報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十九章 菩薩ぼさつ涌出ゆじゅつ

地涌オリジナル風ロゴ

第696号

発行日:1993年9月7日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

創価学会の師弟が国家神道を破折し大謗法国で弘通したら
第六天魔王が国家権力と信心弱き宗門の身に入り迫害した
〈仏勅シリーズ・第10回〉

日蓮大聖人曰く。

「悲いかな我等誹謗正法の国に生れて大苦に値はん事よ、設い謗身は脱ると云うとも謗家謗国の失・如何せん、謗家の失を脱れんと思はば父母・兄弟等に此の事を語り申せ、或は悪まるるか・或は信ぜさせまいらするか、謗国の失を脱れんと思はば国主を諫暁し奉りて死罪か流罪かに行わるべきなり、我不愛身命・但惜無上道と説かれ身軽法重・死身弘法と釈せられし是なり、過去遠遠劫より今に仏に成らざりける事は加様の事に恐れて云い出さざりける故なり、未来も亦復是くの如くなるべし今日蓮が身に当りてつみ知られて候、設い此の事を知る弟子等の中にも当世の責のおそろしさと申し露の身の消え難きに依りて或は落ち或は心計りは信じ或はとかうす、御経の文に難信難解と説かれて候が身に当つて貴く覚え候ぞ、謗ずる人は大地微塵の如し・信ずる人は爪上の土の如し、謗ずる人は大海・進む人は一渧」(秋元御書)

【通解】我らが正法誹謗の国に生まれて大苦にあうことは、なんと悲しいことであろう。たとえ謗身の失(正法を謗ることにより無間地獄に堕ちる)は脱れても、謗家の失(昼夜に正法を行じている人でも正法を信じない家に生まれれば必ず無間地獄に堕ちる)と謗国の失(謗法の者がその国に住んでいることにより、その国中の者が無間地獄に堕ちる)は、どうしたものか。謗家の失を脱れようと思うならば、父母や兄弟などに正法のことを話して聞かせ折伏しなさい。そうすれば、誹謗、中傷され憎まれるか、あるいは信じさせることができるであろう。謗国の失を脱れようと思うならば、国主を諫め暁して死罪か流罪に処せられるべきである。法華経勧持品第十三に「我、身命を愛せず。但、無上道を惜しむ」と説かれ、章安大師が涅槃経疏に「身は軽く、法は重し。身を死して法を弘む」と釈されているのはこのことである。過去遠々劫から現在に至るまで仏になることができなかったのは、このような謗法を呵責すべきときに、恐れて言い出せず折伏しなかったためである。そのようなことであれば、未来もまた同様に成仏はできないであろう。今、日蓮自身は身をもって知ることができるのである。たとえこのことを知っている弟子などのなかにも、現実に大難が我が身に降りかかるのを恐れ、露のようにはかない身であるのに消えてしまうようには見えない現実の生に執着し、ある者は退転し、ある者は心のなかでは信じているようでも謗法を呵責することができず、ある者は臆病からいろいろな口実をつけて難を逃れようとした。法華経法師品第十の文に「信じ難く解し難い」と説かれているが、そのとおりであると尊く思われるのである。まさしく涅槃経に説かれているとおり、誹謗する人は大地微塵のように多く、このことを信じる人は爪の上の土のように少ない。誹謗する人は大海の水のように多く、経文の教えどおり実践する人は一滴の水のように少ない。

昭和十八年、戦争は日本軍の敗色濃厚となった。二月には飢餓の故に“餓島”とも呼ばれたガダルカナル島において、一万六千余人(大本営発表)の兵が玉砕した。だが大本営は、この大敗北を目的を達して同島を撤収したとし、「転進」として国民に発表した。

四月十八日には、連合艦隊司令長官・山本五十六がソロモン諸島ブーゲンヴィル島付近において戦死し、五月三十日にはアッツ島の日本守備隊が全滅。日本軍はあらゆる戦線で連合軍によって潰滅的な打撃を受けた。

日本は新しい戦闘員を前線に送るため、国家有為の人材として未来のために温存していた学徒の出陣を決定した。十月二十二日、雨の神宮外苑において学徒出陣壮行会がおこなわれた。

