報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

六章 両舌りょうぜつ破法はほう

地涌オリジナル風ロゴ

第250号

発行日:1991年9月7日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日蓮大聖人の魂である御本尊を檀徒づくりの手段に使えば
いかに法主であろうとも仏罰厳然たることは仏語に明らか

日顕上人の頭の中には、「策」しかない。信仰もなければ慈悲もない。追い詰められた悪比丘は、ますますもって本性をむき出しにしてくる。今後、我ら地涌の菩薩は、日顕上人らに対し強折に次ぐ強折をおこない、僣聖増上慢の正体をとことん露わにさせるまでである。

一宗の管長として最高の僧衣をまとっている姿からは予想することもできない本性が、どんどん明らかになる。この悪比丘、破和合僧をおこない、広宣流布の光明を無明の闇に葬るために生まれてきたのだ。

やることは実に冷酷で、計画的である。破壊作業それ自体を楽しんでいるのだ。この僣聖増上慢が最後には追い詰められ、創価学会破壊に強権を発動してくることは疑いのないところである。その日は近い。

日顕上人は、創価学会解体の基本戦略である「C作戦」を、昨年末以来、推し進めている。この「C作戦」、当初はやつぎばやに作戦を進める電撃作戦であったが、緒戦における創価学会側のあまりにすばやい対応と、みずからの檀徒づくりの誤算により、その展開は緩慢にならざるを得なかった。

「C作戦」は、当初の、作戦完了まで数カ月という短期決戦型から、作戦完了まで一カ年という中期戦型に変わったようだ。もちろん今後の状況次第で、三カ年の長期戦型になることもあろう。だが現状では、中期戦型と見るべきである。

いずれにせよ「C作戦」は、かならず最後まで実施されるだろう。池田名誉会長ら創価学会首脳の破門、創価学会の絶縁がおこなわれるのだ。

日顕上人は、その「C作戦」の最終目標に向かって段階を踏みながら作戦を進めてきた。日顕上人は本年(平成三年)八月二十九日の教師指導会において、これまで同作戦が三つの段階を経て実行に移されてきたことを示した。

「一番最初の去年の十二月の問題は、これは、あのう、宗制宗規の、法華講本部の宗規における、法華講本部の、あの、規約を改正した。したがって総講頭以下、大講頭が全部その地位を喪失した。そういうことが一つ。

三月五日の通達は、総監の名前でやったけれども、あの、例の、海外の、今までのSGIに任せていた指導、任せていたことを、一切これを廃止にするという。これは要するに、海外に関しては、全部、池田大作並びにSGIの指導に、一切任せていたけど、これからはそうではありませんよと、宗門も縁がある所はどんどん組織をつくったりしていきますよ、ということが、廃止するということの中に含まれているわけだな。それが一つ。

じゃあ、第三番目は、総本山として、今まで創価学会がおこなっていたところの、この団体登山等、一切の、学会の登山で取り仕切っていた登山会を取りやめて、そして、その、添書登山に切り替えた」

日顕上人が、作戦に基づき創価学会の力を段階的にそいできたことを、臆面もなく自慢げに話している。

創価学会に対する処分について、日顕上人は次のようにも語った。

「処分、処分ってねェ、なにが処分なんだ。また、誰を処分するんだ。人だったら誰なんだ。それはわかっているかもしれないけれど。(笑い)それから、かりに、人でないとしたら、どういうことがあるんだ。どういう法律があるんだ」

とんでもない策士、ろくでもない悪比丘である。

これらの日顕上人の発言から予測される処分とは、先号(第249号)に記述したように「講中解散」と創価学会最高幹部の「破門」である。「講中解散」とは、創価学会は日蓮正宗の信徒団体ではないと絶縁することである。

「破門」の場合、処分者の範囲をどこにとどめるかが問題になるが、日顕上人らがすでに処分者の名を挙げて具体的に検討していることが、この教師指導会の話からうかがえる。

先号(第249号)に紹介したが、日顕上人は御本尊下附拒否の手段について次のように言っている。

「今まで(創価学会に)ずっと本尊下げてきたでしょうが。んじゃ、どこのケジメをもってこれから下げないと言う」

「かりにある筋道に基づいてだね、きちっとやることがあったら、それをきちんとやることによって、今度はその処置をしたことからの筋において、これ、これ、これ、今度は御本尊は下げませんよということがきちんと、この、確定してくる」

