報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(34)」おわりに

権能も実力もない男が総理大臣になり
創価学会を叩く旗振りとなる哀れ

内閣を統率する力もなければ、自党を蘇生させる力量もない、言うまでもないが国を統治する能力などさらさらない、正義もなければ大義もない、政策もなければ信念も理念もない、おまけに歴史観もなければ識見もない、はては衆議院を解散する党内事情にもなければ、宝刀を抜く度胸もない、そのうえ、辞職する誠意もない――このような男が総理大臣の椅子に座っている。これほどの不幸が国民にとってあろうか。

だが、この好々爺然とした無能な総理大臣も、なぜか創価学会叩きについてとなると熱心になる。平成六年六月二十三日に“死学会”をもじった「四月会」の設立総会がおこなわれたが、この会合に日本社会党委員長として同党を代表して出席し、創価学会叩きの旗振り役の一人を演じている。護憲勢力を自認してきた日本社会党の党首が、信教の自由をみずから踏みにじる狂態に驚きもしたが、その後、同党左派が自民党タカ派と手を握り野合をなし、政権をわがものにしたのには、ただあきれはてた。

そのような事情で村山富市氏は総理大臣になったのだが、一見、清廉なイメージとは裏腹に自衛隊、安保などで変節すると、あとは貞操観念を失い、みずから次々と右旋回し自民党の国会議員たちを喜ばせた。ついには、行きがけの駄賃にと、沖縄の心をも踏みにじった。これが数年前まで安保廃棄を主要な政策としていた党の委員長のなしたことなのである。

沽券と短慮のために党史を灰燼に帰した無節操きわまりない、戦後最低の総理大臣といえる。だが、党内からはこの村山路線に反対する声は出ない。これほど右旋回することが可能なら、新生党などとの連合政権から降りることもなかったろうと思えるのだが、政策よりも感情が先行する党にしてみれば、ごく当たり前の変節であり旋回であったということになるのだろうか。

ともあれ、これら一連のことでよくわかったのは、日本社会党をつき動かしているのは、理念でも政策でもなく、もっとドロドロした欲望(利己欲、名誉欲など)であり、感情であったということである。

そういえば日本社会党左派に分類されていた同党の女性議員が、自由民主党に担がれて北海道知事選に立候補したこともあった。この女性もテレビで創価学会を誹謗中傷していたが、ほめられなかったことが創価学会にとっては幸いだった。もっともなことだが、この変節を生き残りの術と心得た女性は選挙で敗れ、自民党にコケにされた日本社会党の哀れのみが国民に印象づけられた。

このように腑抜けの日本社会党および村山氏なのだが、こと創価学会抑圧となるとなりふりかまわず行動的となる。創価学会が新進党を支援すると自分たちが落選する、あるいは党が滅亡すると危機感を抱いて創価学会を抑圧しようと考えているようだが、創価学会員も国民である。国民によって構成されている日本最大の組織体を目の敵にすれば、その組織体に所属する国民は抑圧する政党に反発する。

すなわち、現在の野合政権を形成する日本社会党、自由民主党、新党さきがけなどは、好んでその組織体に所属する人たちを敵に回そうとしているのである。政治家でありながら、国民の広範な支持をとりつけようとせず、みずからに従う者のみを選り好みしようというその傲慢が、党の立脚する基盤を危うくしているのだ。

したがって、党の危機は自業自得と思えるのだが、当人たちはそうとは考えず、創価学会を逆恨みし強権的にねじ伏せようとしている。これでは、いくら創価学会が選挙は人物本位での支援を一大原則として表明しても、支援候補者の幅はせばまるばかりである。

だが、政治の経緯や力学といった次元を超え、仏の勢力とそれを抑圧する国家権力の構図で今回の動きを見るならば、しかるべき時来りて三類の強敵が澎湃と興ったと思えるのである。まして、創価学会抑圧の動きが政権与党の総力を挙げてなされ、しかもそれが違憲の恐れがあるほどに宗教法人法を改悪してなされようとしているならばなおさらである。

それだけではない、その改悪に反対している宗教団体の中心者ということで、池田名誉会長を国会の特別委員会に参考人招致し、いわれなき罪科を醸し出そうと謀るなどは、広宣流布を阻む魔の跳梁と断ぜざるを得ない。

創価学会の前身である創価教育学会は、戦中、国家神道に狂ったこの日本の国家権力に弾圧され、組織は潰滅、牧口常三郎初代会長は獄死、戸田第二代会長は予審の取り調べ名目で二年間にわたり拘禁された。

それから五十年、ふたたび日本の国家権力は狂い、政官癒着して悪法を施し、創価学会弾圧の下地をつくろうとしている。この日本の民主主義の危機にあって、マスコミが政権与党におもねっていることは、歴史の暗転を予見させてなんとも不気味である。

日蓮大聖人曰く。

「法華経の勧持品に後の五百歳・二千余年に当つて法華経の敵人・三類有る可しと記し置きたまえり当世は後五百歳に当れり、日蓮・仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず之を顕さば身命定めて喪わんか」(教機時国抄)

三類の強敵が眼前にある現在を、師とともに戦える福徳を思う。いかなる強敵も三世常恒の師弟の絆を切ることはできない。

1995年11月

二十七章 師弟倶生 終

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