この年、南太平洋において制空権、制海権を失った日本は、占領地域からの物資の補給を思いどおりにおこなえず、日本国内はみるみる物資の欠乏におちいった。

それに伴い、統制は経済、言論、思想、宗教などあらゆる分野にわたり、国民は日常生活において大変な不自由と圧迫を感じた。その統制の基盤に横たわっていたのは、国家神道であった。

国家は国民をすべて国家神道に糾合することにより、侵略戦争を“聖戦”とし、皇国史観に基づき“神州不滅”を信じさせ、戦争遂行を容易なものにしようとした。このような目的をもって、伊勢神宮の遥拝、神宮大麻(神札)の奉祀などが、国家により国民に強制された。

だが、創価教育学会は伊勢神宮の大麻などの神札を受け取り祀ることは、日蓮大聖人の仏法に違背することであるとして、会員に対して神札を受け取らないよう徹底した。さらには、新入会者の家にある神礼などを謗法払いさせ、破毀焼却させたのである。

昭和十八年六月当時の最盛期、創価教育学会の会員はおよそ三千人くらい、座談会出席者は千五百人前後を数えていたようである。この創価教育学会が、首都・東京を中心に盛んに折伏をし、入会にあたっては謗法払いと称して神礼を焼却させたのだから、官憲の注意を引かないはずはない。

創価教育学会首脳においても同年二月頃には、神宮大麻を受け取らない、あるいは入会にあたり焼却するなどの行為は、治安維持法に禁じられた“神宮の尊厳に対する冒涜”にあたるとの懸念を充分に持っていたことが伝えられている。しかし、牧口会長は、日蓮大聖人の教えどおり謗法厳戒の姿勢を絶対に崩さなかった。

四月、戸田会長(当時・理事長)が社長をする平和食品(株)の専務である創価教育学会理事・本間直四郎他一名が、経済統制法違反の疑いで逮捕された。

その後、幹部の北村宇之松が神田警察に経済統制法違反の容疑で逮捕されたが、北村はすぐ無罪放免となった。だが、本間は留置されたままであった。本間は結局、翌昭和十九年十二月二十二日まで、池袋警察署、警視庁、巣鴨拘置所と所を変えながら獄に止められることとなる。

この本間の逮捕は、官憲が創価教育学会の財政を支える戸田会長を経済的側面から捜査することにより、捜査の端緒を捕まえようとしていたことを意味するのではあるまいか。

当時、官憲は取り締まり対象の宗教団体の社会的イメージダウンを図るため、いきなり思想的事犯で取り締まらず、別件で捜査を開始することが往々にしてあった。

五月二日、創価教育学会第六回総会が神田・教育会館で開かれ、牧口会長は国家の宗教政策、戦争政策を批判した。この総会が、創価教育学会として最後の総会となった。

この五月、日時は不明だが、牧口会長が神札問題にかかわる容疑で中野警察に逮捕された。このときは、一週間ばかりで釈放された。

釈放後も牧口会長は会員に対して、「神札問題で弾圧が始まったが、私のやっていることは間違いない」と、毅然たる態度をもって話していたという。さらに牧口会長は、「こうした難は大船に小石を載せたようなもので、絶対に安心していなさい」と断言していたことが伝えられている。

六月に入ったある日、創価教育学会の牧口会長ら首脳は、日蓮正宗より大石寺に登山するよう命じられた。牧口会長らは大坊において、日恭および堀日亨上人立ち会いの下で、庶務部長の渡辺慈海から神札甘受を申し渡された。

このときの事情については、昭和二十七年六月十日付の『聖教新聞』に掲載された戸田会長の談話が詳しいので、一部を以下に紹介する。

「戦局も悲運にかたむき、官權の思想取締が徹底化して來た昭和十八年六月初旬に総本山から『学会会長牧口常三郎、理事長戸田城聖その他理事七名登山せよ』という御命令があり、これを受けた学会幹部が至急登山、その当時の管長であられた鈴木日恭猊下、及び堀日亨御隱尊*猊下おそろいの場に御呼出しで、(場所はたしか元の建物の対面所のように記憶している)、その時その場で当時の内事部長〈筆者注 庶務部長〉渡辺慈海尊*師(現在の本山塔中寂日坊御住職)から『神*札をくばつて來たならば受け取つて置くように、すでに神*札をかざつているのは無理に取らせぬ事、御寺でも一應受け取つているから学会でもそのように指導するようにせよ』と御命令があつた。