この日顕上人の発言は、御本尊下附拒否が、ある処分に付随しておこなわれることを示唆している。

いずれにしても、日顕上人が「破門」「解散」「御本尊下附拒否」という策を、今後の創価学会攻撃の要にすえていることだけはたしかだ。

だが、結論から言えば、日顕上人は敗北する。

いまや日顕上人に象徴される邪悪な僧侶が、日蓮大聖人の仏法と広宣流布にとって最大の障害であるとの認識は、全世界の信徒のあいだで定着している。

いかに日顕上人が権威、権力をもって仏子を圧殺しようとしても、日蓮大聖人の子供たちが屈服することはない。策に乗ぜられることもない。嫣然と悪比丘の浅慮を笑うのみである。法脈に巣くう独裁者はすでに孤立しているのだ。総体的に見て、日顕上人の策謀が破綻することは必定である。

戦略的にも無理がある。一カ寺が食べていくのには、最低でも千五百人の信徒が必要である。邪宗のように戒名料などを設定し、読経料も値上げすれば別だが、現状ではそれは破滅につながる。千五百人の信徒がいなければ、生活できないのだ。

一カ寺千五百人の脱会者をどう作る。できはしない。意地になって勝ち目のない争いをしているだけだ。そのことは誰の目にも明らかである。先々、日顕上人はますます孤立するだろう。

信仰次元から見ても勝敗は明らかだ。仏意仏勅の創価学会をつぶすことはできない。なぜなら、池田名誉会長と創価学会員の師弟の絆を断ち切ることができないからだ。

破和合僧をおこなう日顕上人に仏罰が厳然と下ることは、仏記に明らかである。まして日顕上人らは、民衆の幸福のために日蓮大聖人が御図顕された御本尊様を道具に使って、和合僧団を破壊しようとしているのだ。

「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(観心本尊抄)

【通解】このとおり経釈の予言が的中した時に地涌千界の大菩薩が出現して、本門の釈尊を脇士となす一閻浮提第一の本尊がこの国に建立されるであろう。

御本尊様は全世界の民衆の幸せのためにあらわされたものだ。日顕上人ら一部の僧侶のために御図顕されたものでは決してない。

「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(経王殿御返事)

【通解】(この御本尊は)日蓮が魂(全生命)を墨に染め流して書き認めたのである。信じていきなさい。釈迦仏の本意は法華経である。日蓮の魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるものはない。

日顕上人らは末法の全民衆のために残された御本仏の魂である御本尊をもって仏子らをいじめ抜き、これまで広宣流布を主体的に推し進めてきた創価学会を解体しようとしている。その罪たるや恐るべきものがある。

「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず、日蓮又かくのごとし、始めはしるしなきやうなれども今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば仏前の御誓むなしくて無間大城に堕つべしと・おそろしく想う間今は各各はげむらむ、大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか、罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰・四候」(聖人御難事)

【通解】過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり賤しんだりする国王や臣下や万民は、始めは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に堕ちないことはない。
 日蓮もまたその通りである。始めは何も兆候がないようでも、今日までの二十七年の間、法華経守護の梵天・帝釈・日天・月天・四天王等が日蓮をあまりに守護しないようであるならば、法華経の行者を守護すると仏前で立てた誓いが虚妄となり、無間地獄に堕ちてしまうと、恐ろしく思っているから、今ではおのおの励んでいるのであろう。
 大田の親昌や長崎次郎兵衛の尉時綱や、大進房が落馬して非業の死をとげたのは、法華経を軽毀した罰が現れたのであろうか。
 罰には総罰・別罰・顕罰・冥罰の四つがある。

創価学会員は、師の下に団結して楽しく時の経過を待てばよい。御本尊下附をされなくとも功徳は無量である。

「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(生死一大事血脈抄)

【通解】総じて日蓮の弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔てなく水魚の思いをなして異体同心に南無妙法蓮華経と唱え奉るところを生死一大事の血脈というのである。しかも今日蓮が弘通する法の肝要はこれである。もし弟子檀那等がこの意味を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう。

日蓮大聖人を恋慕渇仰する末法の衆生を、大聖人は慈眼をもって見つめてくださっている。またその慈悲は広大無辺にして、あらゆる仏子を包むことだろう。日蓮大聖人は佐渡流罪中、弾圧の嵐吹きすさぶ中、信心に励む弟子を思って、次のように激励されている。

「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや」(生死一大事血脈抄)

【通解】日蓮は日本国の一切衆生に法華経を信じさせ、仏になるべき血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に値わせ、挙げ句の果てにはこの佐渡まで流罪した。そうした中であなたは日蓮に随順され、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられて心を痛めている。金は大火にも焼けず大水にも流されず、また朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは法華経の金を持つゆえに、まさに真金である。

法難の最中、御在世当時の弟子が受けた感動が、時代を超えて我が胸に蘇る。このたびの法難によって、日蓮大聖人の末法万年尽未来際の一切衆生を包む大慈悲を、創価学会員ことごとくが実感できるのだ。

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