二十一年の東京・神田の教育会館でおこなわれた三回忌法要における戸田会長の話を一部引用しておきたい。

「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶*生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」(昭和二十一年十一月十七日の東京・神田の教育会館における牧口初代会長三回忌法要での講演『戸田城聖全集』第三巻所収)

こう戸田会長は話し、

「この不肖の子、不肖の弟子も、二か年間の牢獄生活に、御仏を拝したてまつりては、この愚鈍の身も、広宣流布のために、一生涯を捨てるの決心をいたしました。ごらんくださいませ。不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命をまっとうし、霊鷲山会にてお目にかかるの日には、かならずやおほめにあずかる決心でございます」(同)

と最後に決意を述べている。この戸田会長の決意は、戸田会長の述べているように獄中において形成されたものである。

昭和二十年七月三日の出獄の直後、戸田会長は妹の主人に対して、以下のように師弟観を記している。

「私のこのたびの法華経の難は、法華経の中のつぎのことばで説明します。

在在諸仏土常与師倶*生

と申しまして、師匠と弟子とは、代々必ず、法華経の功力によりまして、同じ時に同じに生まれ、ともに法華経の研究をするという、何十億万年前からの規定を実行しただけでございます。

私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなくて、私の師匠の時は牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりまして、過去も将来も離れない仲なのです」(青娥書房発行『若き日の手記・獄中記』)

戸田会長は獄中にあって牧口会長とのあいだに結ばれた三世不変の師弟の絆を覚知し、師の遺志を継ぎ広宣流布への歩みを決然と進めた。その戸田会長もまた生々世々倶*生の弟子に仏法を伝え、日蓮大聖人の広宣流布の大理想を現実のものにしようとしたのである。

戸田会長はその大確信を、昭和二十七年六月三十日に「七百年の意義」と題する論文に遺している。この二日前の六月二十八日、躍進する創価学会を妬む宗門は、「狸祭り」にかこつけ衣の権威を笠に着、獄より生還し広宣流布の指揮をとる戸田会長をだまし討ちにした。

実は宗門は、昭和二十一年に戦中の咎を不問にして小笠原慈聞を僧籍復帰させていた。この宗門にとって極めて不都合なことを隠し、ペテンをもって戸田会長を処分する宗会決議をなした。

戦中、内より仏法を破壊し、牧口会長の獄死、創価教育学会の壊滅の近因をつくった小笠原慈聞を宗門はこぞってかばい、身軽法重の法華経の行者である戸田会長を罰することを決めたのである(筆者注 この間の事情については一章第41号などに詳述)。

まさに、正邪顛倒の宗会決議である。戸田会長は、このときに臨み、創価学会の核心に触れた論文を著したのであった。その一部を抜粋引用する。

「また日本の国に起こりつつある七難は、一国をあげての飢饉といい、自界叛逆難といい、徐々にあらわれつつあるではないか。また、かならずやこのとき、大聖人様の命を受けたる折伏の大闘士があらわれねばならぬと、予は断ずるのである。

この折伏の大闘士こそ、久遠元初においては父子一体の自受用身であり、中間には霊鷲山会において上行菩薩に扈従して、主従の縁を結び、近くは大聖人様御在世のとき、深き師弟の契りを結びし御方であるにちがいない。この御方こそ大聖人様の予言を身をもって行じ、主師親三徳の御本仏を妄語の仏ならしめずと固く誓って、不自惜身命の行を励むにちがいないと固く確信するものである。

わが創価学会は、うれしくも、このとき、誕生したのである。広宣流布の大菩薩ご出現に間に合うとやせむ、間に合わぬとやせむ、ただただ宗祖日蓮大聖人様、御開山日興上人様の御命にまかせ、身命を捨ててあらあら広宣流布なして、大菩薩のおほめにあずかろうとするものである」(論文「七百年の意義」『戸田城聖全集』第三巻所収)

戸田会長はこの大確信をもって、未曾有の折伏戦をおこなった。そしてこの論文に書かれた戸田会長の願いは、三類の強敵が澎湃として起こりつつある現代の日本において現実のものとなろうとしている。
(「仏勅」シリーズは本号にておわり)

「仏勅」シリーズ 終

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