これに対して牧口先生は渡辺尊*師に向つてきちつと態度をとゝのえて神*札問題についてルルと所信をのべられた後、『未だかつて学会は御本山に御迷惑を及ぼしておらぬではありませんか』と申上げた処が、渡辺慈海尊*師がキツパリと『小笠原慈聞師一派が不敬罪で大石寺を警視庁へ訴えている、これは学会の活動が根本の原因をなしている』

とおゝせられ、現に学会が総本山へ迷惑を及ぼしているという御主張であつた」

この後、下山の途中で牧口会長は戸田会長に対して、

「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、なげくのである。宗祖聖人のお悲しみを、おそれるのである。いまこそ、国家諫暁のときではないか。なにをおそれているのか知らん」(「創価学会の歴史と確信」より一部抜粋)

と嘆かれた。

日蓮大聖人曰く。

「一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり」(蒙古使御書)

【通解】一切の大事のなかで国が滅びることは、ほかのなにより大事なことである。

牧口会長は、宗門の神札甘受を拒否したこの登山の後、再び登山し、日恭に直諫している。六月二十八日のことであった。

牧口会長は、日恭に対し国家諫暁すべきであると諫言した。場所は、大坊内の対面所。日恭は御簾越しに牧口会長と話した。無論のことながら、日恭は国家諫暁をする意志は見せなかった。

牧口会長に随行した神尾武雄理事(当時)は、

「直諫を終えて帰路につき、塔中を歩いていたときに牧口先生は転び、手にけがをされた。ちょうど、ザクロのように傷口があき、血がしたたった。牧口先生は『言うべきことを強く言わなかった罰だ』と申された。手を抑えながら、石川自動車のところまで来て、手を洗われた」(『創価新報』平成五年七月七日付)

と、戦後、述懐している。なお、牧口会長が「言うべきことを強く言わなかった」という表現を用いるときの“言うべきこと”とは、罰論のことである。

日蓮大聖人曰く。

「而るに日蓮・世を恐て之を言わずんば仏敵と為らんか、随つて章安大師末代の学者を諫暁して云く『仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐わり親しむは是れ彼の人の怨なり能く糾治する者は即ち是れ彼が親なり』等云云、余は此の釈を見て肝に染むるが故に身命を捨てて之を糾明するなり」(大田殿許御書)

【通解】(真言師が法華経を破壊してきたことを知りながら)日蓮が世間を恐れてこのことを明らかにしなければ、仏の敵となってしまうであろう。したがって、章安大師が末代の学者を諫めて、涅槃経疏巻八に「仏法を破壊し乱すのは、仏法の中の怨(敵)である。相手を思う慈悲がなく、いつわって親しむ(相手の誤りを責めない)ということは、相手にとっては怨(敵)となるのである。よく、その誤りを責める者は、相手にとって真の味方なのである」と言っている。私はこの釈を見て心肝に染めたがゆえに身命を捨てて正法を破る者を追放するのである。

創価教育学会としては、前年の昭和十七年十一月十六日、東京・神田の創価教育学会本部において堀米泰榮・歓喜寮住職に対し、宗門が国家諫暁に立ち上がるよう申し入れて、激論を交わしたことがあるが、このとき、宗門側は時期尚早として創価教育学会の主張を退けた。

ところが、時が経過して昭和十八年六月になっても日恭は国家諫暁に重い腰を上げないばかりか、逆に神札を受けるよう創価教育学会に命じたのである。

宗門の神札問題における軟弱な態度は、それだけに終わらない。昭和十八年六月二十日、大坊大書院において勤労訓練生の開所式がおこなわれたが、この大書院に天照太神の神札を訓練所所長の上中甲堂によって祀られた。

