報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(3)」おわりに

「C作戦」は虚をついての奇略であった
今や当初の効果は見込めない

日蓮正宗の中枢が、大法弘通の大功労者である池田名誉会長を、日蓮正宗の総講頭の地位から罷免して、はや百余日が過ぎた。「C作戦」は虚をついての奇略であっただけに、ここまで日にちが経ってもさしたる破壊力がないということは、今後とも、日蓮正宗の中枢の思い描いたような効果があるとはとても思えない。

日蓮正宗の中枢が画していた創価学会を分断し、何分の一かを吸収してしまおうとの野望は、すでについえたといえる。

日に日に真実が判明するにつれて、日蓮正宗の僧侶のなかには、日顕上人に愛想をつかす者が出てきている。日蓮大聖人の御遺命である広宣流布について真剣に考えている僧侶は、いまの宗門中枢の導く先に何があるのかと懐疑的になりつつあるのだ。

また先師・日達上人の偉業にことごとく泥を塗る結果となっている、最近の日顕上人の言動を陰で批判する者も出はじめた。これほどに猊座を汚す法主が出ようとは、誰びとが予見しただろうか。表だっての組織的な動きはいまだないが、日蓮正宗の僧社会において、いま確実に変化のきざしが見えはじめた。

己義を構える法主に、不満やいらだちを見せはじめたばかりでなく、日蓮正宗の前途はおろか自分たちの生活にも不安を感じはじめたのだ。

いま日顕上人は、「広宣流布の暁においては、正本堂は日蓮大聖人の御遺命の戒壇である」との日達上人の御確約すらも否定している。日顕上人の、とりわけこのことに対する異常なまでのこだわりは、いったい何に由来しているのだろうか。それは、日達上人の御教えのとおりに話してきた池田名誉会長を、「慢心のゆえに正本堂について勝手な解釈をした」とそしりたいためだけである。

正本堂の耐用年数を考えると、日顕は、広宣流布の時をいったい何百年先と思っているのだろうかと思う。それとともに、いま日顕上人みずから起こしている大混乱は、正本堂の現存するうちはどんなことがあっても広宣流布を成就させたくないという気持ちに由来するものなのだろうか。

日顕上人の正本堂に関する妄説への執着ぶりを見ていると、自説を守るためであれば何でもする、広宣流布を阻むことも辞さないのでは……とすら思えるのだ。

さて、昭和三十五(一九六〇)年に池田名誉会長が創価学会会長に就任してより三十余年で、創価学会はここまでの大発展をした。日蓮正宗も未曾有の大興隆をしている。これからの二十年、三十年後の世界広布の前途を考えると洋々たるものがある。

日興上人曰く。

「此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し」(富士一跡門徒存知の事)

いま眼前に展開する広宣流布の様相に仏教勃興以来の意義を感じるものだ。僣聖増上慢も現実のものとなり、いよいよ広宣流布は正念場を迎えている。地涌の菩薩の試練の時である。

日蓮大聖人曰く。

「唐土に竜門と申すたきあり・たかき事十丈・水の下ることがつひやうが・やをいをとすよりもはやし、このたきにををくのふなあつまりて・のぼらむと申す、ふなと申すいをののぼりぬれば・りうとなり候、百に一・千に一・万に一・十年・二十年に一も・のぼる事なし、或ははやきせにかへり・或ははし・たか・とび・ふくろうにくらわれ、或は十丁のたきの左右に漁人ども・つらなりゐて・或はあみをかけ・或はくみとり・或はいてとるものもあり、いをの・りうとなる事かくのごとし」(上野殿御返事)

いまや一人あまさず竜とならん時。

1991年5月

家族友人葬のパイオニア報恩社