報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

六章 両舌りょうぜつ破法はほう

地涌オリジナル風ロゴ

第243号

発行日:1991年8月31日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

クーデター派僧侶が血脈相承を強制することに反対して
遂に全国檀徒大会で信徒が僧侶を“破門”にしてしまった
〈法難シリーズ・第21回〉

日柱上人が、新年も間近に迫った大正十四年十二月二十八日、大石寺を下山したのは、クーデター騒ぎの後すぐさま旗揚げした正法擁護会など、日柱上人を擁護する東京の檀信徒たちとの連携をいっそう密にするためであった。大石寺内における両派の睨み合いという小康状態を、檀信徒の力を借りて打破しようとしたのだ。

正法擁護会は、クーデター派僧侶の活動を阻むため、十二月中旬頃にはすでに結成されていたようだ。日柱上人が上京した十二月二十八日には、『正邪の鏡』という真相暴露の小冊子(三七ページ)まで発行している。

あわただしい年の瀬のさなかにもかかわらず、新しくできた小冊子を目の当たりにし、日柱上人を迎えた正法擁護会のメンバーの意気は、天を衝くものがあったのではあるまいか。

正法擁護会を中核とした日柱上人擁護の檀信徒は、新年早々、東京において全国檀徒大会を開くことを決定した。全国の檀信徒の声をもって、宗会クーデター派の非を天下に訴えることにしたのだ。

全国檀徒大会は、大正十五年も明けて間もない一月十六日の午後一時より、神田和泉橋倶楽部において開かれた。

この全国檀徒大会では次の五項目が決議された。一つひとつの決議を吟味する中で、紛争当時の状況を探ってみたい。

「一、管長即大導師の寳位を日柱上人に奉還することに努力邁進すること」

日柱上人は日亨上人に相承をおこなっていないので、日亨上人は法主ではない。ただし文部省宗教局に対し、日柱上人は管長の辞職届、日亨上人は就任届をそれぞれ出している。その限りにおいては日亨上人が管長であるとも言える。

すなわち檀信徒は、その当時の状況を、法主は日柱上人、管長は日亨上人と、本来なら一つであるべき法主と管長が、二つに分かれていると認識していたのではあるまいか。その現状認識が「管長即大導師」という表現に込められているようだ。

檀信徒は、血脈相承が、前法主である日柱上人の意思にまったく逆らっておこなわれることに、信仰上の危機感を持っていた。このようなことは六百有余年の大石寺の歴史において、いまだかつてなかったことである。今まさに、クーデターによって法主の座が奪われようとしているのだ。唯我与我の境界においておこなわれなければならない血脈相承が、破壊されることを危惧したのだった。

この下剋上にも似た出来事は、当時の世相からしても、人々に受け入れられるものではなかった。

大正時代は近代天皇制国家のもとにあった。上御一人の天皇より下万民に至るまでの不変の秩序立てこそ、優先されるべきことであった。その世相の中で、人々に範を垂れるべき僧侶が、下剋上の手本を見せたのだから、世間注視の大変な騒動となってしまったのだ。

「二、戒壇の御本尊の開扉並に檀信徒に授與さるゝ御本尊の書冩は日柱上人に限り行はせられ血脈相承なき僧侶によつて行はれざる様適當の方法を講ずること」

檀信徒が、血脈相承のなされていない日亨上人による御開扉、御本尊書写を拒否しているのである。血脈擁護の立場からの主張であるが、それは現実的には、日亨上人へのあからさまな拒否反応としてあらわれてしまった。よかれと思って管長を引き受け、早期に紛争を解決しようとした日亨上人の苦慮のほどは、はかり知れないものがあっただろう。

「三、日柱上人を排斥し又は之に與同した僧侶に對しては我等の目的を達するまで一切の供養を禁止すると共に信仰上の交際を斷絶すること」

クーデターを起こした反日柱上人派の僧侶は養わない、「信仰上の交際を断絶する」とまで言っている。檀信徒による僧侶の“破門”である。“破門”の理由は、僧侶が血脈の本来のあるべき筋道をはずし、衆を頼んで相承を強制して、血脈相承を破壊しているということである。

いまの日顕上人らは、いったいどちらの主張が正しいというだろうか。日顕上人らの血脈相承観を規範にすれば、檀信徒の側が正しいと結論しなければならないはずだ。

日顕上人らには実に気の毒なことではあるが、史実は、現在の日蓮正宗を形成している血族、法類のすべてが、日顕上人らがいま声高に叫ぶ「血脈否定」「三宝破壊」をおこなってきたことを示している。日顕上人の父も、日蓮正宗役僧の師僧たちも、いまの日蓮正宗中枢がいうところの“堕地獄の因”を作ったことにならないか。

ことにクーデターの黒幕である日顕上人の父・阿部法運(のちの日開上人)は、人に抜きん出た大罪をつくったということになるが、日顕上人はこれをいかに弁明するのだろうか。

皮肉な言い方はよそう。ここには重要な問題がある。今の日蓮正宗僧侶の師僧や先達は、宗会の決裁によって法主を退座させた“実績”があるということだ。

しかも、当時の状況を調べればわかることだが、日蓮正宗宗会によって不信任決議書、辞職勧告書をつきつけられた日柱上人に、さしたる失はない。だが、今の日顕上人には、明確な大罪が数限りなくある。いざとなれば日開上人、日隆上人、日昇上人らの方策にならって、日蓮正宗宗会で日顕上人に対する不信任決議と辞職勧告決議をし、退座を迫ることも可能だ。

広宣流布の結束した歩みを、ここまでさんざんに乱したのは日顕上人である。日蓮正宗僧侶は与同罪をまぬかれるためにも、日顕上人の短慮と短気が破和合僧を招いたと、日顕上人に対する糾弾決議をおこなうべきだ。

「四、宗制寺法、教則の改正等は管長の寳位が日柱上人の奉還せられた以後に實現される様に適當の処置を採ること」

クーデター派に有利な規則の変更を阻もうとしたようだ。この時点で、両派ともに法的な検討を相当に詰めていたのではあるまいか。

「五、右の各項を實現するため數十名の實行委員を選定すること」

日柱上人復活に向けて、組織だった活動が、全国規模で展開されることになった。

この一月十六日におこなわれた檀徒大会は、クーデター派と日柱上人を擁護する反クーデター派が、完全に決裂してしまい、一切の調停が不可能であるとの印象を文部省宗教局に与えた。そこで宗教局は最後の決断を下す。

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