信徒団体に神札を受けるよう命じていた宗門が、大書院に天照太神を祀られることにまったく無抵抗であったことは想像に難くない。

牧口会長が日恭を直諫した日の翌日、つまり、六月二十九日に創価教育学会の中野支部長・陣野忠夫他一名が、治安維持法並びに不敬罪の容疑で逮捕された。国家権力は、これを皮切りに創価教育学会への弾圧を開始する。

それではこの弾圧は、どのようなことを契機に始まったのであろうか。戸田会長は、取り調べられているときに刑事から聞いた話を、次のように述懐している。

「その後学会幹部は全部投獄されたのであつたが、自分が警視*廳に留置せられて取り調べを受けた際に刑事が自分に向つて『前に大石寺に対する訴状が出、それ以來今少し大きくなつてからヤツテやろうと思つていたんだが、淀橋の警察に陣野達があがつたんで少し早いけれ共お前達をヤツタんだ』と聞かされ驚いた事実がある」(『聖教新聞』昭和二十七年六月十日付)

この刑事の話に出ている「訴状」は、六月の渡辺慈海の話からすれば、小笠原慈聞一派が策謀したもののようであるが、告訴状、告発状などの正規の「訴状」のはっきりした形跡は、予審尋問など法手続きの進行する過程では確認できない。

特別高等警察の内部用「厳秘」資料である『特高月報』(昭和十八年七月分)には、昭和十七年一月頃から警視庁当局に対して、しばしば投書した者がいたことが記されていることから見ても、渡辺慈海や刑事が戸田会長に話した「訴状」とは、一連の「投書」を指す可能性はある。

ともあれ、六月二十九日の支部長他一名への逮捕が導火線になり、創価教育学会への弾圧が始まる。中野支部長・陣野他一名が逮捕されたことを陣野の妻から聞いた牧口会長は、「とうとう、くるべき事態になってきたな」と、厳しい表情で一言述べたという。

牧口会長は七月一日、神田錦町の創価教育学会本部で開かれた月例の幹部会に出席。七月二日、牧口会長ら一行は午前六時二十分に伊豆へ折伏に向かい、同日夕、下田の蓮台寺温泉の中田旅館(学会員経営)に到着。この旅館で、二日、三日、四日と折伏座談会をおこなった。

五日夕刻、同じ下田の須崎に折伏に向かった。牧口会長は折伏先で一泊、翌六日朝食後に逮捕され、下田署に連行留置され、翌七日東京に護送された。

戸田会長も牧口会長が逮捕された同じ七月六日に、東京・白金台の自宅で早朝逮捕された。この日、創価教育学会理事の矢島周平、稲葉伊之助などの東京の幹部も逮捕された。

七月二十日には、創価教育学会本部及び戸田会長の経営していた時習学館が家宅捜索され、副理事長・野島辰次、理事・寺坂陽三、理事・神尾武雄、理事・木下鹿次、幹事・片山尊が逮捕された。

関係者の逮捕は昭和十九年三月までつづき、逮捕者は東京十四名、神奈川四名、福岡三名の全国計二十一名に及んだ。いずれも、容疑は治安維持法違反および不敬罪であった。

それでは、創価教育学会幹部の逮捕に直面した宗門は、どのような対応をしたのだろうか。

戸田会長は「創価学会の歴史と確信」の中で、「御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、見るもはずかしき次第であった」と述べている。

小笠原慈聞は、「本宗に於ても舊時の頑固一點張で居られないが、過般來各種會議を走馬燈の如く開會、種々な足掻を見せてゐるが」(『世界之日蓮』昭和十八年九月号)と、宗門の混乱を嘲るかのように記述している。

創価教育学会幹部逮捕にあわてた宗門は、狼狽して東京・目白の牧口会長の留守宅に、庶務部長・渡辺慈海と佐野慈廣を使者として送り、夫人ら家族に、「取り調べに対し教説に固執しいつまでも頑張らないで、捜査当局の意見に伏して早く帰してもらうよう、牧口会長に話してくれ」と、獄にある牧口会長への伝言を頼んだ。

