報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

六章 両舌りょうぜつ破法はほう

地涌オリジナル風ロゴ

第236号

発行日:1991年8月24日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

「織物にした日蓮上人の御本尊を特価二円で売ります」
この広告を宗門機関誌『白蓮華』は金の為に何度も掲載した
〈法難シリーズ・第14四回〉

日蓮正宗が明治、大正時代に発行していた機関誌『白蓮華』に掲載された謗法広告には驚くべきものがある。先号紹介した“達磨の絵の広告”などはまだ序の口。大謗法のきわめつけは、日蓮大聖人のおしたためになった御本尊様をあつらえた織物の広告である。

掲載した広告の写しをジックリ見ていただきたい。

『白蓮華』第8巻第11号掲載の「織物御本尊」の広告

『白蓮華』第8巻第11号掲載の「織物御本尊」の広告

まず広告の一行目に、「日蓮上人御眞筆御本尊織込純金襴」とある。日蓮大聖人の御真筆の御本尊様を純金襴の下地に織り込んだものとの意味である。細かな宣伝文を読むとわかるが、大きさは縦一尺七寸・横五寸五分余というから、縦約五十㌢・横約十六㌢である。

「紺紙金泥に描きたるものより尚一層鮮麗」といった表現、「一枚の紺地純金襴へ緻密巧妙に織り現はしたり」と記していることなどから想像するに、どうもこの「御本尊」は、金糸の散りばめられた紺色の地に、文字を金糸で織り込んだものと思われる。紺のバックに金の文字ということになるわけだが、かなり不気味な雰囲気のものが想像される。

広告文中において注目されるのは、「我宗日蓮上人」といった記述があることだ。この広告を掲載しているのが日蓮正宗の機関誌『白蓮華』であることから、広告の対象者はもちろん日蓮正宗の僧俗である。だから「我宗日蓮上人」といった表現をもって、日蓮正宗の僧俗に、この織物の「御本尊」を買うことを勧めたものと思われる。

織物の「御本尊」なるものを売っている者が、「我宗日蓮上人」と、日蓮正宗僧俗に同志的親近感をもって呼びかけていることに、少なからず抵抗を感じる。

それにしても、この紺地に金文字の「御本尊」を売っている大謗法者が、日蓮正宗の機関誌に堂々と広告を載せていた事実には驚愕せざるをえない。「一幅特價金貳圓」ということだから、当時にしてみれば大金である。日蓮正宗の信徒の中に、大枚二円を支払って織物の「御本尊」を買った者は何人いただろうか。

業者がこのような大謗法を犯して儲けたお金を、当時の日蓮正宗僧侶が、たとえ広告代の名目であれ受け取っていた事実は、絶対に許せないことである。まさに与同罪まぬかれ難いものがある。

また、織物の「御本尊」を売っていた業者が、「御本山用達」を名乗っていることも驚きである。それに「御本尊」を広告に出し、「天下一品」とはいったいどういう感覚であろうか。

この織物の「御本尊」の広告は、大正二年発行の『白蓮華』第八巻第十号以降、つごう八回掲載されている。当時の『白蓮華』の発行人は日顕上人の実父・阿部法運(のちの第六十世日開上人)であった。阿部法運が発行人になってからというもの、謗法広告の掲載の頻度は飛躍的に増えたのである。

ここで想起されるのは、理境坊住職の小川只道である。平成三年六月、小川は、大石寺を見学に訪れた医師会の人たちから御供養を受けとり、「パンフレット」と「羊羹」の代金だったと言い逃れをしている。

日顕上人が、未入信の人たちから御供養を受けとった売僧・小川只道を処分しないので不思議に思っていたが、父君である日開上人が、謗法広告を掲載してお金を受け取り平気でいたのを見ていると、日顕上人が小川を罰することができないのは無理からぬことだと合点がいく。

『白蓮華』(大正二年十一月発行)は、ごていねいにも「謹告」として、「皆さん此廣告を是非見て下さい」と書いている。その左に、この「日蓮上人御眞筆御本尊織込純金襴」の広告が出ている。

「謹告」には次のような文も出ている。

「本年もまさに歳晩に近つき整理上の都合も御察し下され且つ本誌の慧命を續くと思食し本誌購讀料金の未納分を御捨置なく御拂込被下度希望致候也

白蓮華社會計部」

なんだか、読んでいるだけでみじめになってくる。宗開両祖の末流としての気概など、とてもではないが認め難い。このときの発行人も阿部法運であることは言うまでもない。『白蓮華』掲載の広告を見れば、日蓮正宗の僧侶が謗法払いにまったく無関心であったことがわかる。

今日に至っても、日蓮正宗の法華講の中に、謗法を祀っている者が多いのも、なるほどとうなずけよう。

家族友人葬のパイオニア報恩社