日蓮大聖人曰く。

「後生菩提をねがひし程にすでに仏になり近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申す御経に値いまいらせ候いし時は、第六天の魔王と申す・三界の主・をはします、(中略)いかがせんとて身を種種に分けて・或は父母につき・或は国主につき、或は貴き僧となり、或は悪を勧め・或はおどし・或はすかし、或は高僧或は大僧或は智者或は持斎等に成りて或は華厳或は阿含或は念仏或は真言等を以て法華経にすすめかへて・仏になさじとたばかり候なり」(治部房御返事)

【通解】来世に悟りの境地を得ることを願い修行し、すでに成仏が近づいたとき、すなわち一切衆生をことごとく成仏させることのできる南無妙法蓮華経という御経にあったときには、第六天の魔王という欲界・色界・無色界の三界の主がいて(中略)「どうやってこれ(成仏)をくい止めようか」と、身を種々に変えて、父母の身に入ったり、あるいは国主の身に入り、または尊いような僧となり、あるときは悪を勧め、あるときは脅し、またあるときは騙しいざなう。または、高僧、大僧あるいは智者、持斎(心身を清浄にした僧)となって、真実の成仏の教えである法華経(南無妙法蓮華経)ではなく、華厳、阿含、念仏、真言などを説いて勧め、成仏させまいと欺くのである。

七月、宗門は連日のように長老会議、参議会などの重要会議を開いて、どのようにしたら宗門に累が及ばないか対策を練った。結論的に宗門が下した決定は、創価教育学会員を信徒より除名するということであった。

あわせて宗門は一人の僧を除名した。同年六月十六日、那須の温泉で療養中のところを逮捕された藤本蓮城である。なお藤本については、あとで記述を予定しているので、ここでは詳述を避けるが、同じく神札問題で不敬罪に問われたものである。宗門は、この僧も一宗擯斥処分に付し、宗外に追放した。

宗門は、七月三十一日には教師錬成講習会の開催を全国の教師に通達し、八月二十一日に第一回、八月二十五日に第二回教師錬成講習会を開き、伊勢皇太神宮の大麻(神札)を、各末寺の庫裡や僧俗の住宅に祀ることはやむを得ないとした。

日恭らは、ただただ国家権力の弾圧を恐れ、法義を曲げ、真実の仏子らを迫害したのである。“破門”処分にされた創価教育学会員は、末寺への参拝も禁じられてしまった。

この昭和十八年、宗門は日蓮大聖人の弟子としての資格を、すべて放棄してしまった。国家権力の弾圧下において、信心なき日恭らに日蓮大聖人の「信心の血脈」は途絶え、獄中にあって不退転の信仰を貫く、牧口、戸田両会長の師弟にそれは脈々と流れていた。

日蓮大聖人曰く。

「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、火は焼照を以て行と為し・水は垢穢を浄るを以て行と為し・風は塵埃を払ふを以て行と為し・又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し・大地は草木を生ずるを以て行と為し・天は潤すを以て行と為す・妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり、上行菩薩・末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由・経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん・出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり、相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(生死一大事血脈抄)

【通解】ただひたすらに、南無妙法蓮華経こそ法華経の会座で釈迦・多宝から上行菩薩に血脈相承されたものであると信じ行じていきなさい。火は物を焼き、かつ照らすことをもってその働きとなし、風は塵や埃を払うことをもってその働きとなし、また人畜や草木のために魂となることをもってその働きとなし、大地は草木を生ずることをもってその働きとなし、天は万物を潤すことをもってその働きとなす。妙法蓮華経の五字もまた、この地、水、火、風、空の五大の働きをことごとく備えているのである。本化地涌の菩薩の利益がこれである。

さて、上行菩薩が末法の今時、この法華経を弘めるため御出現されることが経文に見えているが、どうであろうか。上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮はその先駆けとして、上行菩薩の法門をほぼ弘めているのである。

心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経と唱え、死に臨んでも心を乱さず、正法を信じて疑わないと祈念なさるがよい。生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。煩悩が転じてそのまま菩提(悟り)となる、妙法を受持する九界の衆生(凡夫)が、その身そのままで究極の真理を体現し、涅槃常楽の境界を得るとはこのことである。信心の血脈がなければ法華経を持っても無益である。

(この「仏勅」シリーズは、第706号につづく)

十九章 菩薩涌出 終

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